「エステラさん、お湯の準備が出来ましたぁ!」
自室へと大きな桶を持ち込んで、そこに沸いたばかりの湯を張り終えたジネットは、俺の部屋で震えているであろうエステラに向かってドア越しに声をかける。
「お前の部屋に用意したのか?」
「はい。結構お湯が零れますし、湿気もこもりますからね」
俺に配慮してのことらしい。
「そうか……お前の部屋に入るのはこれが初めてになるな」
「なんで一緒にいようとしてるんですか!?」
「いや、手伝いがあった方がいいかと思って」
「ダメですよっ!? ヤシロさんはしばらくの間、二階への立ち入り禁止ですからね!」
「こんなに楽しそうなイベントがあるのにっ!?」
『……ヤシロ。 すごく寒いから、さっさといなくなってくれないかな?』
部屋の中からエステラの震えた声が聞こえてくる。
……おぉ、冗談をやっている時間はなさそうだ。
「じゃあ、あとは頼むな」
「はい。お店の方はお願いします」
「おう。誰が来ても追い返してやる」
「もてなしてあげてくださいねっ!?」
ジネットの慌てふためいた声を背に受けながら、俺は食堂へと向かった。
うっかり入浴シーンを覗いたりは…………なさそうだな、これは。
食堂へ出ると、入り口から中を窺うウーマロたちの姿があった。
「あ、よかったッス。誰もいないんで休みかと思ったッスよ」
ウーマロたちは全部で八人。みんな重たそうに濡れたマントを羽織り、ドアの向こうに立ち尽くしていた。
「どうした? 今日はやけに早いな」
昼過ぎというには遅過ぎるが、まだ夕飯にはかなり早い。
こいつらは雨でも仕事を行う、ブラック企業も真っ青な仕事人間どものはずだが……
「それがッスね……その前に、入れてもらってもいいッスか?」
「ん? あぁ、そうだな」
俺はカウンターに立ち、ウーマロたちのマントを壁のフックに掛けていく。
ジネットは現在、とある事情で手が離せず当分店には出てこない旨を伝えた。ヤンボルドたちが不満げな声を漏らすも、ウーマロがそれを抑えてくれた。
「仕方ないッスよ。文句言ってないでさっさと注文するッスよ!」
さすがは親方。
ブーブー言っていた連中を一言で黙らせた。
いまだ不満そうなヤツもいるにはいるが、それ以上の抗議はされなかった。
「それで、マグダたんはどこにいるッスか?」
「ああ、マグダは狩猟ギルドに呼ばれていてな。今日は一日不在だ」
「さぁ、みんな! 荷物をまとめて帰るッスよ!」
オイ、コラ!
「朝も説明しただろ? マグダはウチのウェイトレスの前に狩猟ギルドの構成員なんだよ。優先させなきゃいけないことだってあるんだよ」
朝、弁当を取りに来たこいつらにはきちんと説明をしたのだが……さては聞いていなかったな。
朝はまだマグダがいたからな。こいつはきっと、マグダを見つめるのに忙しく、俺の話をほとんど聞いていなかったのだろう。
「ヤシロさんしかいない陽だまり亭は、魚の乗ってない焼き魚定食みたいなもんッス……」
「ほぅ、つまり俺が主食ってわけか? 褒め過ぎだろ、えぇ、おい?」
「……くっ、この人どこまでもポジティブッス……っ!」
ふん。ウーマロ如きが俺にイヤミを言おうなんて十年早いわ。
「で、なんでこんなに早いんだよ? ボイコットか?」
「まさかっ! 信頼と実績のトルベック工務店がそんなことするわけないじゃないッスか」
「んじゃあ、何かあったのか?」
「それなんッスけどね……」
席に着いた面々に、親切心からコップと水差しを提供してやると、「うわぁ……セルフですよ……」「…………ジネットさんなら、注いでくれるのに……」などと、グーズーヤとヤンボルドのアホどもが文句を垂れやがった。
お前ら、どうせ俺が注いでやっても文句言うだろうが。結果が同じなら、俺は無駄な労力は割かない。俺は無駄と浪費が嫌いなんでな。
水を一口飲み、ウーマロが先ほどの続きを口にする。
「今、オイラたちは三十区の領主様の屋敷の修繕をしてんッスけど……」
「三十区の領主ってぇと、確か、ウィシャートとかいう?」
「あぁ、そうッス。よく知ってるッスね? 三十区に行ったことがあるッスか?」
「いや、まぁ……最初に通ったのが三十区の門でな」
まさか、そこでちょっとしたいざこざを引き起こしたとは言えまい。
「あぁ、あそこの門は立派ッスね? あれ、ウチのヒイ祖父様が携わっていたらしいんッスよ」
ウーマロが自慢げに言う。こいつの一族は先祖代々大工なのだろうか。
「話が逸れたッスね。それで、ウィシャート様の屋敷の修繕を行うはずだったんッスけど……重大な事件が起きたってことで、急に作業が中止にされたんッスよ」
「重大な事件? 何があったんだ?」
「それがッスね……」
急に声のトーンを落とし、ウーマロが俺に身を寄せるような素振りを見せる。俺もそれに従い、身を寄せた。
手で口元を隠すようにして、ウーマロが耳打ちをしてくる。
「ウィシャート家の宝が盗まれたらしいんッスよ」
「ほほぅ……」
盗みとは、また分かりやすい犯罪を。それをやったヤツはよほどの愚か者だな。他人のお宝をくすねるなんて、卑怯で愚かで唾棄すべき行為だ。
他人のお宝は、ぐうの音が出ないようにねじ伏せてぶんどるのが正しい奪い方だ。
「なんか……物凄い悪人顔になってるッスよ、ヤシロさん?」
「そんなことないだろう? 陽だまり亭の爽やかエンジェルと名高いこの俺が」
「……誰が言ってるんッスか、そんな世迷い言?」
ウーマロの顔が引き攣る。
そのうちそう呼ばれるようになるかもしれないだろうが。むしろお前らが先陣を切ってその名を轟かせるくらいの勢いでそう呼ぶべきではないのか。
「それで、盗みが発覚したから部外者は出て行けってことか?」
「そうみたいッス」
「まぁ、誰が泥棒か分かんねぇ以上、当分部外者は屋敷に入れたくねぇだろうな」
「それなんッスけどね……」
ウーマロがここ一番のいい顔を見せる。どうやら、この後言おうとしていることが一番言いたいことらしい。
では、拝聴しようではないか。
「……犯人はもう分かってるらしいんッス。というか、もう捕まっていたみたいッス」
「じゃあ、もう解決してんじゃねぇか。お前らを追い出す理由がないだろう?」
「それが……表に漏れちゃまずい事情があったんッスよ」
そういう情報は大歓迎だ。
予定こそないが、三十区の領主とやり合うことがあれば、是非武器にさせてもらおう。
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