陽だまり亭に戻ると、エステラは早々に帰っていき、マグダも狩猟ギルドへと向かった。
余った食材を厨房へ運び、台車を中庭へと片付ける。
その間せっせと開店準備をしていたジネットなのだが……やはりどこか表情が暗い。
「ジネット」
「は、はい……」
本当に、心配性なヤツだな。
二人きりの空間。
ここは俺が励ましてやるしかないのだろう。
まぁ、あれだ。こんな状態で接客業なんか出来ないからな。売り上げのためだ、平たく言えば。
「あんま心配すんなよ。悪いことは、そうそう現実にはならないもんだ」
「……そう、でしょうか?」
「悩んでいると、人はどんどん悪い方へイメージを膨らませてしまう。けど、そうやって思い描いた最悪の状況ってのは、そう訪れるもんじゃないんだよ。考えるだけ無駄だ」
「…………はい」
一向に、ジネットの表情が晴れない。
相当ネガティブな思考が働いているのだろう。
「じゃあな、ジネット。今思っている不安を言葉にしてみろ。俺が全部否定してやる」
「……否定?」
「あぁ。お前の不安は俺が全部請け負ってやる。お前の心配がなくなって、いつも通り仕事が出来るようにな」
ベルティーナの腹痛は明日には治る。
大方、「このまま治らなかったらどうしよう」とか、「わたしのせいかも」とか、そういうことで悩んでいるのだ。そんなことはないと、はっきり否定してやることで、こいつの心も少しは軽くなるだろう。
誰かに断言してほしい時があるのだ。「絶対大丈夫だから心配すんな」と、言い切ってほしい時が。心が弱っている時なんかは特にな。即答してもらえれば尚更グッドだ。
ならば、俺がその役を買ってやる。
……あくまで、売り上げのためにな。
「で、では……いいですか?」
「あぁ。思う存分ぶちまけろ」
「はい…………すぅ……」
大きく息を吸い込んで、ジネットは思い切った様子で言葉を吐き出した。
「ヤシロさんがここを出て行ってしまわないか、とても不安です!」
「そんことあるわけないだろ。……………………ん?」
「本当ですか!?」
「え? あ、あぁ……」
あれ?
ベルティーナの話は?
「…………よかったぁ……」
ジネットがホッと胸を撫で下ろす。
肩がグッと下がり、脱力しているように見える。
つか……え? なに?
俺がいなくなる?
なんでそんなことを思ったんだ?
俺、夜逃げしそうな雰囲気でもあったのか?
「ヤシロさん」
「ん? あ、な、なんだ?」
「ありがとうございました。おかげで、心が軽くなりました。ヤシロさん、本当にすごいですっ!」
ぺこりと頭を下げ、ジネットは満面の笑みを浮かべる。
「あ、あぁ…………まぁな」
なんだろう……よく分からないけど、元気が出たようだ。
だったら、結果オーライ…………かな?
「では、わたしは開店準備を進めますね。ヤシロさんは…………」
言いかけて、一瞬表情が翳る。
けれど、懸命に笑みを浮かべ、俺に言葉を向ける。
「気を付けて、行ってきてくださいね」
「あぁ……行ってくるよ」
ジネットに見送られて、俺は陽だまり亭を後にする。
大通りに向かって歩く間中、ジネットのことを考えていた。
あいつは何に悩み、何をもってその悩みを解消したのか…………
『ヤシロさんがここを出て行ってしまわないか、とても不安です!』
俺が陽だまり亭を出て行く…………?
どこでそう思ったのだろうか……
「…………分からん」
答えが出ないまま歩いていると、エステラに教えてもらった薬屋の前にたどり着いていた。
なんの心構えも出来なかった。
もう、なるようになれだ。
薬屋は、大通りを越えた小さな路地裏にあり、外観はややボロイだけで特別おかしなところは見受けられない平屋の一戸建てだ。ドアの上部にブリキのプレートがぶら下がっている。そこに記されているのは三角フラスコのようなマークだった。
モーマットの異様なまでの怯え方が脳裏を掠める。
どんな変わり者が出てくるのか……
心を落ち着けて、冷静に……初対面でのまれないように気を付ければ、交渉だってうまく運べるはずだ。
「よし……行くか」
念のためにノックをし、少々建て付けの悪いドアを押し開く。
ギィ……っと軋みを上げ、ドア上部に嵌め込まれたガラスがガタガタと音を鳴らし、ドアが開く。
中からは薬のものと思われる独特な匂いが漂ってきた。
薄暗く、壁一面に設えられた棚にはよく分からない商品がずらりと並べられていて、圧迫感もある。
そんな一種異様な店内の奥で、何かが動いた。
真っ黒なローブに、魔法使いのようなとんがり帽子を被った……美女だ。
長い緑の髪を顔に垂らし、こちらをジッと見つめている。
見た感じどこにもおかしい要素はないのだが……なんというか、纏っている雰囲気が只者ではない……そんな感じがする。
店の奥のカウンターから姿を現したその美女――レジーナ・エングリンドは、ゆっくりと俺の方へと近付いてくる。
瞬きもせずに、ジッと俺を見つめ、時に目を眇め、ゆっくり、ゆっくりと近付いてくる。
そして、俺の目の前まで来て立ち止まると、今度は顔をグッと接近させてきた。
鼻先が触れそうな距離にレジーナの顔が近付き、微かに花のような香りが鼻腔をくすぐる。
ずっと室内にこもっているからなのか、肌は透き通るように白く、キメも細かい。綺麗な肌だ。
瞳はどこも見ていないような不思議な印象を纏い、小ぶりな鼻が愛嬌を醸し出している。
マグダとは違った意味で、作り物のような、現実離れした美しさを持った顔が、俺の顔を、今にも触れそうな距離から観察している。
「あ、あの……ち、近いんだけど……」
「えっ……?」
俺の声を聞いて、レジーナは二歩ほど体を引いた。
そして、何を納得したのかポンと手を打ち、そして俺を指さして大きな声で言った。
「な~んや、自分、お客さんかいなぁ!?」
か…………
関西弁っ!?
不思議なオーラを纏った謎の薬剤師とのファーストコンタクトは、俺にある意味で凄まじい衝撃を与えるものだった。
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