異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

145話 彼女たちの思惑 -3-

公開日時: 2021年2月22日(月) 20:01
文字数:2,158

「……どないする?」

 

 ふらりと立ち上がり、レジーナがゆっくりと近付いてくる。

 俺の横を通り過ぎ、背後へと回る。

 

 そして、そっと……俺の肩に手を載せた。

 

「もし……一人で行くんが寂しいんやったら…………ウチがついてったってもえぇで」

 

 鼓膜を震わせるその声は、甘い蜜のように俺の背筋を痺れさせて…………脳みそをピリッと刺激した。

 はは……一瞬とはいえ……レジーナをいい女だなんて思わされる日が来るなんてな。

 

 こいつといると、きっと楽なんだろうな。

 察しがよくて、けれど何も聞いてこない。

 そして、自分のことは何も話さない。

 

 今、目の前にある物だけを見て、その日、その一日を楽しく生きていける。

 

 こいつがいれば……きっと寂しいなんて感情は、湧いてこない…………けど。

 

「……考えとく」

「ん…………そっか」

 

 肩に載っていた手が離れ、そして軽く頭をはたかれた。

「アホやな。せっかくのチャンスを無駄にしてからに」と、そう言われた気がした。

 

 カウンターへと戻っていくレジーナ。

 その背中を見つめながら、「逃げ出すのも一つの手だ」と言ったこいつの心を想像してみる。

 

 こいつはまだ、自分の行いを自分自身で許せていないのかもしれない。

 故郷を捨てたことを。

 もしかしたら、今こうして室内で燻っていることにも……

 

 レジーナの真意を知る術はない。その権利もない。

 けれど、レジーナの気持ちを慮ってやることくらいは、きっと俺にも出来るはずだ。

 

「レジーナ」

「ん? 帰るか?」

「……あぁ。そうだな」

 

 今のは、「もう帰った方がえぇんちゃうか?」という気遣いだろう。

 俺に気を遣わせないための気遣い。大した女だよ、お前は。

 

「お茶、サンキュな。すげぇ苦かった」

「ほっぺた落ちまくったやろ? 『ぽろーん』『ころんころんころ~ん!』や」

「すげぇ転がってんな、俺のほっぺた……」

 

 おむすびころりんかよ。

 

 カップをカウンターに置き、出口へと向かう。

 自然な動きでレジーナが俺についてくる。見送ってくれるのだろう。

 

 ドアを開け、外に出る……前に、俺は振り返る。

 

「レジーナ。ありがとうな」

 

 顔を見て、誠意を込めて礼を言う。

 するとレジーナは、少し驚いたように目を大きく開いて、その後困り顔で吹き出し、意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「なんやのん、改まって。気持ち悪いなぁ……お茶くらいで大袈裟やで」

「いや、お茶じゃなくてな」

「愚痴くらいいくらでも聞いたるわな。そんなもん、いちいち礼なんかいらんよ。水臭いなぁ」

「愚痴のことでもなくてさ」

「ほなら、なんやのんな?」

 

 少し照れも混ざっているのだろう。レジーナはからかうような笑みを浮かべて、軽い口調で捲し立てるようにしゃべっている。

 ジッと見つめていると、色の濃いブラウンの瞳が微かに震えていた。どうしたものかと戸惑っているようでもあり……いつもと違う雰囲気に少し怯えているようでもあった。

 そんな、澄み切った瞳を見つめて――最初で最後になるかもしれないが――心からの素直な気持ちを、こいつに告げておく。

 

 

「お前に出会えてよかった。ここにいてくれてありがとうな」

 

 

 レジーナの瞳が大きく揺らめき、そして、潤み始める。

 

「え…………っ」

 

 顔から笑みが消え、真顔になって、目尻に大きなしずくが溜まって膨らんでいく。

 

「あ…………!」

 

 慌てて反転し、こちらに背中を見せて、袖で顔をグイッと拭う。二度、三度と、何度も顔を拭う。

 

「な…………なんやねんな、いきなりっ…………ホ、ホンマ……っ……かなんなぁ、もう……!」

 

 途中、何度か声が震えて、詰まる。

 

「ウ、ウチは、ここが気に入っとんねん。別に、誰に何を言われんでも、ここにおんねん。ホ、ホコリちゃんも、ほら、おるしな、ウチ、ここにおらなアカンねん……」

 

 小刻みに肩を震わせ、少し上を向き、心臓を落ち着かせようと何度も荒い呼吸を繰り返す。

 それでも、発する声だけはいつも通り、ひょうきんで明るく、軽い口調だった。

 

「ホンマくやしいわぁ。こんなしょーもないイタズラに引っかけられて……あぁ、もう、仕返ししたろかなぁ~! せや、メッチャおもろい顔して笑い転がしたろ!」

 

 言いながら、両手で顔を覆い隠す。指先が、忙しなく何度も目尻を拭っている。

 

「この顔見たら、自分、お腹よじれて苦し~なるからな! 逃げるんやったら今のうちやで!」

 

 泣き顔を見られたくないから、さっさと帰れ……ということらしい。

 

「じゃ、尻尾を巻いて逃げるとするか。カッコ悪い負け犬にも生きる権利くらいはあるみたいだしな」

「あぁ、せやせや。せやから、早よ逃げぇ」

 

 少しの間、レジーナの後頭部を見つめて、俺は店を出る。

 

「あぁ、せや」

 

 何かを思い出したかのような声に、俺は立ち止まり、振り返る。

 

「まぁ、自分もいろいろ思うところはあるやろうから、返事はせんでもえぇんやけどな」

 

 後ろ手に、ドアノブを掴み、ゆっくりとドアを閉める。

 その間も、レジーナは一切こちらに顔を向けない。

 向けないままで、最後にこんな言葉を俺に投げかけた。

 

 

「また来ぃや」

 

 

 ぱたりと、ドアが閉じられる。

 それからしばらく、店の前に立ち尽くしてしまった。

 まるで留守かと思うほど、店の中からは物音ひとつ聞こえてこなかった。

 

 また来い……か。

 

「まぁ、とりあえずは…………保留で」

 

 誰にも聞こえない独り言を呟いて、俺は陽だまり亭へと戻ることにした。

 ……あ、香辛料………………ま、いっか。

 

 

 

 

 

 

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