『本日午後二時。四十二区中央広場に来られたし。 怪盗・イケテール伯爵』
そんな文章が書かれたカードを持って、エステラが中央広場に立っている。
ヤツの位置から、俺の姿は見えない。こちらからは丸見えだがな。
ふふふ……これが、怪盗・イケテール伯爵の実力というものだ。
俺は、口の上にボリュームたっぷりの付け髭をつけ頭にシルクハットを被り、そして仕立てのいいスーツを着ている。誰にもバレないであろう完璧な変装だ。
高校のブレザーを服屋のウクリネスに渡して、縫製やら裁断やらを完全マスターしてもらったのだ。
服をバラしながら「こんなところにまで気を遣って……すごいですよ、これは!?」と、目を爛々とさせながら狂喜乱舞していた。これで、四十二区の衣服関連はさらにグレードが上がるだろう。
……値段も、つり上がるんだろうが…………
とはいえ、そのおかげで、俺はどこからどう見ても立派な紳士だ。
エステラに気付かれることはないだろう。
今のうちに背後に回り込んで……
「ねぇ、ヤシロ。ボクはいつまでここに立っていればいいのかな?」
「なぬっ!?」
バカな!?
こいつ、今俺に向かって「ヤシロ」と言ったか!?
いや違う、そんなはずはない! 今の俺は完璧なジェントルマン。正体がバレることなどあり得ない……
そうか! 「ヤシロ」ではなく「早くしろ」って言ったんだな!? そうに違いない!
……エステラって、初対面の紳士に「早くしろ」とか言うの? え~、なんか怖~い。
「ヤ・シ・ロ! その異常に目立ちまくる格好で変装しているつもりなのかい?」
「なななな、なぬぅ~!?」
めっちゃこっち見て「ヤシロ」って言われた気がした!?
まさか、うっすらと感付き始めてるのか?
マジでバレちゃう五秒前か!?
なら、誤魔化すまでだ!
「オレ、コノ街ノ言葉、分カラナイ。人違イ、違ウあるカ?」
「『強制翻訳魔法』がかかってる街で、そんなことあり得ないだろう!?」
「あリ得ナク、ナイある。有ルあるヨ。無イコト無イある、有ルあるヨ」
「有るのか無いのかどっちなんだい!? もう! そんな変なヒゲ、さっさと取っちゃいなよっ!」
「痛っ!?」
鼻の下の皮膚に張りつけてあった付け髭をはぎ取られる。
敏感な肌が悲鳴を上げる。……なんてヤツだ……
「……もしこれが、本物のヒゲだったら、お前……人を殺めていたかもしれないんだぞ……」
「数日でそこまで立派な口髭は生えないよ! あと、こんなもんで人は死なない!」
すげぇヒリヒリする。
ちょっと涙目だ。
「それで、なんの冗談なんだい? ボクを引っかけてからかうつもりだったんじゃないだろうね?」
「そうじゃねぇよ!」
……ったく、折角考えたオシャレなシチュエーションが台無しだ。
エステラが中央広場で俺を待っているだろ?
そしたら、身なりの立派な、どこからどう見ても素敵なジェントルマンが大きな花束を持ってやって来るわけだ。
で、エステラは「はぁ……立派な紳士だなぁ。きっと名のある貴族に違いない。こんなぺったんこな胸を見せては失礼に当たる。少し身を隠そう」とか思うわけだ。
そうしたら、そのジェントルマンがエステラの目の前に大きな花束を差し出すんだよ。
で、「……え?」ってエステラが驚いているところへ、ジェントルマンが言うわけだよ。
「先ほど、とても爽やかでイケてる少年が、この花束をあなたにと……」
そしたらエステラは気が付くわけだ。「爽やかでイケているのはヤシロしかいない!」って。
で、俺の姿を探して辺りを見渡す。けれど、俺の姿は見つからない。
焦るエステラ。探しに行くか、待つべきか、そう悩み始めたところで種明かしだ。
「じゃーん! 実は俺でした!」
「な、なんだってー!? 全然、気が付かなかったやー!」
シルクハットと付け髭を取ったジェントルマンは俺でした……
「――と、こうなる予定だったんだよ!」
「……とりあえず、貴族に無い胸を見せたところで失礼には当たらないからね……っ?」
だというのに、空気の読めないエステラのせいで台無しだよ、まったく。
しょうがない。普通にいくか。
「エステラ」
「ん? なんだい?」
「ごめ~ん! 待ったぁ~?」
「君は、何か悪い物でも食べたのかな?」
なんだよ!?
俺はこの前お前の寒い演出に乗ってやったろうが!?
「もういい! エステラのKYめ!」
「KYってなにさ!?」
「巨乳の『きょ』だ!」
「絶対ウソだ!? カエルにするよ!?」
ふん! その「カエルにするよ」も嘘なくせに!
まぁ、友人同士のおふざけでは、この一言をつけることで「これでチャラな」という意味になるらしい。心を開いている証拠のようだ。
「まぁ、とにかく。今さらカッコつけても決まらないし、この空気で恥ずかしがるのも変だし」
「だから、なんなのさ、さっきから」
「ほい」
「…………え?」
俺は、手に持っていた大きな花束をエステラに差し出す。
「やる」
「…………これ、紳士に変装するための小道具じゃ、ないの?」
「お前へのプレゼントだよ」
「でも……こんな大きな花……………………え、いいの?」
朝のうちにミリィのところへ行き、花束を作ってもらってきたのだ。
エステラに似合いそうな赤い花を中心に、ミリィのセンスで選んでもらった。
「ぁ……これは、えすてらさんにあげるんだね」なんて、花の雰囲気で言い当てるあたり、あいつもなかなか勘が鋭い。
なんにせよ、エステラのために買ってきた花束なのだから、エステラにプレゼントする以外に使い道がない。
だから、素直に受け取るといい。
「デートの誘いは花束と一緒にって、お前言ってたろ?」
「デ…………デート……あっ!?」
こいつ、ようやく気が付いたのか?
そうだよ。
俺は今日、エステラをデートに誘いに来たのだ。
事前にナタリアに協力をお願いして、時間が取れるように調整してもらった。
朝からさり気なくナタリアがエステラの行動を誘導していたはずだ。
さっきの『怪盗・イケテール伯爵』のカードも、ナタリアに渡しておいたのだ。
いや、実によく働いてくれた。最高の仕事をしてくれたと思う。
……だからこそ、お返しが憂鬱になってきた。
「かしこまりました。ご要望の件、すべて滞りなく遂行いたしましょう。その代わり、今度私にも花束をプレゼントしてください。えぇ、そうですとも、一度ももらったことがないのですよ、結婚していませんし、彼氏もいたためしがありませんので、それが何か法に触れるとでも!? ……失礼。ですので、ステキな花束を所望いたします。お店の方に選んでもらうのではなく、あなたの目で、あなたのチョイスで花を選び、私のための花束を作ってください。よろしいですね?」
……ハードル、高っ。
まぁ、それくらいは頑張ってみるか。…………噛みつきツツジとか、どうだろうか?
「あの……これ…………」
ここへ漕ぎつけるためのあれやこれやを回想している間も、エステラはずっと花束と俺を交互に見ては、戸惑いの表情を浮かべていた。
「……覚えてて、くれたんだ…………」
「当たり前だろう。俺を誰だと思ってやがる」
こいつとの約束を反故にするくらいなら、俺は大通りですれ違う通行人全部にあからさまな嘘を吐く方を選ぶね。
カエルにされるリスクを背負うよりも、エステラを蔑ろにしてしまうことの方が俺にとってはあり得ないことなのだ。
こいつは、いろいろと奔走してくれているからな。
まっ、たまにはご褒美もあげておかないとな。
「あの……さ」
「ん?」
「折角、こんな綺麗な花束があるんだし……その、アレもちゃんとしてほしいな」
「アレ?」
「だから、……デートの、お誘い」
デートのお誘い?
…………あ、そういうことか。
はいはい。アレね。
よっしゃ、分かった。俺の華麗なる話術を披露してやろう。
「よぉ、ネェちゃん。俺と一緒に、茶ぁしばけへんけ?」
「やり直し」
ですよねぇ。
「ごほん」
では、改めて。
「エステラ。………………………………ちょっと待って」
なんだこれ?
なんか恥ずいぞ……
なんて言うんだ、こういう時?
「デートしない?」
「いい天気だから散歩にでも行こうよ」
「俺と、モーニングコーヒー飲まないか?」
「お願い! マジで何もしないから! 絶対なんんんんんにもしないから! ウチ来ない?」
……なんか、違う気がする。
そもそも、行くべきところは決まっているんだ。
ならば、そこに行こうと誘えばいいはずだ。
……つか、わざわざ誘うような場所じゃねぇよ。
あぁ、もう! 変に考えるから訳分かんなくなるんだよ!
四の五の言わずに行きゃあいいんだよ! そうだ!
「だ、黙って俺に、ついてこい!」
…………
…………
…………プロポーズだ、これっ!?
「いや、あの、エステラ! 今のは……」
取り急ぎ、深い意味がないことを説明しようとしたのだが……
「うん!」
すげぇ眩しい笑顔で言葉を遮られた。
「じゃあ、ヤシロがボクを連れてって」
その表情は、反則的なまでに輝いていて……
「……ボクは、どこまでもついていくから」
まぁ、いいかな……って、思ってしまった。
「本当に美味いケーキを食わせてくれる店があるんだ。そこへ行くぞ」
「え、今からかい? ……帰り、遅くなるようならナタリアに一言連絡しておかないと……」
と、その時、エステラの足元にナイフが飛んできて、地面に「カッ!」と突き刺さった。
「…………」
「…………」
無言の俺が見守る中、エステラが無言でそのナイフを引き抜く。
ナイフには『ご心配なく。グッドラック Nより』と書かれていた。
「……監視されてる」
「そのようだな」
ナタリアのOKが出たということで、このあとの心配はしなくていいだろう。
別に外泊させるわけでもない。ゆっくりとお茶を嗜むだけだ。
「じゃ、行こうか」
「うん」
俺が歩き出すと、エステラがニコニコと隣に並び、同じ速度で歩き出す。
肩を並べて歩く。
エステラとは、こういう距離感が心地いいなと、改めて思った。
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