それからさらに二日が経ち、その情報は俺の耳へと届いた。
グレイゴンは、想像を上回る大惨事を巻き起こしたらしい。
「ドブローグ・グレイゴンは、爵位を返上することになったよ」
エステラが、陽だまり亭に来てそう教えてくれた。
返上とは言っているが、事実上取り上げられたのだろう。
ドブローグ・グレイゴンは、俺に言われたその足でウィシャートの館を訪ね、そこで騒動を起こした。
ずぶ濡れの衣服も厭わず、四十二区を出たその足でウィシャートの館へ向かったグレイゴンは、館の裏門へ回り「ウィシャート様へ面会を」と申し出た。
だが、裏門を守る兵士に「面会の約束がないと入れない」とあしらわれてしまう。
そこで、グレイゴンは「暁に杯を」という言葉を口にした。
おそらく、それが合言葉なのだろう。
裏で繋がり悪だくみをする者たちは、時に急を要する会合を開く必要が出てくる。
そんな時、本来なら会えないはずのウィシャートと特別に面会できる特別パス。そんなのが、その合言葉だったに違いない。
だが。
グレイゴンは裏門を守る兵士に「深酒はお体に障りますよ」と、半笑いで言われ、取り合ってもらうことは出来なかった。
つまり、その合言葉はもう効力を失っていたのだ。
簡単な話だ。
ウィシャートが「もう会う価値はない」と判断すれば、合言葉を失効させればいい。
事前に「合言葉のことは他言無用」と約束させておけば、「合言葉を言えば特別に会えるはずだ」なんてことを口には出来ない。
訴えることが出来なければ、合言葉を口にするグレイゴンはただ独り言を言っているだけになる。深夜を過ぎても深酒をしている節度のない飲んだくれだと侮蔑されて終了だ。
そして、そこで初めて、自分が切り捨てられたことを悟るわけだ。
「奇声を上げて暴れ出したらしいけれど、あっという間に兵士に捕らえられたそうだよ」
「貴族に楯突いてどうなるのか分かっているのか、平民風情が!」と、お得意の罵倒を繰り出すも、相手はウィシャート家の兵士だ。「それは、ウィシャート様と表立って対立するという意思表示ですか?」と言い返されては言葉を飲み込むしかない。
ウィシャートと結託して目障りな貴族を追い落としてきたのであろうグレイゴンは、これまで嫌というほど見てきただろう、潰された貴族の末路を。
今度は自分の番だと思えば、身も震える。
「なるほど、よく分かったよ。まるで見てきたみたいだな」
「見てこさせたんじゃないか、君が」
グレイゴンは必ずウィシャートに会いに行くと思ったので、ナタリアに頼んでグレイゴンを尾行してもらった。
部下を貸してくれというつもりで頼んだのだが、どうやらナタリア本人が尾行してくれたらしい。
そのおかげで、思いがけない情報も手に入った。
「ウィシャートと結託している貴族が使う、秘密の抜け道が存在するようだね。裏門で門前払いされたグレイゴンは、館から離れた場所にある倉庫に入っていったそうだよ」
「まさか、中まで尾行したのか?」
「みたいだね」
……あんま無茶すんなよ。
ウィシャートの館へ通じる抜け道なんて、警備が厳重に決まってんだろうが。そこを守る兵がうじゃうじゃいたらどうすんだよ。
「幸いにして、警備は手薄――というか、見張りは一人もいなかったようだよ。その代わり、かなり頑丈な扉に鍵がいくつもついていたって」
頑強な鉄格子が行く手を阻み、そこには十数個にも及ぶ鍵が取り付けられていたらしい。
その鍵を前にグレイゴンは、懐から鍵束を取り出した。
その通路を使う者にだけ渡された合い鍵といったところだろう。
十数個ある鍵を貴族自ら開けさせるとか、十数個も連なる鍵束を持たせるとか、かなり相手を見下してる行為だと思うが……
まぁ、格上のウィシャートの館へ自由に出入りできる特別感に浸れたのかもしれないけどな。
だが、グレイゴンが持つ鍵は、ただの一つとして合わなかった。
十数個、すべての鍵が取り換えられていたのだろう。
「血を吐きそうなほど叫んでいた。と、ナタリアは言っていたよ」
「きっと、その絶叫すらもウィシャートの自尊心をくすぐる恰好のエンターテイメントなんだろうぜ。悪趣味極まりない」
その後、騒ぎを聞きつけてウィシャートの兵士が駆けつける可能性を考慮し、ナタリアはグレイゴンを置いて秘密の通路を抜け出した。
その直後、鍵が開く音がして何かを喚くグレイゴンの叫びが響き、しばらくして一際凄まじい悲鳴が聞こえたのだとか。
「鉄格子を閉じる鍵はクサリに繋がれていたんだ。おそらく、向こう側からも開けられるように」
「騒ぎを聞きつけて鍵を開けに来た――体の兵士にやられたんだろうな」
「そうなんだろうね。今朝届けられた手紙には、『ウィシャート邸へ忍び込んだグレイゴンを館の中で捕らえた』と書かれていたよ」
「嘘じゃねぇか」
「その秘密の通路がウィシャートの館の敷地だと考えれば、嘘じゃないのかもね」
「ま、そのこじつけがなくても、この件でウィシャートに『精霊の審判』をかけるヤツはいないだろうし、言ったもん勝ちだよな」
この世界、目撃者や証言者がいないと犯罪の立証が難しいんだよなぁ。
科学捜査なんかまったく取り入れられてないし。
そもそも、貴族と平民の意見がぶつかったら、かなりの確率で貴族が勝つように出来てるんだろうし。
貴族同士なら、力の強い方が勝つんだろう。
「グレイゴンはウィシャート邸に忍び込んで騒ぎを起こしたとされているよ」
「グレイゴンごときが忍び込めるような警備体制じゃないだろうが。誰か突っ込めよ、その矛盾に」
賊の侵入を一切許さないと言わんばかりの厳重な警備をして、貴族ですら応接室まで、親族ですら館の奥には入れないことで有名なウィシャートが、グレインゴンなんて権力も腕力もないただのジジイに侵入を許すかよ。
やっぱり茶番だな、この街の裁判は。
「それのみならず、グレイゴンは土木ギルド組合の役員という地位を利用して、組織を自分にとって都合のいいものに変えようと画策していたとの証言が出たからね」
「他の役員に手を回しやがったな、ウィシャート」
「だろうね。グレイゴンを売った『組合役員Ⅹ』としては、他の役員が失脚すれば利益にありつけるんだろうね。グレイゴンとは敵対する派閥だったのか、空いた席に親族なり懇意にしている誰かなりを滑り込ませる算段が出来ているのか……なんにしても、トカゲが尻尾を切った瞬間に新しい尻尾が生えたような状況だよね」
結局、操りやすければ誰でもよかったのだ。
いらなくなれば簡単に切り捨てられる。
その様を間近で見ようと、「自分だけはうまく出来る」という謎の自信を持っているのが貴族という連中だ。
そうして、腐った果実はいつまでもいつまでも市民や市場から養分を吸い続けていくのだ。
「関係のない二ヶ所の貴族から訴えがあったことにより、グレイゴンの自己弁護はすべて詭弁と結論付けられ、王族によって爵位を剥奪された……あぁいや、グレイゴンが爵位を返上することになったそうだよ」
王族が貴族から取り上げるってのは、なるべくは避けたい表現なんだろうな。
死ぬレベルの圧力をかけて、「言わなくても分かるよな? な?」ってのは、剥奪と同義だと思うがな。
「じゃあ、ド三流の結婚はどうなるんだ?」
「もちろん白紙だよ。今となってはただの平民だからね。いくら好色な貴族と言えど、平民の女を第三夫人にはしないさ」
その気になれば、平民ごときは遊んで捨てることも出来るのだろう、貴族様は。
わざわざ権利や力、金を与えてやる必要はない――と、判断するんだろうなぁ、好色魔のバカ貴族なら。
「グレイゴンはかなりの『亜人差別主義者』として有名だったからね。キツネ人族のウーマロが棟梁をしているトルベック工務店を目の敵にして追放しようと画策した、そんな言い分を疑う者はいなかったようだよ」
トルベック工務店を潰したがったのはウィシャートだが、失敗したらその罪を擦り付けて捨て駒にするつもり満々だったのだろう。
されるべくして指名されたわけだ、グレイゴンは。権力者たるウィシャート様の捨て駒にな。……笑えねぇな、まったく。
「一応、逆恨みはされるだろうと予測して、グレイゴンの似顔絵を各方面に配布したよ。ついでにバロッサ――君が言うところのド三流女性記者の似顔絵もね」
「ガキどもに被害が及ばないようにしないと、ベルティーナが怖いぞ。しっかり対応しとけよ」
「……ふふ。シスターの名前なんか借りずに、君の口から『子供たちは何がなんでも守れ』と言えばいいのに」
「俺は別に、ガキなんかどうでもいいんだよ」
「ふふふ。『精霊の審判』をかけられないと思っていれば、確かに言った者勝ちかもね」
人の言った言葉を使って茶々を入れてくるな。
……まったく。
「狩猟ギルドと木こりギルド、それから海漁ギルドと金物ギルドが周辺の警戒をしてくれると申し出てくれたよ。ナタリアとその部下たちにも警戒はさせる。君も、十分気を付けるようにね。――一番狙われそうなのは、君だから」
「へいへい」
と、適当に返事をしつつ、俺はそこまで深刻には受け止めていなかった。
グレイゴンのようなタイプが恨むなら、俺じゃなく、きっと――
まぁ、あのジジイにそこまで大それたことが出来るとは思えないけどな。
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