異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

180話 トレーシー・マッカリー -1-

公開日時: 2021年3月17日(水) 20:01
文字数:4,879

「……失礼しました」

 

 トレーシーが俺たちの目の前に座り、恥ずかしそうに頭を下げる。

 汚れたドレスを着替え、髪を整え直し、メイクもばっちり直して、鼻には綿を詰めている…………っておい!

 

「なんて残念な仕上がりなんだ……」

「……美人なのにね」

 

 こそこそと、エステラと意見交換を行う。同意見のようだ。

 

 現在、食事の準備を進めているということで、俺たちは引き続き応接室にて待機している。

 トレーシーの着替えもあって、もう結構長くここにいる。正午はとっくに過ぎている。予定より早く着いたにもかかわらずだ。

 

 ちなみに、応接室には背の低いテーブルを挟むように四人掛けのソファが向かい合って置かれ、上座にひときわ豪華な一人掛けのソファが置いてある。

 

 てっきりトレーシーはそこに座ると思ったのだが、四人掛けの上座に着席した。

 

「さぁ、皆様もどうぞおかけください。そして、少し貧血気味で、真っ先に腰をかけてしまった非礼をお許しくださいね」

「いや……うん。しっかりと体を休めるといいよ。貧血は、怖いからね」

「ごふっ!」

「ぅぉおいっ!? また鼻血噴いたぞ、この領主!?」

「エステラ様、ご自重ください」

「えっ、ボク!? ボクのせいなの!?」

 

 鼻血に驚く俺、ナタリアに叱られ戸惑うエステラ。そんな俺たちのわちゃわちゃした空気をよそに、テーブルに飛んだ赤いしぶきを慌てて拭き取っているネネ。

 いやいや、まずはトレーシーを拭いてやれよ。またドレスが汚れるぞ。

 

 しかし、そんなことなど気にする素振りもなく、心なしかきらきらとしたゲッソリフェイスでトレーシーが弱~く微笑む。

 

「も、……申し訳ございません…………お優しいお言葉をかけていただいて…………つい……」

 

「つい」で鼻血を噴くな。

 やはりというか、ここの領主も変態カテゴリーに属しているようだ。領主ってこんなんばっかだな。……胸もぺったんこだし。

 

「ボ、ボクたちも、座らせてもらおうか……ね?」

 

 トレーシーが来るまでは好き勝手に座っていたのだが、トレーシーがどこに座るのかが分からなかったために、着替えが終わる頃を見計らって立って待っていたのだ。が、しかし…………今は違う理由で座るのが難しい。……服、汚されたくないしな。

 

 しかしながら……

 

「はぁ…………本物、なのですね……」

 

 エステラを見つめるトレーシーの目がヤバい。

 完全に恋する乙女の目だ。

 

 まさかこいつ、エステラを男だと思ってんじゃないだろうな?

 

 あまりに熱い熱視線を受け、エステラの表情が少し強張っている。

 

「は、初めてでは、ないですよね? 以前、二十九区の領主の館で会った時はもっとこう……普通、だったような気がするのですが?」

 

 エステラよ。言葉を選んだつもりかもしれんが、それは暗に「お前、今スゲェ変だぞ」と言ってるようなものだぞ? まぁ、変だけど。

 

 しかしながら、トレーシーはそんな言葉のニュアンスに不快感を見せることもなく、照れ笑いを浮かべた。

 

「あの時は、他の領主もおりましたし、あぁいった場で個人的な感情を露呈させるのは憚られますので」

「それは、まぁ、そうですよね……はは」

 

 あの重苦しい場で、「エステラ様、萌え~」とは出来ないよな。

 まぁ、納得だ。

 

「あ、あの、エステラ様。どうぞ、お座りください」

 

 緊張しつつ、トレーシーがソファを指し示す。

 ガッチガチだな。

 

 こんなので、よくあの時素知らぬ顔を貫けたもんだな。

『BU』の同調圧力ってのは、こういう感情すらも凌駕するものなのか……?

 だとしたら、相当息苦しい組織だな『BU』ってのは。

 

 なんにせよ、いつまでも突っ立っているわけにはいかないので、俺たちはソファに向かう。

 とりあえず、ひときわ豪華な椅子はスルーして、トレーシーの向かいの四人掛けのソファに並んで腰かける。

 俺とナタリアでエステラを挟むような配置だ。

 

「改めまして、トレーシーさん」

「は、はいっ!」

 

 エステラに名を呼ばれただけで、トレーシーの瞳の中には無数の星がきらめき、つむじからはハートが次々に飛び出していく。……ような光景を幻視した。

 こいつは、本気でエステラのことが好きなんだな。その好きのベクトルがどこに向いているのかは、今のところ分からないが。

 

「ほ、本日は、お招きいただきありがとうございます。改めてお礼を……」

「お礼だなんてとんでもないです!」

 

 か細い声が、その時ばかりは大きくはっきりと吐き出され、エステラの肩がビクンと震える。

 自身の大きな声に、見る見る顔を赤く染め、トレーシーはソファの上で身を縮める。

 

「す、すみません……大きな声を出してしまいまして」

「あ、いえ。お気になさらずに」

「はぁ……お優しい。エステラ様」

 

 エステラの言葉に、トレーシーはうっとりとした視線を向ける。

 もはや、何をやってもエステラならそれだけでいいといった感じだ。

 

 チラチラと、こちらに助けを求めるような視線を向けるエステラ。だがすまんな。俺の手には負えねぇよ。

 どうやら、こいつはエステラの管轄のようなので、俺は丸投げを決め込むことにした。

 

「トレーシー様。お食事前ですが、皆様にコーヒーをお入れしましょうか?」

 

 テーブルの血を拭き終わったネネがトレーシーにそう持ちかけると、先ほどまでぽや~んととろけていたトレーシーの目が一瞬で鋭く吊り上がる。

 

「ネネッ! 会話の腰を折るとは何事だ!? 弁えろ!」

「も、申し訳ございませんっ!」

 

 突然の大声に、俺たちは三人揃って「びくっ!?」と体を震わせた。

 豹変だ。

 なんなんだこの変わり様は? 本当に同一人物かと疑いたくすらなってくる。

 

 戸惑う俺たちをよそに、トレーシーはなおもネネを叱責する。

 

「そもそも、コーヒーは食後と相場が決まっておるではないかっ! 貴様には常識というものがないのかっ!?」

「か、重ね重ね申し訳ありませんっ!」

「もうよい! 下がれ!」

「は、はい! 失礼いたします!」

 

 慌てて頭を下げ、ネネが足早に、走らない程度の速度でドアへと急ぐ。

 ドアの前でこちらを向き直り、もう一度深く頭を下げて退室しようとするネネ。

 そんなネネに、再びトレーシーの怒号が飛ぶ。

 

「ネネッ! お客様を残して部屋を出る給仕長がどこにいる! そこまで下がれとは言っておらん!」

「もっ、申し訳ございませんっ!」

 

 風切り音が聞こえそうなほどの勢いで頭を下げ、きょろきょろと室内を見回した後、ネネは俺たちのいるテーブルから限りなく離れた部屋の隅へと移動し、所在なさげに部屋の角に立った。

 そろっと、こちらを窺うような視線を向け、目が合いそうになると慌てて視線を逸らす。

 ……すげぇ、怯えてるな。

 

「…………申し訳ありません、皆様」

 

 ほんの一瞬、眉間に深いしわを刻んだ後、トレーシーは弱々しい笑みを浮かべて謝罪の言葉を口にした。

 何に対する「申し訳ありません」なのかが分かりにくい。

「ウチの給仕長がドンクサくて――」なのか、「怒鳴るような姿を見せてしまって――」なのか。

 

「そういえば、四十二区にはコーヒーを飲む習慣があるのですよね? 私、とても嬉しかったです」

 

 話題を変えるように、声音を変えてトレーシーがしゃべり出す。

 四十二区の情報を持っているということは、『BU』として調べさせたのか、個人的に興味を持って調べさせたのか……はたまた、エステラ好きが高じて遊びにでも来たのかもしれない。

 

 なんにせよ、自区の名産品が大好きな領主の領内で流通しているということが素直に嬉しいようで、トレーシーは頬を赤く染め幸せそうな表情を見せている。

 

 ……だからこそ、余計に違和感がある。

 こんな純粋な笑みを浮かべるような人物がどうして――

 

「エステラ様は、……その、……コーヒーはお好きですか」

「えぇ。最近は結構飲むようになりましたよ。この二人も、コーヒーが好きで、特に彼はかなりコーヒーにうるさい男なんです」

「まぁ、そうなのですか。では是非、我が区のコーヒーをご賞味いただきたいですわ」

「…………」

「…………」

「…………ネネッ!」

「は、はいっ!」

「私が『ご賞味いただきたい』と言ったのだ! なぜすぐにコーヒーを用意しないっ!?」

「もっ、申し訳ありません!」

「謝罪など要らぬ! すぐ行動を起こせっ!」

「はいっ、ただいま!」

 

 ――給仕長に対してはこんなに語気が強くなるのか。そして……

 

「…………っ」

 

 どうして、怒鳴った後にはいつもこれほどまでに悲痛な表情を浮かべるのか。

 

「申し訳ありません。度々……」

「あ、いえ……お気になさらずに」

 

 場の空気がいちいちぎこちなくなる。

 そして、その度にトレーシーは取り繕うように笑みを浮かべて空気を変えようと明るい声で話を始める。

 

「そういえば、エステラ様は我が区のコーヒーをお飲みなったことはあるのですか?」

「あぁ……まぁ。一応……。街の喫茶店でいただきましたよ」

「いけません!」

 

 グッと身を乗り出し、トレーシーが必死な視線を向けてくる。

 

「街の喫茶店のコーヒーは、本物のコーヒーではないのです!」

 

 どこかのグルメが口にしそうなセリフを口にして、トレーシーはまた悲しそうな表情を浮かべる。

 

「コーヒーは、入れ方一つで味が大きく変わります。香りも全然違うものになります。だからこそ、美味しいコーヒーを入れるためには細心の注意を怠ってはいけない……ですが、この街では『豆の消費量』が定められており、コーヒーのように需要の少ない豆は無理やりにでも消費しないと使い切れなくて……」

「その結果、味よりも使用量を増やすことが優先されている……ってわけか」

「…………は、はい。とても、悲しいことなのですが」

 

 俺のタメ口に怒りを感じた素振りはなかった。

『癇癪姫』なんて呼ばれ方をしている領主なので、こういう非礼には口やかましく突っかかってくるのではないかと思ったのだが……スルーだ。

 そればかりか、やや避けられているような感じすらする。

 

「飲む人のことを考えれば、あのような入れ方は出来ないはずなのですが……ままなりませんね」

 

 トレーシーはやりきれない想いをその表情に表す。

 こいつ自身は、コーヒーを美味しく飲んでもらいたいと思っているらしい。

 まぁ、コーヒー豆の産地である二十七区の領主なのだから、コーヒーの需要が増えてくれた方がありがたいだろう。

 あと、何より、作物を作るヤツはそいつに愛情を注ぎ込む傾向が強い。

 モーマットが、「ウチの野菜は天下一品だ!」などと豪語しているように、愛情を注いで栽培すればその分、作物やそれが原材料となる製品には並々ならぬ思い入れを抱くようになる。

 

 ――ってことは、今ネネが入れてくれているコーヒーは期待してもよさそうだ。

 

 おそらく、喫茶店のコーヒーはローストも挽きも適当か滅茶苦茶かのどちらかだったのだろう。とにかく豆を消費する。それが第一目標となっていたのだ。

 そんなもんが美味いはずがない。

 

 だが、トレーシーはコーヒーを美味しく飲んでもらいたいと思っているようで、それならばおかしな入れ方はしないだろう。

 こいつがまともな発想の人間でよかった。

 

「コーヒーは味にこだわり、最良の分量を、最良の方法で使用する――そして、余ったコーヒー豆を豆のまま押しつけるのが基本ですのに……っ」

 

 って、こら!

 押しつけるのが基本とか、よく平気な顔で抜かせるな、この領主は。

 全然まともな発想ではなかったようだ。

 

 コーヒーはあまり馴染みのない飲み物で、需要自体が少ない。だから、コーヒーを売りにしている喫茶店には、あまり客が入っていなかった。

 客がいないので、コーヒー豆を押しつけることも出来ない。

 だから、コーヒー豆を乱暴に使用するしかない。

 結果、クッソ不味いコーヒーが出来上がり、そしてまた客足が遠のく…………という、負のスパイラルに嵌まり込んでいるようだ。

 

 バカだなぁ。

 味が合わずに離れた客は、二度と戻ってはこないぞ。

 誰しも、不味いものは口にしたくないのだ。食わず嫌いなんて言葉があるほど、人は口に合わない食べ物を避ける。飲み物だって同じだ。

 そして、食べ物を選ぶ基準には、これまでの経験に基づいた「信頼」が大きく作用する。

 

 第一印象が「不味い!」だと、二度目はない。

 たとえ、美味いコーヒーが別の場所に存在していたとしても、だ。

 

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