「ヤシロ様」
そっと、ナタリアが近付いてくる。
これまでの話をじっと黙って聞き、発言を控えていたナタリア。俺に何か言いたいことがあるようだ。
「もし、『BU』内の他の区へ赴かれる時は、私がお供させていただきます」
どうやら、ナタリアも同じことを考えていたようだ。
多数決をひっくり返すには、四人以上をこちらに引き込まなければいけないと。
「『BU』内では、かなり極端な同調現象が起きているとのことです。で、あるならば……私はどこへ行ってもモッテモテです!」
「今だけはね!」
黒髪を全力で掻き上げるドヤ顔のナタリアに、エステラのツッコミが間髪入れずに突き刺さる。
「一時のブームだよ。あと数週間もすれば、また違う流行が出てくるさ」
「だからこそ、今、私がモッテモテのうちに他区へ赴き、各領主様方と交渉をするべきではないかと思うのです。なにせ、私、モッテモテですから!」
「ヤシロっ! ボクはこの切り札を使うことに反対だ! 効果は見込めるけど、著しく不愉快だからっ!」
「はは、奇遇だなエステラ。……俺もだ」
確かに、話題の人物を連れて行けば、相手の心証がよくなるかもしれん。
だが…………ナタリアを見て鼻の下を伸ばしてるヤツとまともな交渉なんぞしたくもない。
グーで殴りかねないからな、そんなヤロウは。
「もっと普通の手でいくさ」
「へぇ、ヤシロが正攻法を推奨するとはね」
「何言ってんだよ、エステラ」
お前は、ホント俺のことを分かってねぇなぁ。
「もっと普通の『卑怯な手段』で攻め込むっつってんだよ」
「……どうしよう、全力で止めたくなってきた」
エステラ。その握り拳は俺ではなく『BU』の領主どもに向けろ。
俺は何も間違ったことは言っていない。
「私のお話、何かの役に立ったかしら?」
「あぁ。とりあえず謎過ぎた『BU』の実態がおぼろげながら見えたのは収穫だった」
「あら、そ~ぅ? なら、よかったわ」
まんまるい手をすり合わせ、握り、腹の上にぽふっと載せて、マーゥルは大きな窓から庭を見やる。
見事な庭園の向こうに広がる空の下には、四十二区がある。
「あんなに綺麗なものが、こんなくだらないことでもう見られなくなるなんて……私、絶対嫌なのよね」
最初、マーゥルがなんの話をしているのか理解が出来なかった。
しかし、その直後にマーゥルがセロンとウェンディに向けた優しい微笑みを見て、ようやく合点がいった。
「花火を、ご覧になったんですね」
俺が言うより早く、エステラが言う。
ここからなら、あの日の花火が綺麗に見えたかもしれない。
「えぇ。とっても綺麗だったわ。急に大きな音が鳴ったから、最初は何事かと思ったけれど」
「すみません。配慮が足りませんでしたね」
「ううん。自区内でのお祭りごとだもの、盛大にやった方が絶対いいわよ。私は、そういうの大好きだから」
近隣各区にはあいさつ回りを済ませたつもりでいたのだが、『BU』の方にまでは気が回っていなかった。
この距離で花火が上がれば、そりゃあ驚くだろうに。
ま、だからこそ目を付けられたんだろうけどな。
「奥様は、本当にお祭りがお好きなんですよ」
食事が終わり、紅茶が運ばれてくる。
マーゥルの隣にワゴンを置いて、オシャレなティーカップに紅茶を注ぎながら、シンディが俺たちに『告げ口』をする。
「精霊神様のお祭りも、こっそり覗きに行かれたくらいですものね」
「もぅ、シンディ。余計なことは言わないで。恥ずかしいわ」
オバちゃんのような手つきでシンディの肩を叩き、微かに赤く染まった頬を隠すように押さえる。
「セロンさんとウェンディちゃんの光るレンガ……本当に綺麗だったわぁ……それに、光の行進も……あんなに綺麗なお祭りを見たのは生まれて初めてだったわ」
あの日の光景を思い浮かべているのだろうか、マーゥルはまぶたを閉じてうっとりとした表情を見せている。
街道を誘致するために企画した精霊神の祭り。
今でも、あの時の光景ははっきりと思い出せる。
マーゥルはアレを見に来ていたのか。
「あの後、何度も光るレンガを見に四十二区の教会へ通ったのよ。光るレンガね、明るいところで見ても、とっても素敵だった」
マーゥルが照れながら言う。
それで、俺と出会った時に教会付近をうろうろしていたのか。
「あぁ、もう恥ずかしい。これは内緒にしておくつもりだったのに」
セロンとの結婚話はなくなっても、マーゥルはセロンのレンガのファンなのだろう。
自分が憧れているということを本人に知られるのは、確かに少し恥ずかしいかもしれないな。
「ウェンディちゃん」
「は、はい」
名を呼ばれ、ウェンディは足早にマーゥルへと歩み寄る。
椅子に腰かけるマーゥルの前に立ち、気持ち緊張した面持ちでマーゥルの言葉を待つ。
「私、あなたのことも大好きよ。虫人族の中では一番」
「マーゥル……様……」
はっと息をのみ、口元を押さえる。
今にも泣きそうな顔で、瞳を潤ませる。
「私の方がもっとウェンたんのことを好きだけどな!」
「いい雰囲気をぶち壊すんじゃねぇよ」
ルシアがぷりぷり怒り、それを見てウェンディが笑みを零す。涙は、ギリギリのところで零れなかった。
「マーゥルさん、『虫人族』という言葉をご存じなんですね」
「えぇ。セロンさんとウェンディちゃんの結婚式、私も見に行ったもの」
「えっ!?」
意外な事実に、エステラが目を丸くする。
セロンに視線を向けると、セロンは照れくさそうにその時のことを説明する。
「実は、ご迷惑かとも思ったのですが、ご連絡を差し上げるのが筋かと思い、マーゥル様に招待状を差し上げたのです」
「披露宴には参加できなかったけれど、パレードだけは見させてもらったわ。ウェンディちゃん、綺麗だったわぁ」
「そういうことならボクにも言っておいてほしかったな。そうすれば、それなりの対応が出来たのに」
「ごめんなさいね、エステラさん。それは、私が『やめて』ってお願いしたの。『内緒ね』って」
不満顔のエステラを宥めたのはマーゥルで、俺はその気持ちがなんとなく分かった。
主役の二人を差し置いて自分をもてなしてほしくはなかったのだろう。あの時は、主賓にルシアもいたしな。
マーゥルの性格なら、すみっこの方からこっそり眺めている方が楽しいのではないだろうか。なんとなく、そんな気がする。
「でも、素敵な言葉ね、『虫人族』って。『獣人族』も素敵。これまで使われていた言葉よりずっといいわ」
マーゥルも『亜人』や『亜種』といった呼び名は嫌いだったらしい。
「古い呼び名に反旗を翻し、新しい呼び名を定着させたのも、ヤシぴっぴなんでしょ?」
「たまたまだ」
俺は見た目で適当に呼び名をつけただけだ。周りの連中が勝手に真似して、気が付いたらちょっと広まってたってだけで、反旗を翻す気も、新しい呼び名を定着させるつもりもなかった。
たまたま。偶然の産物だ。
「そうだ、ヤシぴっぴ。もしどこかに、変わった、面白い人がいたら是非紹介してくれないかしら? ウチの給仕に雇えそうな人で。ヤシぴっぴの知り合いなら、技術なんかなくても大歓迎よ」
「いや、まぁ……確かに俺の知り合いは軒並み変なヤツばっかりではあるが……」
そこの真っ平らとか虫マニアとか。
「エステラ、ルシア。バイトをしてみる気はないか?」
「なんでボクたちを勧めようとしてるんだい?」
「貴様がここで働け。そして四十二区から出て行け。ハム摩呂たんとミリィたんは私が面倒を見る!」
「よし、とりあえずルシアはしばらく四十二区出入り禁止だ」
確かに変な知り合いばかりだが、『給仕として働ける者』という条件を満たせる者がいない。
どいつもこいつも仕事を持ち、そしてその仕事に誇りを持っているヤツばかりだからな。
あと、ここの給仕になるってことは、二十九区に住むことになるだろうし……うん、いないな。
「すまんが、心当たりがないな」
「そぅ? 残念ねぇ。まぁいいわ。もしどこかにいい人がいたら、声をかけておいてね」
「どこかに転がってたらな」
「そうね。本当にどこかの道に『転がって』いるような、そういう変わった人がいいわね。面白そうで」
本当に道端に転がってるようなヤツはやめといた方がいいと思うけどな。
そいつが、ダンゴムシ人族とかでもない限りは。
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