「エステラ。雨不足はそんなに深刻なのか?」
陽だまり亭で使用する水は井戸から汲み上げる地下水なので、それほど水不足は感じていない。
場所によっては、伏流水を使った浅井戸なんかもあるようだが、陽だまり亭の井戸はもっと深層にある地下水を汲み上げているため、あまり水不足を実感はしていない。
もっとも、それも時間の問題かもしれんが。
「そうだね……川の水位は随分と下がってきているようだね」
「あ、それならあたしもそう思っていたです」
ロレッタが挙手してエステラの話に補足を付ける。
「ウチの近所の川も随分と水位が下がって、飛び込みが出来なくなったって弟たちが言っていたです」
ロレッタの住むニュータウンには、二十九区から繋がる川がある。
その川は数度大きくうねりながら、デリアたち川漁ギルドが漁をする川に通じているのだ。
そこの水位が下がっているのだそうだ。
「で、お前ら兄妹はまだ川で水浴びをしてんのか?」
「はぅっ!? いや、その……小さい子たちは、タライみたいな狭いのは好きじゃないみたいで……川遊びついでに水浴びも済ませてるです……」
かつて、ニュータウンがスラムと呼ばれていた頃、こいつらには金がなく、川での水浴びを余儀なくされていたわけだが……今は結構稼いでるだろうが。家で入れよ。
「まさか、密漁はしてないだろうね?」
「それはないですっ! 誓って!」
エステラの指摘に、ロレッタは渾身の力で両腕を大きく振る。
「川漁ギルドのお手伝いに行った弟たちが、それはそれは厳しく躾けてますですから!」
あぁ、なるほど……デリアの怖さに直接触れた連中が命がけで教え込んでるんだな。
「デリアさん……お兄ちゃんがいないところではホント……シャレにならない人物みたいです……我が家では、副ギルド長のオメロさんが英雄視されているです」
デリアは常にフルパワーだからな。しかも自分基準の。
常人には耐えられないことも多々あるのだろう。
そんな時、身代わりになってくれるのがオメロなのか……よかったなオメロ。お前、下には相当慕われているみたいだぞ。
ちっとも羨ましくないけれど。
「前は、『滝に当たれば一瞬で綺麗になるー』とか言って、『滝洗い』が流行ってたですけど……」
「そんな危険なことしてんのか、お前んとこの弟たち……」
「妹もしてるです。すっぽんぽんで滝を通過すると綺麗になるです」
……周りにハビエルとかいないか、よく見張っとけよ。
「もしかして、ロレッタもやってんのか?」
「してないですよ!? あたしはちゃんと家でお風呂入ってるです!」
あぁそうかい。
なんか安心したよ。
「コ、コホンです!」
頬を薄く染め、ロレッタが咳払いをする。
ちらりと軽く睨まれた。
なんだよ。自分で言い出したくせに。
「弟たちによるとですね、『滝のパワーが弱くなった』だそうなんです」
「おそらくだけど、二十九区でも水不足が起きているんだろうね」
エステラが推論を補足として述べる。
まぁ、日照りはどこでも同じだろうしな。上流が干上がれば下流も干上がる。当然のことだ。
「それで、崖を崩して水をもっと流れるようにしようとか言ってたです」
「ダメだよ!? 全力でやめさせてね!? 無許可でそんなことしたら戦争になるから!」
二十九区にも川漁ギルドがいるのだろうし、川の形を変えてしまったら大問題になるだろう。
ロレッタの弟たちは、崖に穴を掘って巨大な洞窟を作っていたりした。
ロレッタ一家の避難場所になっていたり、去年の大雨の時にウーマロたちが作業場にしていたりしたわけだが……
「あの洞窟って、今どうなってるんだ?」
「今は緊急避難場所になってるです」
ウーマロたちに建ててもらった新居は雨漏りの心配も床が抜ける心配もないため、ロレッタの家族が避難することはもうほとんどない。
そこで、万が一の災害の際、ニュータウンの住民が避難できる場所となっているらしい。
要するに、今では使用されていないってことだな。
「近所の子供たちが遊び場所にしてたりするです。雨の日でも走り回れるですから」
まぁ、その雨が降らないって話をしてるんだけどな。
「あの……ぐすっ」
鼻を鳴らし、ジネットがゆっくりと顔を上げる。
「ジネットちゃん。もう平気?」
「はい……すみませんでした。お洋服を汚してしまって」
「いいよ」
目を赤く腫らしたジネットをエステラが撫でる。
ジネットが慰められている光景ってのはなんだか新鮮だ。
あんまり見たいものではないけどな。
「あの……ミリィさんのところへ行くなら、わたしも一緒に連れて行ってくれませんか?」
ミリィのことが心配で仕方ない。そう顔に書いてある。
「もとよりそのつもりだ。お前がいた方が、ミリィも元気が出るだろう」
「……そうだと、いいんですが」
「そうに決まってる」
あの、極度の人見知りだったミリィが最初から心を開いていた数少ない友人なんだからな。
「向こうも、心配かけていることを心苦しく思っているかもしれん。陽だまり亭に顔を出せずにいることもな」
「でしたら、何か精の付く物でも作って持って行きましょうか?」
陽だまり亭の味をデリバリーか。
金さえ取らなきゃ問題ないだろう。
「すぐに作れるか?」
「はい。お野菜たっぷりのコンソメスープがあります。温めてきますね!」
さっきまでの反動か、いつも以上に元気に言って、ジネットは厨房へと駆け込んでいった。
「料理をすれば、少しは元気になってくれるかな?」
「まぁ、大丈夫だろう」
ジネットはそこまで弱いヤツじゃない。少なくとも、俺はそう思っている。
「……ヤシロ」
ジネットの後ろに付いて厨房に入っていったマグダが、一人ですぐに戻ってきた。
手には二つの袋が持たれている。
「……ミリィとデリアに。ハニーポップコーンの差し入れ」
「あたしたちがお店をしっかり守ってるですから、お兄ちゃんたちはミリリっちょたちの話を聞いてきてです」
ジネットが抜けるとなれば、店を守るのは自分たちの仕事だ――と、こいつらの中ではそんな自覚が芽生えているのかもしれない。
なんとも頼もしく成長してくれたもんだ。
このハニーポップコーンは、一緒に行けないことに対する、せめてもの気遣いというわけか。
「分かった。お前らが心配してたってこと、きちんと伝えておく」
「……任せておく」
「だから、こっちも任せておいてです」
あぁ。しっかり頼むぞ、二人とも。
「すみません。お待たせしました」
少し大きめのバスケットを持って、ジネットが厨房から出てくる。
随分と急いで作ったようだ。早くミリィのもとへ行きたいという表れか?
「準備だけして持ってきました。必要があれば、ミリィさんの家の台所を借りて調理します」
なるほど。そっちの方が温かい物を提供できるか。
「それじゃあ、行くのはボクとジネットちゃんとヤシロでいいね?」
「あんま大人数で行ってもプレッシャーになるだろうしな」
「はい。わたしもそう思います。まずはミリィさんのお話を聞いて、その後デリアさんのところへ行きましょう」
ジネットが積極的に意見を言う。
やはり、こいつは少し変わった。待つだけの人間ではなくなったのだ。
「ヤシロさん……もし、わたしが間違ったことをしようとしたら、いつものように止めてくださいね」
少しだけ、緊張したような面持ちでそんなことを言う。
いつものように……
言われてみれば、こいつが不用意な発言をしかけたのを何度も止めていたっけな。
ミリィの負担になるかもと、誰にも相談しなかったことを失敗だと、相当悔やんでいるようだ。
そのため、少しだけ気持ちが前のめりになっているのだろう。
そして、それをジネット自身が自覚している。
間違ったことをしようとしたら止めろ……か。
随分と信用されてるんだな、俺は。
「……エステラ」
「エステラさん」
「ん? どうしたんだい、二人とも?」
ジネットが俺に「わたし、信じてます」みたいな視線を送っている横で、マグダとロレッタがエステラに視線を送りつけていた。
「……マグダはエステラを信じている」
「頼れるのはエステラさんだけです」
「そ、そうなのかい? そう言われると、ボクも頑張っちゃいそうだな」
「……最近の店長はぼーっとし過ぎでヤシロのセクハラに気付かないことが多い」
「でもエステラさんなら、お兄ちゃんをきちんと阻止してくれるって、あたし信じてるです!」
「え、そこなの……ボクの信用されてるとこって?」
というか、俺は信用されてないんだな…………覚えてろよ、お前ら。
二人へのお仕置きは帰ってから考えるとして……
俺たちは、ミリィの家を目指して陽だまり亭を出発した。
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