「では、みなさんで召し上がりますか? ドーナツ」
「そうだね、もらおうか」
「はっはっはっ。店長も商売がうまくなったな。ヤシロの影響か?」
「いえ、そんな……まだまだです」
商売っ気を出した――というわけでは決してなく、単純に自慢の新商品を食べてもらいたいだけなのだろうジネットがドーナツを売り込む。
これで、そう遠くないうちに四十区でも流行るんだろうな、ドーナツ。
「イメルダが何度も自慢するもんでな。ワシも食いたかったんだよ」
「あら。ワタクシはそんなに自慢しているつもりはありませんでしたわよ? ただ、いまどきドーナツの一つも食したことがない人が美食家気取りなのがあまりに滑稽だと、素直な感想を述べたまでですわ」
めっちゃ自慢してたらしいな。
あいつのことだ、さぞや優越感に浸りながらドーナツの美味さを語りまくったのだろう。
「では、準備をしてきます。マグダさん、ロレッタさん、お手伝いをお願いします」
「……任せて」
「大量に作って全部買わせるです! お金持ってるから大丈夫です!」
「……危険だね。ロレッタまでもがヤシロ化しつつあるなんて」
厨房へ入っていく三人の背を見つめ、エステラがよく分からん心配をしている。
金は取れるところからむしり取ってしゃぶりつくす。それが商売の鉄則だろうが。
「普段は、甘い物はあんまり食べないんだけど、四十二区の新商品となれば話は別だね」
デミリーが揉み手をして期待を膨らませている。
こいつの頭の中には、四十区での流通に関する計画案でも組み上がっているのだろう。
「ワシも、どちらかと言えば甘いものよりも酒なのだが……マグダたんが作ったものならいくらでも…………もとい、イメルダが勧めてくれたものだからいっぱい食べちゃうぞ、あは、あはは! だから、な? そのハンドアックスをしまいなさい、イメルダ」
ハビエルが額に汗を浮かべながらイメルダを宥める。
イメルダは、殺傷能力の高そうな手斧を握りしめていた。……なるほど。権力とか責任を負い始めた婦女子はみんな似た行動をするようになるんだな。…………不用意に刃物をチラつかせるのやめろよな、イメルダ。ついでにエステラとナタリアも。
「では、お二人が残されてもいいように、私がたくさんた~くさんいただきますね」
そして、呼んでもいないのに、いつの間にか俺たちのテーブルに紛れ込んでいるベルティーナ。
……やっぱり来たか。いや、そんな気はしていたんだ、なんとなくな。
「お、おい、アンブローズ……お前、いくら持ってる?」
「え、そ、それなりにしか……スチュワートは?」
「以前、家出をしたイメルダを迎えに来た時に、食堂にいる人間全員分の朝飯を奢らされたことがあってな……結構持ってきたんだが…………あのシスターの分となると…………最悪、イメルダに借りることになるかもしれねぇな」
ベルティーナの脅威は、大食い大会を経て近隣区の常識となっているのだろうか。
デミリーとハビエルの顔色が冴えない。
つか、自然と俺たちの分も奢ってくれるつもりらしい。さすが、大人の男だな。
「ベルティーナ。三日分くらい食い溜めておけ」
「「破産しちゃう!?」」
「うふふ。さすがに大袈裟ですよ、みなさん」
はっはっはっ、そう思っているのはお前だけだぞ、ベルティーナ。
お前はやれば出来る子だ。その気になれば、四十区を財政難に突き落とすことだって出来るさ。
「シスターは、酒は飲まねぇのかい?」
「お酒、ですか? そうですねぇ……」
頬に手を当て考えるベルティーナ。
そういえば、ベルティーナが飲酒しているところは見たことがない。
シスターだから、酒は禁止されているのかもしれないが…………いや、精霊教会はそんなに厳しい戒律はないだろう。肉だって食うし、お祈りもお好きにどーぞ状態だしな。
「禁止はされてないんだろ?」
「教会にですか? はい。葡萄酒を好んで嗜まれる司祭様もいらっしゃいますよ」
だとするなら、一度くらいは見てみたいものだな。酒に酔ってしどけない姿をさらす、ほろ酔いのベルティーナってのを。
「ダメですよ、シスターにお酒を勧めては」
ドーナツがたくさん並んだお皿を持って、ジネットが戻ってくる。
ベルティーナと目が合うと、過去の何かを思い出したかのような苦笑を浮かべる。
……何があった? 是非聞きたいな、ベルティーナの『お酒の失敗談』ってヤツを。
「シスターはお酒がとても弱いんです。とても薄い葡萄酒でも酔っぱらってしまうんですよ」
「へぇ、意外だな」
「意外って……ヤシロさん。私は、そんなにお酒を飲むように見えていましたか?」
若干、不服そうな表情を見せる。
酒豪というイメージよりかは、どんなに酒を飲んでも平然とした顔をしていそうなイメージがあった。何物にも揺るがない、冷静沈着なエルフ。そんなイメージが。
「酔うとどうなるんだ?」
「さぁ……私はよく覚えていませんので」
「泣くんですよ、シスターは」
笑顔でかわそうとしたベルティーナだったが、ジネットが釘を刺すように言葉を重ねる。
ベルティーナは、一瞬むっとした表情を浮かべるも、目の前に置かれたドーナツに瞳をきらめかせる。
ドーナツを手に取り早速頬張るベルティーナ。これで、しばらくしゃべれなくなるだろう。
その隙を突くように、ジネットが酔ったベルティーナのことを話す。
「お酒を飲むとすぐ顔が真っ青になって、ぷるぷる震えながら、床の上で丸くなって『みゅうみゅう』鳴くんです」
「え、そっち!? そっちの『鳴く』なの!?」
鳴き上戸ってのは、初めて聞いたな。
「頭が痛くなって、酷い吐き気に襲われるみたいなんです」
「すっげぇ早い二日酔いみたいだな……」
「『食べた物は絶対吐かない』が信条のシスターですから、飲酒は自身の信念を揺るがす行為なんです」
「いや、大袈裟だし、もうちょっとマシな信条掲げられないのか、精霊教会のシスターさんよぉ」
食べ物への執着がすげぇよ。
「あと、少し甘えん坊になりますね。獣化した時のマグダさんみたいな感じに」
なに!? それは見てみたいな!?
まとわりついてきて『みゅうみゅう』鳴くベルティーナか……いいっ!
くそっ、なぜ陽だまり亭には酒が置いてないんだ!?
「それでも……もぐもぐ、ごっくん」
頬に詰め込んだドーナツを飲み込んで、お茶を一口すすって、ベルティーナは静かな声で言う。
「お酒が飲めるようになればいいな、とは思うのですよ。とてもいい香りですし、飲める方を見ていると、とても楽しそうですし」
酒は飲めないが、酒の場は好きだというヤツは結構いる。
下戸の酒好きも結構多い。
飲めない者にすれば、羨ましいものなのかもしれないな。
飲めるからどうというものでもないのだが、飲めないというのは少し寂しいものなのかもしれない。
「お酒を飲むと、ご飯が一層美味しくなると聞きますし」
「そいつは、危険だな!?」
「店長さん、この店にお酒があるならすべて撤去してくれるかね!?」
「料理酒もだ! あと、酒場の人間の立ち入りを禁止すべきだ!」
「うふふ、酷いですよ、ヤシロさん。デミリーさん、ハビエルさんも」
冗談だと思って笑みを漏らすベルティーナ。
だからな、そう思ってるのはお前だけなんだって。
……お前が『ご飯が一層美味しい』なんて感じ始めたら、この世界から食料がなくなるぞ。
「おそらく、精霊神様のご配慮なのでしょうね、シスターがお酒を飲めないのは」
「もぅ……ジネットまでそのようなことを……酷いですよ」
ジネットにまで言われて本格的に膨れる。
ベルティーナの頬がぷっくりと膨らむ。
酒が飲めないという理由でからかわれたりするのは、ベルティーナ的には不本意なのだろうか。
そういえば、俺の周りで飲酒をするヤツは少ない。
エステラは以前「あまり好きではない」と言っていたし、ジネットも全然飲まない。
マグダやロレッタは言わずもがなだが、デリアやパウラが飲んでいるところも見たことがないな。
ノーマは、飲んでそうだけれど。
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