「間もなく到着です、目的地に、ルシア様」
木塀に挟まれた細い路地を進み、間もなく大きな通りに出そうだというところでギルベルタがそんな報告を寄越す。
この路地を抜けた先に、目当てのアゲハチョウ人族がいるのだろう。
路地の向こうに、立派な門が見えてくる。
それに守られるように、大きな平屋がその向こう側に建っている。
平屋ではあるが、横に広い。大昔の豪華な日本家屋を思い出させる造りだ。
「アゲハチョウ人族のシラハを憐れんだ同族が寄付を募り、この屋敷を贈ったのだ」
誰に言うでもなく、全体に聞かせるようにルシアが言う。
人間に傷付けられ、この地へと戻ってきた娘を憐れんで、仲間たちがこの豪華な家屋敷を贈ったのか……なんだか、スケールのデカい話だが、……あんま気持ちのいい話じゃねぇな。
同情が金になり、金で心を癒そうって手法だ。
けど、本当の傷は金では癒せない。
むしろ、下手に金があると虚しさと寂しさが募ることだってある。
時には、何もかも忘れて仕事に没頭する方が楽な時だってあるのだ。
なんというか、こんなデカい家屋敷を送りつけられたりしたら……
『お前はそこから出てくるな』
……そう言われてるような気が、しないでもないんじゃねぇかな。
そんなことを思ったのは、古いながらも豪華な屋敷の周りが、あまりにも静まり返っているからかもしれない。
大きいが故に、古びた佇まいが……寂しく見えた。
「大きな家ですね……」
アゲハチョウ人族のシラハなる人物の家を見つめ、ジネットがポツリと呟く。
その声はどこか儚げで、憐れんでいるように聞こえた。
広い家で、一人寂しく暮らしていたジネットだからこそ、何か感じるものがあったのかもしれない。
「なぁ、ギルベルタ。そのシラハってヤツは、ここに一人で住んでるのか?」
「その通り、書類上は。しかし、そうでもない、実情は」
「どういうことだ?」
「交代で複数が訪れている、毎日、アゲハチョウ人族の者たちが」
この家はシラハだけが住む家だが、シラハを一人にしないように同族のアゲハチョウ人族たちが交代で世話をしに来ている……ということか。
「至れり尽くせりというか……」
まるで監視されているようだと、俺は思ってしまった。
「誰デスカ?」
不意に頭上から声を掛けられた。
見上げると、門の上に一人の少女が立っていた。
背中には、アゲハチョウの羽が生えている。
目が覚めるような鮮やかな黄色に、黒いラインが美しい模様を描き出している。
大きくも繊細なその二対の羽は、とても立派だった。
「立派なもんだな」
「ワタシが登場したのに無視して門の話デスカ!?」
「『立派な門』って言ったんじゃねぇよ! お前のことを言ったの!」
憤慨して門を踏みつけるアゲハチョウ人族の少女。
地団駄を踏む度に、推定Eカップの膨らみがゆさゆさと揺れる。
「落ち着くがいい、ニッカ。おっぱいの話をしているのだ、友達のヤシロは」
「違うわっ!」
「貴様っ! カタクチイワシの分際で、私の区の領民になんと不埒なマネをっ!?」
「だから違うつってんだろ!」
「ヤシロ。この街には『精霊の審判』っていうものがあるんだよ……」
「嘘じゃねぇよ! 信じろよエステラ!」
「ですが英雄様。彼女の胸は確かに立派ですよ?」
「うんそうだね! 立派だね! でも、俺、今は違うところの話をしていたんだよねっ!」
「ぁの……てんとうむしさん、いつもお胸の話ばかりだから……みんな、勘違い……」
「えっ!? ミリィも!? ミリィもそう思ったの!? 地味にショックなんだけど!?」
なんだろう。初めて見る綺麗な羽を素直に褒めたらボッコボコにされたこの感じ。
泣いてもいいかな?
「あの、みなさん」
こういう時に、いつも俺のフォローをしてくれるジネット。今回も、ちょっと困った顔をして割って入ってきてくれた。
お前だけが心の支えだよ、ジネット。
「ヤシロさんは、たまにですが、胸以外のお話もされます。今回はその貴重な一回だったんですよ、きっと」
「それ、微妙にフォロー出来てねぇよ!?」
貴重な一回ってなんだ!?
そんなにおっぱいの話ばっかりしてねぇわ!
「……卑猥、デスネ」
「初対面でそんな蔑んだ視線を投げかけてくるのは勘弁してくれ」
全体的に誤解なのだ。
こんなにも知り合いに囲まれているのに、味方が一人もいないって逆にすごいわ。感心するね。
泣いていいかな?
「ニッカよ。この者たちが、知らせておいた客人たちだ」
「この者たちがデスカ?」
ニッカと呼ばれたアゲハチョウ人族の少女が警戒心剥き出しの目で俺を見つめる。
「この、あからさまに怪しい男がカタクチイワシだ」
って、コラ。
そんな紹介の仕方があるか。
「イワシが来るのではなかったのデスカ?」
「お前本当に『カタクチイワシが来る』って伝えたのか!?」
え、バカなの!?
バカだよね!?
なんでバカなの!?
「ふむ……伝聞とは、正確に伝わらんものだな」
「お前の言い方だ、問題なのは!」
「オイ、カタクチイワシッ!」
ニッカが俺を指さして怒り顔で叫ぶ。
浸透しちゃったよ、その呼び名……
「ルシア様に無礼を働くと、ワタシが許さんデスヨッ!」
威嚇するように、ニッカが羽を大きく広げる。
そして、すばやくその羽をはためかせた。
「鱗粉で目をしぱしぱさせてやるデスヨッ!」
「やめろ、煩わしいっ!」
地味にイライラする攻撃だ。
「うむ……目がしぱしぱするな」
「するです、私も、目が」
つか、その領主と側近にまで被害が及んでんじゃねぇか。
誰が無礼って、一番はお前だな。高いところからしゃべってるしよ。
「やめるのだ、ニッカ。この者たちは客人だ。シラハに会わせてやってくれ」
「し、しかしデスネ……」
ニッカが俺へと視線を向ける。
鋭さが増し、憎しみすら浮かんで見える。
「この者たちは人間デスヨネ? カタクチイワシならばと面会を許可したデスガ、人間であるなら話は別デスネ!」
人間に対する私怨は、相当根深いらしい。
「人間は卑怯でズルくて汚くて臭いデスネ!」
「お前んとこの領主も人間だけどな」
激昂するニッカに向かって、一言だけ言葉をくれてやると、ニッカは口を閉じ黙り込んだ。
額にじっとりと汗が滲む。
「…………ル、ルシア様以外は、デスヨ」
「ちなみに、ここに四十二区の領主がいる。こいつも人間だ」
と、エステラをニッカの前へ押し出す。
領主という言葉が効いたのか、ニッカは目を泳がせた。
「…………領主は、別枠デス」
「ちなみに、こっちの可愛らしい女の子も人間だ」
「ふぇっ!? か、かわっ!? ぅぇえっ!?」
ジネットをそう紹介したところ、ジネットが奇声を上げ狼狽し始めた。
……いや、そこでそんな風に照れないでほしいんだが……ほら、話の流れ的にさ…………
「……照れてる様が、なんか、可愛いデスネ…………」
しかし、そんな狼狽が功を奏し、ニッカの毒気は完全に抜かれたようだ。
「ニッカよ。人間にもいろいろいるのだ。ひとくくりにして毛嫌いするのはよせ」
「…………し、しかしデスネ………………はいデス。以後気を付けるデス」
門の上でニッカがうな垂れる。
ルシアの言葉に反論できず、自分の負けを認めたのだろう。
まぁ、そこに持っていったのは俺だけどな。
「けど、カタクチイワシだけは臭いデス!」
「うむ。それには同意だ」
「おい、コラ、テメェら!」
いい加減殴ってやろうか、この領主。ついでにアゲハチョウも。
ここぞとばかりに同調しやがって。
「あ、あの。ヤシロさんは、特ににおいませんので、お気になさらなくても平気だと思いますよ?」
うん。ジネット。
そこで優しく慰められると、俺がすごく気にしてる人みたいに見えるじゃん?
ありがたいんだけど、やめてくれるかな? 優しさは分かるんだけどね。
「まったく、お前らのせいで散々だ! いい加減にしないと揉むぞ!」
「……怒る時までヤシロはヤシロなんだね……」
エステラのため息を無視して、俺はニッカを指さす。
「お前は胸をっ!」
そして、ルシアを指さす。
「お前は尻をっ!」
「……なぜ、私は胸ではないのだ? ん? 何か理由があるなら申してみよ。ん?」
「黙れ。推定Bカップ。自分の胸に聞いてみろ。その推定Bカップの胸になっ!」
「よかろう! エステラ、戦争だ!」
「待ってください、ルシアさんっ!? ヤシロ! 今すぐ取り消してっ!」
「黙れ。公認Aカップ!」
「よぉし、戦争だっ!」
エステラとルシアが堅く手を取り合う。
四十二区と三十五区の連合軍が誕生した瞬間であった。
「アホなことやってんじゃねぇよ。領主が二人揃って」
「アホの元凶は君だからね、ヤシロ!?」
「まったくだ。話の腰を折るでない、カタクチイワシッ!」
すごく無駄なことで時間を浪費してしまった。
俺は無駄と浪費が何より嫌いだってのに。
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