「ヤシロさん。コーヒー、もう一杯いかがですか?」
どうやら、ジネットも同じ気持ちらしい。
「もらおうかな」
「はい。ありがとうございます」
ありがとうってのは、「付き合ってくれて」か?
そんくらい、いつだって、いくらでも、だ。
嬉しそうに小走りで厨房へと向かう。そんな背中を見つめていると、ふと、ある言葉が脳裏をよぎった。
――結婚。
……………………はっ!?
いやいやっ!
まぁ待て!
そう焦るな!
いろいろ飛躍し過ぎだろう。
まったく。
セロンたちが結婚式をやったからって、それに当てられて先走るようなことがあれば、それはアレだ、ニッカやカールと同レベルということだ。そんなもん、俺のプライドが許さん。
だからまぁ、その、なんだ…………一つの選択肢としては、…………まぁ、考慮の余地くらいはある……かも、しれない、的な? 精々その程度のもんだ。
なんにせよ、こういうのはタイミングだ。
時が来れば、おのずと行動に移すことになるだろう。
いつの日か、その時が来れば、な。
「ヤシロさん。お待たせしました」
「もう来たの!?」
「へ…………? は、はい。コーヒー、です」
「あ…………あぁ、コーヒーね」
くわっ!
恥ずかしい!
今すぐウーマロを叩き起こして八つ当たりしたい!
「うふふ。何か考え事ですか?」
「いや……俺のことは、今はいいから…………何か別の話をしてくれ」
今ちょっと、恥ずかしくて全身がむずむずしてんだ。
ちょっと空気を換えてくれ。
「別の話ですか……そうですねぇ…………」
再び俺の向かいの席へ座り、ジネットがアゴに指を添える。
考え事をする時の癖なのだろう、こいつはよくこのポーズをしている。
「あ、そういえば。セロンさんのプロポーズ、評判よかったみたいですよ」
「あぁ、みたいだな」
そうなのだ。
三十五区の花園で見せた、ウェンディの両親への言葉や、結婚式でのプロポーズが、女子たちの間で、凄まじい勢いで広がっていったのだ。
昨日の今日だってのに、街はその話でもちきりだった。
「プロポーズされるなら、『セロンさん調』がいい、なんて噂されてるって、エステラさんから聞きました」
「でかした、セロン!」
「ふぇえっ!? ど、どうされたんですか、急に?」
驚かしてすまん!
だが仕方ないのだ!
そう!
そこなのだ!
今回、俺がことのほか結婚式に力を注いでいた理由は!
人は、大きな感動を覚えると、その時間を心に刻む。
その時の景色や香り、感じたもののすべてと一緒に、記憶の中に大切にしまい込むのだ。
だからこそ、今回のようなシーンで感動的なプロポーズの言葉が誕生するとだな……
『ヤシロ調』なんていうふざけたプロポーズの言葉なんか、一瞬で上書きされると踏んでいたのだ。
何がなんでも消し去りたかった!
俺が言ってもいない、『俺っぽいプロポーズの言葉』なんてものを!
目標達成!
今回もまた俺は大勝利を収めたと言えるだろう!
巷では、『セロン調』のプロポーズと、『オルキオ調』のプロポーズ。この二大勢力が話題を掻っ攫っているのだ。
『ヤシロ調』の『ヤ』の字もない! どうだ! まいったか! ザマァみろ!
今後はセロンあたりが、『セロン調でプロポーズしました!』とか言われて悶絶すればいいのだ。
ふっはっはっ!
勝利の余韻に浸って飲むコーヒーの美味いことよ。
俺は芳醇な香りを肺いっぱいに吸い込んで、苦めのコーヒーを口に含んだ。
「でも、わたしは……やっぱり『ヤシロさん調』がいいです。プロポーズされるなら」
「ぼふぅっ!」
――そして、含んだコーヒーを全部噴き出した。
「ヤ、ヤシロさん!? 大丈夫ですか!?」
「ごほっ! ゴフッ!」
ジネット、お前…………深い意味がないにしても、今の発言はちょっとダメだろう。
それじゃまるで――
遠回しなプロポーズの催促みたいじゃねぇか。
まったく、この迂闊な店長は…………
「あっ! そうです!」
ぽんと手を叩き、ジネットがぱぁっと表情を輝かせる。
そして――
「少し、待っていてくれますか? すぐ戻りますので」
そう言って厨房へと駆けていく。
足音が厨房を通り過ぎて中庭……階段を上がっていく……
自室に戻ったようだ。
「………………はぁ~」
なんだよもう。
連日走り回ってクタクタだってのに、これ以上心臓を酷使したらストライキとか起こされちまうぞ。
もうこの後は変な空気は避けて、穏やかに、心休まる感じにしよう。
あと少しだけ話をして、部屋に戻って、ベッドで眠れば、また明日からいつも通りの陽だまり亭が開店するんだ。
何も変わらない毎日がやって来るんだ。
「あ、あの……ヤシロさん」
そう思っていたのだが……
俺は思わず立ち上がり、息をのんだ。
「実は、ウェンディさんから、これをいただきまして……なんでも、ブーケをわたしにくださるつもりだったようなのですが、わたし取れませんで……それで、代わりにと……」
俺の目の前にやって来たのは、非日常な……
「ベールだけ、なんですけれど…………」
ウェディングドレスのベールを頭に被せたジネットだった。
「……あの…………どうでしょうか…………その……」
恥ずかしそうに俯いて、胸の前で指先をもじもじと絡ませる。
チラチラとこちらに向けられる上目遣いは、もう……反則級に可愛くて……
「…………似合い、ますか?」
はい以外の選択肢が見つからなかった。
つか、意表を突いてこれは……卑怯過ぎるだろう。
心臓が深夜の大運動会を勝手に開催しているらしい。なんだか大はしゃぎをしている。
この、脈打つ心臓を鎮めるためには…………
「…………へっ?」
俺が腕を伸ばすと、ジネットが短い息を漏らす。
構わずに、ジネットの顔にかかっているベールを両手でそっと掴む。
それを捲り上げて頭の上へと載せる……と、真っ赤な顔をしたジネットの顔がすぐ近くにあって……目が合うと、呼吸を忘れてしまいそうな緊張感に包まれて…………
「ジネット」
「はっ…………はぃ」
プロポーズをされるなら『ヤシロ調』がいいなんて言っていたこいつの言葉が脳裏をよぎって…………俺は――
「明日からも、頑張ろうな。陽だまり亭の仕事とか」
「………………へ?」
そんな、どうでもいい言葉に逃げてしまった。
だって!
無理だって!
ここでちょっとでもキザなことを口走ったら、俺の心臓スムージーみたいになって鼻の穴から「とろぉ~」って出てきちゃうぞ!? 出せる自信がある!
だから、もう、寝よう!
今日はなんかアレだ。ダメだ!
きっと、セロンたちがここで甘々オーラ撒き散らしたせいだ。
換気が足りてないんだ!
だからもう、「なんかキザなことでも言うのかなぁ…………なんじゃそら!?」みたいな、軽い空気にして、今日は寝てしまおうぜ。な? お前もそう思うよな、ジネット?
と、改めてジネットの顔を見ると……先ほどよりも赤く……深紅に染まっていた。
…………ほゎい?
「ぁ…………あの…………っ」
そうして、ジネットはわたわたと両手で頭を抱え、捲り上げられたベールを再び顔の前に垂らしてしまった。
そのままこちらに背を向けて、音痴なインコみたいな声を上げる。
「は、はぃっ、それは、もちろんっ!」
そして、油の切れたオートマタのようにぎこちない動きでゆっくり一歩俺から距離を取る。
…………ほゎい?
なぜ、かのじょはこんなにぽんこつになっているのですか?
なぜ、つむじからゆげをたちのぼらせているのですか?
そして、なぜ、俺の発した言葉にたった一言を追加して、こんなにも意味深にしてしまうのですか?
「明日からも、ずっと一緒に頑張りましょうね。陽だまり亭の仕事とか」
ゼンマイの切れたからくり人形が最後に見せる暴走のような速さで、ジネットは厨房へと駆け込んでいった。
残されたのは俺と、飲みかけのコーヒーと……
「明日からどんな顔して会えばいいんだよ……」
そんな、答えの出ない難問だけだった。
ただ、なんでだろうな。
そんな感情すらどこか心地よく、落ち着くなどと感じてしまうあたり、俺は相当重症なのかもしれない。
それは俺の居場所がここ――陽だまり亭であるのだと、自ら認めた何よりの証明であると、そんなことを実感したのだった。
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