「ヤシロちゃん、ヤシロちゃん」
花のカップを握りしめて、シラハが俺の前へとやって来る。
何かを頼みたいって顔だな、アレは。
「またおかわりか? 折角痩せたんだから、少しは我慢を……」
「ううん。ちょっと残っちゃったから、代わりに飲んでくれない?」
「…………………………は?」
「もう、おなかいっぱいで飲めないのよ」
……………………………………えっ?
「えぇっぇぇええええぇぇぇえええぃぁぁあああああぅぇぇええっ!?」
「なぁに? そんなにおかしいかしら?」
「おかしい! 病気か!? 死ぬのかっ!?」
「大袈裟ねぇ。ちょっとだけ、量が多かっただけじゃない」
シラハの口から、「量が多い」っ!?
天変地異の前触れか!?
精霊神め、何を企んでやがる!?
「うふふ。ヤシロちゃん、面白いお顔ねぇ」
「いや、それは前からだけど……驚きだよね、ヤシロ」
「さらっと暴言吐いてんじゃねぇよ、エステラ」
誰の顔が前から面白いか。
「やっぱり、お婆ちゃんの飲みかけは嫌よねぇ」
「いや、別にそんなことはないぞ」
「むしろ大喜びかっ!? カタクチイワシ、貴様っ、年配の方までそういう対象にっ!?」
「アホか!? いや、すまん。アホなんだったな」
まったく、大丈夫なのか、三十五区の領主は!?
「ルシアさん。さすがにそれはないですよ」
「エステラよ。そなたはカタクチイワシを信じるというのか?」
「信じるというか……ヤシロはDカップ以上のおっぱいにしか興味を示しませんので」
「おっぱい基準か!?」
あぁ、残念。
ウチの領主もアホだった。
「変に意識してねぇから、気にもならねぇって言ってんだよ。ったく、シラハ。残ったやつを寄越せ。飲んでやるから」
アホ領主を放置して、少食になったシラハの残りをいただく。食い物は粗末にしちゃいかんからな。
そう思って手を出したのだが……シラハが花のカップを抱きかかえてしまった。
「ヤシロちゃん……私、人妻だから、そういうのは……」
「変に意識し始めてんじゃねぇよ! ないから! 絶対ないから!」
ルシアたちの悪言により、シラハまでもがおかしくなってしまった。
なんで三十五区に来てまで風評被害を撒き散らされねばならないのか……
「ヤシロ様、三十五区の花園(恋人たちのメッカ)にて、人妻(品のあるババア)にセクハラを試みるも、見事に玉砕。フラれる…………っと」
「おぉいっ! そこの風評被害を撒き散らす気満々の給仕長! 悪意ある偏向報道はやめてもらおうか!」
あと、さらっと「ババア」とか言うな、な? 俺はいいけど、お前は我慢しろ。立場的に、な? 分かるよな?
「じゃあ、ジネット。シラハの残り、飲めるか?」
「えっ……あの、すみません。わたし、先ほどまでお昼ご飯の準備をしていまして……今はあまりおなかが……」
ジネットは、料理を作るとなんとなく食べた気になってしまうタイプなのだ。
だから、賄いでも一番後に食べることが多い。だいたい、俺やマグダが腹を空かせて先に食っちまうからな。
時には、夕方近くまで昼飯を食わない時もあるほどだ。
基本的に、そんなに食べる方でもないんだよな、ジネットは。
「じゃあ、エステラとかルシアとか……」
「ボクも、ちょっと……さっき飲んだばっかりだし……」
「私も、いささか飲み過ぎてしまってな」
「ナタリアは……」
「初対面のババアの飲みかけなど御免ですね」
「言い方っ! そこらへんデリケートな部分だからちゃんとして!」
再教育が必要だな! エステラにやらせよう。
だが、それは後日だ。
「んじゃ、カブリエルかマルクスはどうだ? ……あれ? あいつらは?」
「シラハさんの痩せた姿を見て放心しちゃったみたいだよ……」
エステラがアゴで指す先に、花に埋もれて魂の抜けたような顔をさらしているカブリエルとマルクスがいた。花に囲まれて、ご出棺直前みたいな感じになってるぞ。
そんなすっ転ぶほどビックリしたのかよ。
「シ、シラハ様が、ぎりぎり上限ストライクゾーンに入ってきた……だと?」
「お、俺もです……割と、有り……です」
えぇ……お前ら、熟女マニアなの……上限、高過ぎるだろう。
「ちなみに、カブリエル、下はいくつまでOKだ?」
「四十八」
「高っ!? 上過ぎるだろう!?」
下過ぎるハビエルよりかはまだマシだけれど! 犯罪にならない分ね!
「マルクスは?」
「きゅ……九歳、です」
「なんでもありか、お前は!?」
カブリエルよりも上限が上で下限が一桁って……もはや、外れる人は一人で生きていけない人だけなんじゃ……
「やだ、もう……私、人妻なのに、そんな話して…………主人に悪いわ」
「満更でもなさそうなニュアンスを醸し出すな!」
「三人の男が私を取り合い……」
「俺をその中に入れるなっ!」
「けど、私はあの人が一番で唯一だから、三人とも、ごめんなさいね」
「ヤシロ様。二度目の失恋」
「失恋じゃねぇよ、ナタリア!」
なんで俺がシラハに二度もフラれたことにされなきゃいかんのだ。
甚だしく心外だ!
「まぁ、そう気を落とすな、カタクチイワシ……」
「初めて優しくする場面が今っておかしくねっ!?」
俺の背中をぽんぽんすんじゃねぇよ!
泣いてねぇよ!
「シラハは既婚者だからな、お前の望みを叶えてやるわけにはいかんが……」
「俺はシラハに何も望んじゃいねぇよ」
強いて言えば、痩せてさっさとオルキオとの仲睦まじさを世に知らしめてほしいってことくらいだ。
「だが、私が口添えをしてやれば、飲みかけの蜜くらいは、領主の権限をフル活用すれば……万が一ということがある。力を貸してやろうか?」
「そうまでして飲みたいって、俺がいつ言った!? 言ってないよね!?」
「本来はあってはならないことなのだが、今回だけは特別にっ!」
「テメェ、絶対面白がってんだろ!?」
「にやにや……なんのことかな? にやにや」
「ヤな領主だな、ここの領主は!」
なんだろう、一切仲良くなれる気がしない。
ここまで相性の悪いヤツも珍しいってくらいに分かり合えそうにないな!
「ヤシロちゃん……そうまでして、私の飲みかけを……」
「誰か一人くらい、まともに俺の話を聞いてくれぇ!」
ジネットに助けを求めるが、ミリィと二人並んで苦笑いを浮かべるだけだった。
そうだよな。こいつら、面白がってるだけだもんな。……シラハ以外は。
シラハだけが真に受けてるってのが性質が悪い……
「カタクチイワシィィィイッ! お前、シラハ様に何してるデスカ!?」
怒気を孕んだ声を響かせ、ニッカが猛スピードで空を飛んでくる。
……訂正。
地面から20センチほど浮いてこちらへ突っ込んでくる。
こいつら、本当に高く飛べないんだな…………
「清純なるシラハ様に不届きを働くと承知しないデスヨッ!」
「不届きを働いてたのは俺の周りにいる権力者どもだよ……」
俺は被害者。
まぁ、聞く耳持ってくれやしないんだろうけどな。
「聞く耳持たないデスネッ!」
「うん。だと思った。知ってた知ってた」
「シラハ様の飲みかけをぺろぺろしたいとか、全身に浴びたいとか、気持ちの悪い発想はやめるデスヨッ!」
「お前も重病だな!? いい薬剤師紹介しようか!? 腕以外はとてつもなく残念な逸材だけど!」
気持ちの悪い発想をしてるのはお前だ。
……飲みかけを浴びて、何すりゃいいんだよ? 想像の範疇を超えてるよ…………
「さぁ、シラハ様! こんな危険な男から早く離れるデスヨ! 近くにいるだけで穢れがうつるデスカラッ!」
「でも、でもね……、ヤシロちゃんは、私のためにいろいろ考えてくれた優しい人なのよ。それに……」
すっかり細くなったシラハの腕が、しっかりとジネットの手を握る。
「私を、あの頃の私に戻してくれたジネットちゃんの大切な人でもあるのよ」
「ぅぇえぇえええぃっ!?」
ジネットが奇声を上げる。
なんか、チャラい大学生みたいだな。「うぇ~い!」って。
「シ、シシシ、シラハさんっ!? な、なに、なに、なにをっ、おっしゃしゃしゃしゃっ!?」
「あら? ヤシロちゃん、いらない子?」
「いえ! 大切ですよっ!? とても大切な方です! はい、間違いなく!」
ジネットがチラチラとこちらに視線を飛ばしてくる。
「他意はないんですよ」と、必死に言い訳しているような目だ。
分かってるよ。変な勘違いはしないさ。
ただな……ちょっとだけ俺、向こう向くな。深い意味はないから。
「ぷーっくすくす! カタクチイワシはいらない子デスネ」
「そこは否定されたろう!? 聞いとけよ、ちゃんと!」
「そうよ、ニッカ。ヤシロちゃんは、大切な人なの。私にとってもね。だから……」
俺をフォローし、俺の敵(ニッカ)を嗜めるシラハ。
あぁ、味方なんだなぁ、と油断したところで、花のカップが俺へと差し出される。
「だから……浴びても、いいわよ……ぽっ」
「『ぽっ』じゃねぇわっ!」
いつの間に浴びることが決定したの!?
食べ物を粗末にするなっつう話だったはずなんだけどな!?
あぁ、もう面倒くさいから捨てちまおうかな……
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