異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

266話 クールミントとホットバス -3-

公開日時: 2021年5月26日(水) 20:01
文字数:2,747

「ちょっと待ってほしい、私は、友達のヤシロ」

 

 浴室へ入るドアの前で、ギルベルタに声をかけられた。

 

 振り返れば、ルシアを伴ったギルベルタがいた。

 あ、逆か。ま、どっちでもいいや。

 というかお前ら、主従揃って陽だまり亭のエプロン身に着けてんの、そのままでいいのか? いや、お揃いでちょっと可愛いけども。

 

「貴族の婦女子が堂々と覗きか?」

「誰が貴様の風呂など覗くか」

「交渉したい、ルシア様は、友達のヤシロと」

「一緒にお風呂に入りたいって?」

「誰が一緒に入るか!?」

 

 じゃあ、なんの交渉だよ?

 

「順番を譲ってほしい、ルシア様に。承知している、わがままは。けれど、お願いする、誠心誠意」

「先に入りたいってのか? そりゃ別に構わないが……大浴場はまだ沸いてないぞ?」

「大浴場は前回堪能したからな。今回は小さい方に入りたいと思っていたのだ」

「じゃあ、事前に言っとけよ……」

 

 ジネットのヤツ、気を利かせて大浴場の方を沸かし始めちまったじゃねぇかよ……

 

「それに、仕事が大量に残っているのでな。早く風呂に入って早く帰らなければいかんのだ」

「風呂に入らず今すぐ帰れば、もっと早く館に着けるぞ」

「風呂に入らなければ帰った後の効率が落ちると確信している」

 

 確信すんなよ、そんなもん。

 

「忙しいならわざわざ来んなよ。お前だって、あんまり派手に動き回ってると、あらぬ噂を立てられかねないぞ?」

「貴様と恋仲にあるのではないか、などか? ふん、あり得ぬ噂はただの戯言だ、言わせておけばいい」

 

 いや、あらぬ噂が致命傷になるもんだろうが、貴族の女性は。

 

「私の結婚よりも、今は区内を賑やかにする方に重きを置いているのでな。多少の泥くらいかぶってやるさ」

 

 そんなことを、俺を見ながら言う。

 

「俺が泥だってか?」

「ヘドロがいいか?」

「やかましい」

 

 くつくつと笑って、俺の肩を叩く。

 

「来年も期待しているぞ、カタクチイワシ」

 

 そう言って、さっさと脱衣所へ入っていってしまった。

 ……俺が「譲る」って言ってから入れよ……ったく。

 

 あいつは、四十二区に顔を出すことが三十五区を豊かにすると思っているのか。

 もしかして、トルベック工務店の話をするためだけにわざわざやって来たのか?

 それとも、他にも何か根回しでもしに来たのか……

 さすがに、なんの考えもなく遊びたい一心でここまでは来ないだろう。……来ないと思いたい。

 

「ギルベルタ、ルシアの世話を頼むな。風呂の入り方、分かるか?」

「聞いた、友達のジネットから。もう覚えた、私は」

 

 なら安心だ。

 

 ルシアが脱衣所に入ったので、さっさと退散しよう。

 それこそ、あらぬ噂が立ちかねない。

 

 

「きゃああ!?」

 

 

「じゃあな」と、ギルベルタに挨拶をしたその時、脱衣所からルシアの悲鳴が聞こえた。

 何事だ!?

 

「ルシア、大丈夫か!? 入るぞ!」

 

 断りを入れて、脱衣所のドアを開ける。

 チラッと確認したところ、ルシアはまだ着衣だった。……ほっ。

 

「どうした?」

「む、虫っ!」

 

 床を指さしてルシアが叫ぶ。

 そこには、ムカデを巨大化させて、若干禍々しくしたようなウネウネざりざりゾルゾリ蠢く虫がいた。

 たまに寝室で見かけるヤツだ。マグダに確認したところ、魔獣ではないが、日本にはいなかったレベルで凶悪な容姿をしているムカデっぽい虫で、俺は勝手に『ムカデ・レベルMAX』と呼んでいる。

 

「カぅ、タぅッ、かた、くち、いわしっ! はやっ、早く、なんとか……っ!」

 

 俺の背に隠れ、服をぎゅぅぅぅっと握りしめるルシア。

 細い指が赤くなるくらいに力んで、ぷるぷると震えている。

 

「お前、虫人族好きなのに、虫はダメなのか?」

「む、虫と虫人族は全然違うではないか! 一緒にするでないっ! ぅひゃう!?」

 

 俺を睨もうと顔を上げたせいで、ムカデ・レベルMAXが視界に入ったのだろう。ルシアは悲鳴を上げてまた顔を伏せた。

 俺の背中にぐりぐり頭を押しつけてくる。

 

 そんなに怖いか?

 

 まぁ、俺だってデリアとは二人きりで話したり出来るけど、野生のクマを見かけたらチビるかもしれん。

 クマ人族と熊は別物。

 虫人族と虫は別物。

 そういうことなのだろう。

 

「じゃあ、ちょっと退治してくるから、服離せ」

「む、無理を言うな!」

「離さないと、お前を連れて虫退治に行くことになるぞ」

「待て! 早まるな! やめてお願い!」

 

 ルシアが壊れている。

 本気で苦手なようだ。

 

「ギルベルタ」

「無理、私も、虫は」

「あぁ、うん。アレは俺がなんとかするから、ルシアを頼む」

「それなら出来る、私は」

 

 俺にしがみつくルシアを引き剥がし、ギルベルタへと託す。

 

「カタッ、カタクチイワシっ!」

「心配すんな、すぐ済むから」

「き、貴様が返り討ちに遭ったら、どうしたらいい!?」

「誰が負けるか、あんな虫に」

 

 そこまで弱キャラじゃねぇよ。

 

 何を隠そうムカデ・レベルMAXは、非常に弱っちい虫なのだ。

 見た目こそえげつない姿形をしているが、毒を持つわけでも、噛みつくわけでもない。水回りのぬめりや水垢の中に潜む菌や微生物を食べるだけの虫なのだ。

 とはいえ、見た目がキモいので、見つけたら退治するけども。

 

 すたすたと近付き、足を持ち上げる。

 頭を踏みつぶせばおしまいだ。……だが。

 

 

 前にジネットが「ここにいては退治されてしまいますよ」とか言って外に逃がしてたんだよなぁ……こんなものにまで温情をかけるとか……はぁ。家主の意向には逆らえないか。

 

 退治はやめて、風呂掃除用のぞうきんを取り出し、それに包んで捕獲する。

 

「か、かか、かたくちいわしっ、そ、それを、どど、どうするきだ!?」

 

 これを持ってルシアを追いかけ回したら面白そうだが……本気で泣きそうだからやめておくか。

 

「外に捨ててくる」

「虫にまで温情をかけるのか、貴様は? なんとも物好きな……」

 

 俺じゃなくて、ここの家主がな。

 

 さて、捨てるといっても、こいつを持ってフロアに戻ることは出来ない。衛生面もさることながら、このグロテスクな見た目は飯を食う場にはそぐわない。

 酔っぱらった客がこいつを見てリバースでもしたら大惨事だ。

 なので、風呂から裏庭へ出ることにする。

 

「俺が出たら、このドアの鍵をしといてくれ」

「と、遠くへ捨ててくるのだぞ! もう戻ってこないように!」

「へいへい」

「四十一区辺りへ!」

「そこまで行けるか!」

 

 泣きそうなルシアの顔をもう一度見て――もう二度と見られないかもしれないしな――俺は脱衣所から外へ出る。

 ギルベルタが施錠したのを確認して、息をつく。

 

 あのルシアが、あんな可愛い悲鳴をねぇ。

 

 ジネットもマグダも虫をまったく怖がらない。

 だからなんだか新鮮だったな。俺の背中で震えるルシアは。

 

「……くくっ。女の子だな」

 

 頬を緩むままにして、次のドアを目指す。

 風呂場を取り囲む目隠しの塀。そこのドアを越えれば裏庭だ。

 

 いいものを見せてくれたこのムカデ・レベルMAXを、外の世界へ返してやるとするか。

 

 

 

 

 

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