「ぐふぅー…………ッス」
マグダの笑みを見て、とあるキツネの棟梁が息を引き取ったが、まぁ、気にするほどのことではない。
つか、いたのかウーマロ。
お前を認識したのが別れの瞬間だとはな。
……美女が多いからって存在感消してんじゃねぇよ。
「ウチ、そんなに他人のニオイついとんのんかぃな?」
自分の腕に鼻を近付けてすんすんとニオイを嗅ぐレジーナ。
「どれどれ?」
「店長はん、連れて帰ってんか」
「もう、ヤシロさん。めっ、ですよ」
手伝ってやろうとしただけなのに。
「……きっと、他の人には分からない」
「アタシも鼻はいい方だけどね、そこまではっきりと誰のニオイかまでは分からないね」
メドラでも分からないらしい。
まぁ、メドラは五感から得る情報とかなくても敵を粉砕できる拳を持っているからな。
繊細さという面では他より劣るのかもしれない。
「……でも、マグダには分かる。ママのニオイは……」
嬉しそうにはにかんでマグダが呟く。
が、すぐにはっとして、俺たち一同を見渡し、咳払いをする。
「……ママ親のニオイは」
「いや、別に言い直さなくてもいいだろうに」
照れるようなことかよ。
ママって呼んでても変じゃねぇよ、マグダなら。
「それでマグダっちょ。お手紙には何が書いてあったです?」
「……宛名と差出人の名前が」
「封筒じゃなくて中身にですよ!?」
マグダが少しずつ落ち着いてきたようだ。
それでも、若干嬉しそうに見えるのは俺の気のせいではないだろう。
「……まず、すぐに帰るという約束を破ってしまったことの謝罪が書かれていた」
当初、マグダの両親はすぐに帰ってくるはずだった。
だが、それが出来なくなってしまった。
「……そして、離れていても、毎日マグダのことを想っていると。今でも世界で一番愛していると書かれていた」
マグダの両親も、マグダと同じ気持ちでいたのだろう。
幼い娘を一人残して、さぞ不安だったことだろう。
「……不安だけれど、支部長の息子は頼りになるから、きっと面倒を見てもらえていると信じている、と書かれていた」
「……ぅぐっ!」
ウッセが唸った。
だよなぁ?
お前、マグダのこと散々いじめてたもんなぁ?
「……何があろうとマグダを守ってくれていると信じているが、もし万が一にもマグダに酷い仕打ちをしているのであれば――消す」
「ひぃっ!?」
「――と、書かれていればよかったのに」
「書かれてなかったのかよ!? よかったぁ! マジで命拾いした! あの人、娘のこととなると人が変わったようにおっかなくなるんだよな!」
マグダママは相当怖い人物らしい。
たしか、腕前はそこそこだが優し過ぎて狩人としてはイマイチ――とか言ってたような。
まぁ、マグダを溺愛しているようだから、怒らせると怖いのだろう。
「親父が言ってたぜ。『あいつは優し過ぎるせいて狩人としての成果はイマイチだが、腕前は相当なものだ』ってな。俺も一回、赤ん坊だったマグダを泣かせて殺されかけたことがあるんだが……」
お前、そんな昔からマグダをいじめてたのかよ。
よくそれで信用を勝ち取れたな。
「あの時の迫力たるや……もしかしたら、デリアやノーマでも歯が立たないかもしれねぇぞ」
「なんだと、ウッセ? そんなの、やってみなきゃ分かんないだろ!」
「……へ~ぇ、面白いじゃないかさ」
待て待て待て!
なに殺気立ってんだよ!
戦わなくていいから!
「……その二人なら、マグダでも余裕」
「いや、待てよマグダ! あたいだって、本気を出したらそう簡単には負けねぇぞ!」
「勝負の種類によっては、アタシでもなんとか出来るさね」
「……なら、やってみる?」
だから殺気立つなっつーのに!
お前らがぶつかると、誰かが血を見るんだからよ!
「……勝負方法は、可愛い対決。……だ、にゃん」
「可愛さが天井知らずッス!」
ほら、ウーマロが吐血した。
な? 血を見るだろ?
「あたいだって負けねぇにゃん!」
「その勝負、受けてやるにゃん」
やめろやめろ、デリアにノーマ。
お前らが張り合うと――
「それじゃあアタシも参戦す・る・にゃん☆」
「「「「ごふぅうう!」」」」
――メドラが参戦しちゃうから。
あ~ぁ、ウッセを始め狩猟ギルドの男衆が軒並み血反吐を吐いて倒れちまったじゃねぇか。
「それでマグダ。両親は無事だって書いてあったのかい?」
「……肯定。安全ではないものの、一緒にバオクリエアに行った者たちは全員無事と書かれていた」
「そうかい。…………よかった」
メドラが呟き、目頭を押さえる。
責任者として、こいつもいろいろ背負っていたんだろうな。
「……親父。よかった」
『メドラだにゃん』を喰らって絶命したかに思えたウッセも、まぶたを閉じて思いを馳せている様子だ。
「――おそらく、メドラだにゃんを脳内で反芻しているのだろう」
「違うわ、ボケ! おぞましいこと言うな!」
「なら、もっと間近で見るかにゃん……?」
「ぎゃぁぁああ、やめてママ! こんな近距離で見たら死んじゃう!」
ウッセのせいで感動の雰囲気がぶち壊しだ。
だがまぁ、なんだかみんなほっとした顔をしている。
「……ただ、まだしばらくは帰れないとも」
「バオクリエアで何者かの脅威にさらされてるんだね。なんなら、今度はアタシが乗り込んで連れて帰ってきてやってもいいよ」
「……それはダメ。ママ親が『ギルド長だけは動かないようにと伝えてほしい』と書いている」
「なぜだい?」
メドラが動けば、必ずマグダの両親たちを連れ戻せるだろう。
「……そうすると、戦争になる」
怪人メドラの名前はバオクリエアにも轟いているらしく、そんなメドラが救出作戦でバオクリエアへ乗り込めば『オールブルームからの侵略』と見做されるということらしい。
まぁ、もしメドラが太平洋を渡ってきたら自衛隊は魚雷を撃ち込むだろうな。
「……ママ親たちは、ある重要人物の側にいて、その命を守っている。それは、第一王子にとっては目障りなもので、ママ親たちはオールブルームからの工作員としてバオクリエアの騎士団に敵視されている」
「騎士団っていうのは、第一王子派のか?」
「……違う。現国王の」
「その話はウチも聞いたわ。王族の命を狙う賊が王都に潜伏しとるいぅて、王国騎士団が仰山うろついとった。……そうか、あれは狩猟ギルドの人らぁを探しとったんか」
レジーナが言うには、凶悪犯が紛れ込んでいるかのような厳戒態勢だったそうだ。
第一王子あたりの工作が見事にハマっているのかもしれない。
「第二王子は何も言わないのかよ? 第二王子が要請して派遣されたんだろ?」
「……第二王子派の中に、相当数の間者がいる模様。第二王子が動けばママ親やオールブルームに危険が迫る可能性が高い」
仮に第二王子が狩猟ギルドの者たちを庇えば、それは「味方である」という宣言となり、第二王子は国王暗殺を目論んで他国の刺客を手引きしたことにされると。
何度か現国王に事情を説明しようと試みたが、そのことごとくを第一王子に潰され、しかも第二王子の計画を悪用され、罠に嵌められたこともあるそうだ。
そのせいもあり、狩猟ギルドの面々の印象は現状最悪な状態なのだとか。
「……第二王子派の情報がすべて第一王子に筒抜け。誰が敵か味方か判断できないとママ親は警戒している」
「それじゃもしかして、レジーナが戻ったことも筒抜けに?」
「まぁ、遅かれ早かれそれはバレたやろうけど、たぶん、ちゃうねん」
レジーナが言うには、第二王子派にいるとされる間者は、何も第一王子派というわけではないらしい。
「あくまで第二王子派でありながら、オールブルームを敵視しとる層もおるんや。第二王子を国王にした上で、オールブルームを攻め滅ぼそうっちゅう層がな」
そんな連中は、オールブルームからやって来て、第二王子勅令の特別任務に就いている狩猟ギルドの面々が気に入らなかった。
その憎い敵を排除するためなら、第一王子と通じることをも厭わない。
そんなヤツが少なくない人数いるのだとか。
……第二王子派も危険だな。
レジーナが第二王子派でもないって言ってた理由がちょっと分かったぜ。
「……信じられるのは第二王子のみ。側近も信用できないと、手紙には書かれていた」
「第二王子は信用されてるんだね」
エステラの呟きを拾ったのはレジーナだった。
「まぁ、あの人は争いには向かへん温和な人やさかいな。あの人が国王になれば穏やかな国になるやろうけど、優しさは狡賢い連中につけ込まれやすいからな」
トップが素晴らしくとも、家臣が軒並みクズなら、その国はクズ国家になる。
「あと、その狩人はんらぁが守ってるんが、第二王子の一人娘っちゅうんが決定的なんやろうな」
マグダの両親たちは第二王子の娘を守っているのか。
じゃあ、狩猟ギルドを裏切ることは、娘の命を捨てるのと同義だ。
それは、信用していると言えるのか微妙だが。
「……その娘はとてもいい子で、狩猟ギルドのみんなは『この子なら』と護衛を続けているらしい。『絶対に死なせてはいけない』と」
そう言ったマグダを、ジネットがぎゅっと抱きしめる。
帰ってこない母親が、別の娘のために戦っているってのは、確かにマグダにしてみれば寂しいことかもしれない。
「……平気。マグダには店長たちがいるから」
「はい。でも、もう少しだけ」
マグダに言われても、ジネットはマグダから離れなかった。
マグダの尻尾もまた、ジネットに寄り添って離れようとしなかった。
「……その娘が第一王子の手に落ちれば、バオクリエアはオールブルームに攻め込んでくる」
「せやね。第二王子を封じられたら、現国王の暗殺も容易やしね」
政敵がいなくなれば、第一王子はやりたい放題ということか。
そうなれば、オールブルームへの侵攻は早々に開始されるだろう。
「……ママ親は第一王子をとにかく危険視している。けれど、こちらから手を出すことも出来ず歯がゆいと書いてある」
狩猟ギルドが第一王子を暗殺すれば、第一王子派が「弔い合戦だ」と決起し、オールブルームを侵略者と糾弾して攻め込んでくるだろう。
また、第二王子の娘を奪われた場合も、歯止めがなくなった第一王子がオールブルームに攻め込んでくるに違いない。
さらに、自分たちの悪評が広められたせいで第二王子と接触することも容易ではなくなった。第二王子と他国の間者と噂されている自分たちが懇意にしていれば、「第二王子は国家転覆を目論んでいる」と言われ、第一王子は正義の名の下にオールブルームに攻め込むだろう。
もっとしっかりしろよ、第二王子。
押されっぱなしじゃねぇか。
あからさまに弱点となる娘なんて作ってんじゃねぇよ。
「……母を失った一人娘が成長し、自分の意思で第一王子に立ち向かえるようになるか、第一王子派の勢力を完全に削ぎ落とすか、現国王が亡くなって第二王子が正式に王位を継ぐまでは身動きが取れない、……と、ママ親は言っている」
それは、まだまだずっと先の話だ。
それまで、マグダの両親は帰ってこられない。
「じゃあさ、その女の子と一緒に帰ってきちゃえば?」
「王族が誘拐されたって攻め込んでくるやろうね」
「もう! アタシ、第一王子嫌い!」
正々堂々、清廉潔白なパウラが一番嫌いなタイプだろうよ。
尻尾を逆立てて怒っている。
「……もう少し帰るのが遅くなることを謝っていた」
マグダの言葉に、その場にいる者は言葉を飲み込む。
なんと言ってやればいいのか。
「……けど」
けれど、マグダの声は、明るかった。
「……必ず帰るから、それまで待っていてほしい。どれだけ離れていても、マグダへの愛は少しも欠けることはないと、書いてくれていた」
その言葉が、マグダには嬉しかったのだろう。
ずっと連絡が取れなかった、大好きな母親の文字。きっとマグダの耳には声として聞こえていたはずだ。
優しく語りかけていたはずだ。
「……だから、マグダはママ親とパパ親を待っている」
こちらからの介入は難しい。
だが、無事が確認できた。
一進一退というより停滞ではあるが……
「マグダが嬉しそうで、ほっとしたよ」
「……うん。マグダは今、すごく嬉しい」
マグダは満足しているようだ。
「……寂しいけれど、でも、マグダにはヤシロや店長、ロレッタやみんながいる」
前を向いて、マグダは言う。
「……ママ親たちが帰ってくるまでに、もっと成長して、驚かせるという楽しみが今出来た」
ジネットが抱きしめ、ロレッタが飛びつき、エステラが頭を撫で、みんなが次々とマグダに群がっていく。
寂しい思いなんかさせるかよ。
お前には俺が、みんながいる。
「えぇんか、自分? もう撫でるところ空いてへんで?」
みんなに群がられるマグダを見ていると、レジーナが俺の隣へやって来た。
「構わねぇよ」
マグダも俺も、ずっとここにいるんだ。
「あとでたっぷり撫でるから」
「せやね。ほな、そんとき便乗させてもらお」
それから、「あんたは強い子だね」とメドラが泣き出し、その涙が伝染していく。
すっかり暗くなった空の下、純白の光に包まれたその光景は、なかなかに素晴らしいものだった。
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