「ベ、ベッドの匂いとか、か、嗅いでないだろうねっ!?」
戻るなり、エステラが俺に噛みついてくる。
……嗅がなきゃよかったと思っているところだよ。
俺はその問いかけを無視して、作ってきた服を手渡す。
「着てこい。厨房ででもいいし、俺の部屋使ってもいいから」
「え……これに、着替えるのかい?」
「早くしないと、尻を丸出しでは体が冷えるぞ」
「丸出しじゃないやいっ!」
エステラは俺から服をひったくると、その服で尻を隠しながら厨房へと姿を消した。
足音が遠ざかっていき、中庭へと出て行く。……俺の部屋で着替えるんだな。
「ヤシロさん、一体何を?」
「まぁ、見てのお楽しみだ」
たぶん、これでうまくいく。
どんなに頭の固いヤツにだって、一発で伝わるメッセージ……そう、メッセージだ。
それから数分後、着替えたエステラが顔を引き攣らせながら戻ってきた。
「……ヤシロ、これって……」
「わぁ~っ! すごい……素敵ですね」
「えぇ…………素敵…………かなぁ?」
「素敵です! わたしも欲しいです!」
エステラとジネットの意見が真っ二つに分かれる。
まぁ、それもそうだろう。
エステラが着ている服の前面には、でかでかと、こんな文字が縫いつけてあるのだ。
『 陽だまり亭・本店
安いっ! 美味いっ! 可愛いっ!
野菜炒め 20Rb~ !!
四十二区にて絶賛営業中!!
年中無休
来なきゃ損っ! 友人・家族を誘って是非お越しくださいっ!! 』
まぁ、世界中でジネットだけが「素敵」と言うデザインであることは間違いない。
当店オリジナルグッズとか、テンション上がるからな……やってる側が。文化祭のお揃いTシャツみたいにな。
「……ヤシロ、これって……」
「こんだけ派手に書いておけば、男がどうこういう前に目に入るだろう」
「そりゃ……入るだろうけど…………」
「そしたらきっと、第一声はこうだぜ? 『……なんだ、それは?』」
こんなふざけた服を着て帰ってきた娘に、『男と密会してたのか!?』なんて発想を抱く親などいるはずがない。もしいたら、その親は一度頭を検査してもらうべきだ。
「マントを脱ぐまでの時間に先制されると厄介だ。傘を貸してやるからマントは着ずに帰れ」
「こ、この格好で街を歩くのかいっ!?」
「お前のためだよ」
「体よく店の宣伝に使おうとしてるだけじゃないかっ!」
「ギクゥ……っ! ど、どど、どうしてそのことをー!?」
「ワザとらしいよ! せめて隠そうとしてほしいもんだね!」
この店はどうにも宣伝不足なんだよ。少しくらい協力しやがれ。
「それで、着心地はどうだ? 生地の厚いものを選んだから、寒さも多少はマシだと思うんだが……」
「……着心地は…………悪くないよ」
ややむくれて、エステラはそっぽを向く。
そんなに怒るなよ。
確かにふざけた解決策だが、ふざけて考えたわけじゃない。こいつが最良なんだ。
「………………くんくん…………ヤシロの匂いが…………っ!」
襟元を引き、服に鼻を近付けるエステラ。……なんか失礼な行動だな。
「臭くはないだろう?」
「臭くはないけど…………なんか、ドキドキするというか…………」
「はぁ?」
「いやっ、なんでもないっ! 忘れて!」
なんだ、俺、ダンディーフェロモンでも出ちゃってんのか?
俺に惚れるなよ?
とか、冗談でも言うと確実に殴られるな。うん、黙っとこ。
「じゃ、じゃあ……か、帰る…………から」
ふらつく足取りで、エステラが出口へと向かう。
大丈夫かよ……
「また転ぶなよ」
「転ばないよっ、もったいないっ!」
もったいない?
「やっ、なんでもない! あ、あの……洗って返すから」
「いや、そのままでもいいぞ」
「洗うっ! 跡形もなく洗ってくるから!」
「いや……跡形は残しといてくれよ」
なんだか、熱に浮かされているように見える……本当に大丈夫か?
「エステラさん、では、これを」
ジネットが差し出した傘を受け取り、エステラは外へと出る。
雨は、まだ激しく降り続いていた。
「送るか?」
「大丈夫! 君の世話にはならないよ」
「別にストーキングとかしねぇぞ?」
「分かってるけど…………でも、本当に大丈夫だから」
「そっか」
そこまで言うのなら、しつこく言うのもなんだろう。
「じゃ、気を付けてな」
「ありがとう。その……いろいろと」
「いーって」
まぁ、今後なんらかの形で返してもらうさ。
「では、また明日です。エステラさん」
「うん。ジネットちゃんもありがとうね。濡れるといけないから、もう入りなよ」
「はい、では」
ジネットがぺこりと頭を下げ、俺たちは室内へと戻った。
ドアを閉める。
ジネットがぱたぱたとカウンターへと駆けていき、俺だけがドアの前に残った。
「…………」
そっとドアを開けて外を覗いてみると…………襟を引っ張ってそこに顔を埋め、エステラが俺の服の匂いを盛大に嗅いでいた。
…………匂い好きの女子って、いるよなぁ………………
これまた、見つかれば「見ぃ~たぁ~なぁ~」と山姥化されそうな光景だったので、俺はそっとドアを閉め、今見たことを心の奥へとしまい込んだ。
……エステラも、なかなかの変態だな。
その後、マグダの帰りを待っていたトルベック工務店の連中は、雨脚が強くなったことを受け、マグダの帰還前に帰っていった。
帰る間際、ウーマロが「これ、マグダたんに! オイラからって!」と、トウモロコシをジネットに渡していた。……必死だな、おい。
夜遅くに帰ってきたマグダは、なんだか疲れた様子で早々に寝室へと引き上げていった。ミーティングとか苦手そうだもんな。
そんなわけで、俺も自室に戻ってきたのだが……
「おかしい……」
明日も朝早くから弁当の準備と寄付の下ごしらえが待っている。
早く寝てしまわなければいけないのだが……
もぐり込んだベッドがやたらといい匂いがして……悶々として眠れない。
「……たしか、さっきは泥臭いだけだったのに…………なんで、いい匂いしてんだ?」
俺のベッドからは、どこか甘ったるい、ドキドキするような匂いがしていた。
可能性があるとすれば、着替えるためにここにやって来たエステラが、もう一回ベッドにもぐり込んだ…………くらいしかないが………………なんのために?
「…………ったく、あの匂いフェチめ」
勘の鋭い俺に、そういうことすんじゃねぇっての。
変に意識しちまうだろうが…………
気付かないフリをしなきゃいけないこっちの身にもなりやがれ…………
あぁ、クソ…………
せめて、嗅ぎ返してやるっ!
そんなわけで、非常に悶々としながら……その日は長い夜を過ごしたのだった。
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