大きな門をくぐり、寂れた庭を進む。
ずっと閉じこもっているなら庭くらい綺麗にしておけばいいのに、と思う。
ミリィを見ると、俺と同じようなことを考えているのか、閑散とした庭を見て寂しそうな表情を浮かべていた。
「あまりキョロキョロするなデスヨ」
俺にだけ厳しい言葉を向け、ニッカが先頭を歩く。
古い木戸を引き、平屋の中へと誘われる。
靴は脱がず、廊下へと上がる。床が軋みを上げる。
時間が止まっているかのような静けさの中、床の上げる軋みだけが聞こえる。
建物の奥へと案内され、大きな木戸の前に立たされる。
「この部屋が、シラハ様の部屋デス」
俺に冷たい視線を寄越し、ニッカが木戸に手をかける。
ゆっくりと開かれた木戸の向こうに、そいつはいた。
大きなアゲハチョウの羽を背中から生やし、触角を揺らして食事をする一人の老婆……
「はぁぁあ……ラード最高だわぁっ!」
ぶっくぶくに太ったババアが、見るからにギットギトの汁物を豪快に一気飲みしていた。
「お労しいデス、シラハ様……っ」
「いやいやいや! メッチャ幸せそうですけどっ!?」
傷付き、暗い部屋で泣き濡つ薄幸の美女を想像してたのに……期待外れもいいとこだっ!
「ん…………あなたたちは……」
シラハの開いてるんだか閉じてるんだか分からない、頬肉に埋もれた目がこちらを向く。……おそらく向いているのだろうと思われる。顔の向きと首の角度から推察すると、十中八九こちらを向いているはずだ。
ジッと俺たちを見つめた後、シラハは開閉に余分なエネルギーを浪費しそうな肉のつきまくった頬を動かして口を開く。
「おかわりの人かしら?」
「違ぇよ!」
まだ食う気か、このババァ!?
「……あげないわよ?」
「いらんっ!」
誰が、そんな見るからに肝臓に悪そうな油汁を欲するか!
「何者ダゾ、貴様!?」
ついつい声を荒らげてしまったからだろう。シラハの隣に控えていたアゲハチョウ人族の男が俺に向かって走ってきた。
いや、アゲハチョウ人族っていうか…………
「アゲハチョウの幼虫人族か?」
「誰が幼虫ダゾっ!?」
そいつの顔は、100%混じり気無しのイモムシだった。
その証拠に、怒った拍子に鼻付近から黄色い枝状の臭いヤツ――臭覚を突き出してきやがった。
部屋の中に腐ったミカンのような悪臭が立ち込める。
「臭い角を出すな、イモムシ!」
「アゲハチョウ人族ダゾ! 子供扱いすると承知しないダゾッ!」
いやいや。子供じゃん。
サナギになる前じゃん。
「カールは今年成人を迎えた大人デスネ! 無礼は控えるデスヨ、カタクチイワシ!」
「ぷっ。カタクチイワシだって……変な名前ダゾ」
「黙れ、イモムシ」
口を押さえてケタケタ笑うイモムシはカールという名前らしい。
成人を迎えるってことは今年で十五になるのか。……ロレッタの一個下か。
虫人族って、幼体からサナギを経て成虫になるのかな?
あとでエステラかウェンディにでも聞いてみるか。
「で、このタガメ人族のババアがシラハなのか?」
「アゲハチョウ人族デスネッ!」
「誰がタガメダゾ!? 失礼ダゾッ!」
その発言はタガメ人族に失礼だろう。……いるのかどうかは知らんが。
しかし、見事なまでにまん丸だ。
顔だけ見りゃパグみたいだな。
「とりあえず、エサを取り上げろよ。これ以上食わせるといろいろヤバイぞ」
「バカ言うなデスッ! 傷心は食を細らせ命をも奪う恐ろしいものデスネッ! シラハ様には、無理にでも食べていただかないといけないのデスッ!」
「誰の食が細くなってんだよ!?」
ぶっくぶくじゃねぇか!
「ため息の回数が、最近増えてきたデスヨッ!」
「食い過ぎて胃もたれでも起こしてんだろうが、どうせっ!」
今さっきもおかわり欲してたしねっ!
全然細くなってないよ、食も体も神経も!
「心なしか、またおやつれになったような気がするデスネ……」
「気のせいだっ! あり得ねぇよ!」
お前の神経の方が衰弱しちゃってんじゃねぇの!?
幻覚見えてるよ!?
「シラハ様は、ご覧の通り心も体も傷だらけなのデスヨッ!」
「ごめん。かすり傷一つ見つけられねぇ……」
「触角を見るですっ!」
言われて、シラハの触角を見つめると、右の触角が左よりも短かった。半分くらいのところで切れてしまっているようだ。
「あぁ、お労しいデス、シラハ様…………触角を失ったせいで、もう飛ぶことすら出来なくなって……」
「いや、飛べないのは他にも理由があると思うぞ」
あのウェイトで空を飛べる生き物なんか見たことない。
「どうデスカ!? お会いするだけで、心が張り裂けそうになったデスヨネッ!?」
「ごめん。どっちかって言うと笑いそう」
俺たちが話をしている間も、シラハは皿に盛られた揚げ饅頭のような物体を「もっちもっちもっちもっち」と食い続けていた。
なんて幸せそうな顔で食いやがるんだ……つい、エサを与えたくなってくる。俺、意外とパグとか好きだし。
「シラハ。久しいな」
ルシアが、頑丈な椅子にどっしりと座るシラハに近付いていく。
立てよ、ババア。曲がりなりにも領主が訪ねてきてるんだからよ。体にムチ打ってでも立ち上がれや。
「………………?」
シラハはルシアをじぃ~っと見つめた後、油汁が入っていた空の器を差し出した。
「おかわりの人ね?」
「違うぞ、シラハ。領主のルシアだ」
「あらあら。ルシアちゃんなの? まぁ~、大きくなったのねぇ~」
「……そこまで久しい再会でもないだろう。先月顔を合わせたはずだ」
このババア、ボケ始めてるのか? それとも、食い物以外のことに興味がないのか…………たぶん後者だな。
「今日は客人を連れてきた。他区の者なのだが……ウェンたん」
「は、はい」
名を呼ばれ、ウェンディがぎこちない動きでルシアの隣へ小走りで駆けていく。
「このヤママユガ人族の娘が、この度人間と結婚することになったのだ」
「あらっ、まぁ……」
シラハは目をまん丸く開いてウェンディを見つめる。
マシュマロみたいな両手を口に当てて――食う気じゃないだろうな? 食いそうに見えて冷や冷やするな――驚きの表情を浮かべる。
「あなた……」
「は、はい。ウェンディと申します」
「私の若い頃にそっくり」
満面の笑みで言うシラハ。
一瞬「パチィッ」と発光するウェンディ。
「こ、光栄です」
嘘吐け!
今、一瞬「えっ、マジでっ!?」ってショック受けたろう!? 受けたよね!?
「それで、少し不安になったのかしらねぇ?」
ウェンディの手を取り、両手で優しく包み込む。シラハの行動は、幼い子をあやす時のように、穏やかで包み込むような優しさに満ちていた。
気遣うような視線を向けられて、ウェンディははっきりと首を横に振る。
「いいえ。不安はありません。私は、セロン……彼を信じていますので」
「そう……」
たっぷりと息を吸い込み、ゆったりと吐き出す。
シラハの大きなおなかがそれに合わせて大きく膨らみ、しぼんでいく。
「…………そうなの」
発せられた言葉は、どこか幸せそうな響きを含んでいると、俺には思えた。
「どうしてウェンディちゃんをここへ連れてきたのかしら、ルシアちゃん?」
ルシアは、シラハにちゃん付けで呼ばれることに不快感を示していない。領主を一般人がちゃん付けしているにもかかわらずだ。
これも、かつて亜種と呼ばれた者たちに対する配慮なのか。それとも、幼い頃から気心の知れた付き合いをしてきたからか……
シラハの前では、ルシアも一人の少女のように見えた。
「話を聞かせてやってほしいのだ。シラハが体験したことと、その時に思ったことを……」
「聞かせて、どうしたいの?」
「…………」
シラハの問いを受け、ルシアは一度口を閉じる。
そして、ウェンディに向かって真剣な眼差しを向ける。
シラハに手を握られ、ルシアに視線を注がれ、逃げることも出来ずにウェンディはオロオロと視線を行き来させる。
「…………あとのことは、その者が考えるだろう。その考える機会を、与えてやってほしいのだ」
「そう…………そうなの」
ルシアとシラハ。二人の中で会話が完結したようだ。
シラハは首を持ち上げてこちらに視線を向ける。
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