「じゃあ、出直すか」
バレリアは、こちらに背を向けたまま動こうとしない。
こちらが立ち去ってやらなければ、あのまま動くことが出来ないのだろう。
現状は把握した。収穫もあった。
ならば出直すのが得策だろう。
そう思い、俺が振り返ると…………そこに変態がいた。
「…………」
「…………」
蛾。……なのだが。
俺の身長を超えるような巨大な蛾がいた。
頭が完全に蛾で、背中にはデカい羽が二対四枚生えている。そして、特徴的な大きな昆虫の尻――正確には腹なのだが――を持っている、どこからどう見てもヤママユガ人族という男。
ただし、両腕と両足、それから腰から胸、首までは人間のものだった。
割と筋肉質な上半身の上に蛾の頭が乗っており、お尻が虫っぽい感じで盛大に突き出していて、そこから競輪選手のようなムキムキの足が生えている。
ここまでなら、まぁ、虫人族だからとなんとか納得することが出来たかもしれない……だが、だがしかしっ!
おそらく、羽と尻が邪魔で服が着れないのだろう……
ムッキムキの上半身は裸で、下半身は黒いタイツを太ももまで上げて穿いている。
下腹部は虫の尻と一体化しているので、放送コードに引っかかる部分が見えないのはせめてもの救いか…………いや、どう贔屓目に見てもほとんど全裸の変態タイツマンだ。
「ぎゃーーー! 人間んんんー!?」
いやいや、叫びたいのはこっちだ!
「あんたっ!?」
そんな変態タイツマン(蛾)を見るや、バレリアが勢いよく走ってきて、盛大に鱗粉を撒き散らしながらその変態タイツマン(蛾)に飛び蹴りを喰らわせた。
「痛っ!?」(鱗粉「ぶわー!」)
「今までどこをほっつき歩いてたんだい!?」(鱗粉「ぶわー!」)
「い、いや、花園の方に……痛い、痛い! 触角、引っ張んないでよカーちゃん!?」(鱗粉「ぶわー!」)
「やかましいよ! あんたがいない間にアタシがどれだけ……っ! あぁ、もう! 今日はご飯抜きだからねっ!」(鱗粉「どぶゎー!」)
「そんなぁ!? 勘弁してよ、カーちゃんっ!?」(鱗粉と涙「どぶゎー!」)
倒れた変態タイツマン(蛾)を容赦なく踏みつけるバレリア。
二人から夥しい量の鱗粉が噴出して、視界が灰色に埋め尽くされていく。
スモッグか……
会話から見て、あの変態タイツマン(蛾)がウェンディの父、チボーなのだろう。
よかったなぁ、ウェンディ。父親に似なくて。あの遺伝子、親の代で死滅してるといいな。
「今、火の粉を使ぅたら二人まとめて丸焼きに出来るなぁ……とか思ぅてまうな」
「自重してね、レジーナ。領主として、真剣にお願いするよ」
自重することなく鱗粉を撒き散らす蛾夫婦に苦笑を向けるエステラ。
まぁ、レジーナの気持ちも分からんではないってところか。出来ることならそうしてやりたい気持ちは同じなのだろう。
「ヤシロさん……」
盛大な夫婦喧嘩に、困り顔のジネット。
おろおろとしつつ、どうしたものかと俺に意見を仰いでくる。
「放っておいてやれ。あれはあれで、夫婦の一つの形だ」
「そう……なのでしょうか?」
あのな、ジネット。よく見てみろよ。
バレリアの顔、真っ赤で、少し涙目になってるだろ?
アレは、不安な時にそばにいなかった夫に対する怒りと同時に、夫を見て安心したってことを表してるんだよ。
深い信頼関係がある証拠だ。
「もうっ、バカバカァ!」的なじゃれ合いみたいなもんだ。
ただ、長い夫婦生活の中でその力加減がちょ~っとバイオレンスに傾いてるだけで。
「夫婦喧嘩は犬も食わん。俺たちは一旦引き返そう」
全員を引き連れて一度花園へ戻ろう。
仕切り直しだ。
ヒステリックな女の叫びと、断末魔も然りな男の絶叫を耳に、俺たちは来た道を引き返していく。
騒がしい夫婦喧嘩の音が聞こえなくなった頃、ジネットが意を決したという風に俺に声をかけてきた。
「あ、あの……」
やや俯き、不安げな瞳が俺の顔を見上げている。
ジネットの歩幅に合わせて速度を落としてやると、躊躇いがちにジネットが口を開く。
「……お二人は、出席してくださいますでしょうか…………?」
それはすなわち、ウェンディと両親は仲直りが出来るだろうかという問い。
最も懸念すべきことであり、俺たちが成し遂げようとしている事柄。
だから、先のことなんぞ分からんが、俺は一つしかない解を口にする。
「当然だ」
そうでなければ、俺が困るし、俺が困るなら、なんとしてでもその状況を改善する。
「そうなるように『する』んだよ。これからな」
「…………はい。そうでしたね」
未来はどうなるか分からない。
ならば、自分の望む未来になるように運命だのなんだのを誘導してやればいいのだ。
ただそれだけのことだ。
そうなるか分からないなら、そうなるように仕向けてやる。
俺は今までずっとそうしてきたのだ。
当然、今回もそうするつもりだ。
「盛大な結婚式にしてやろうじゃねぇか。な?」
ニッと笑って視線を向ける。
俺を囲むように並んで歩いていた連中の顔に、笑みが伝染していく。
「うん。ボクも最大限協力するよ」
「せやな。ウチも見てみたいわぁ、盛大な結婚式とかいうヤツを」
そして、最後にジネットへと視線を向け「な?」とダメ押しで言葉を投げかける。
それでようやく、ジネットの顔にかかっていた不安の雲が晴れる。
「はい。頑張りましょうね」
いつものように微笑むジネットの顔は、やはり太陽のような暖かさを感じさせた。
それから間もなく、俺たちは花園へと舞い戻った。
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