「ぬわぁっ!?」
突然デリアの悲鳴が聞こえた…………悲鳴かな、今の?
「…………冷たい」
何をどうやったのか、デリアが全身ずぶ濡れになっていた。どうも水差しを頭の上でひっくり返したらしい。……曲芸でもしてたのかよ。
「お前らのせいで濡れたぞ!」
「「「「いやいやいや! 『空中水汲み!』とか突然やり出したのデリアさんですからっ!」」」」
……そんなことやってたのか。
「くそぉ……服がびしょ濡れだ……脱いで乾かさないと」
「やめろっ!」
ここで脱ぐと、…………死者が出る。
「そ、そうだな……ヤシロも、いるしな……」
「いなくても人前では脱ぐな」
「あは……ヤシロは意外と独占欲が強いんだな……」
んっと……とりあえず話が噛み合っていないことは分かった。何を言っているのかはよく分からんし、分かろうという努力をするつもりもないが。
「大変ですっ! デリアさん、今すぐ着替えないと……!」
「でも、あたい、これ以外に服なんか持ってないぞ?」
「わたしの制服をお貸しします!」
「入るかぁ?」
デリアがジネットの隣に立ち、手のひらを自分の頭の天辺からジネットの頭の天辺まで上下に動かす。デリアは俺より背が高く、ジネットは俺より低い。
サイズ的に入るのか…………俺は二人を見比べる。
『ぽい~ん』
『ドーン!』
「入るんじゃないかなっ!?」
「……ヤシロさん。今、胸だけ見てたッスよね?」
デリアなら、ジネットにだって対抗できる!
「なら、借りようかな」
「はい。ではこちらへ」
ジネットがデリアを連れてカウンターの奥へと姿を消す。
「あぁ……美女が全員いなくなる……」
店に残ったのは、俺と、美女目当ての男どもだけだ。
非常にむさくるしい。
というか、ジネットの茶飲み友達であるムム婆さんを除けば、この食堂に女性客はいない。ベルティーナは来る度に『ジネットの育ての親権限』を発揮し、金を置いてはいかないし……つか、タダで食べられる時しか店には来ない。
エステラがたまに金を払うくらいか……
折角ハニーポップコーンなんて女性受けしそうな甘味を用意したってのに、全然女性客がいないじゃねぇか! ……これは由々しき事態だな。改善が急がれる。
その後、お通夜のような時間が訪れた。
誰も何も言葉を発さず、カチャカチャと食器のぶつかる音だけが静かな食堂に響く。
……こいつら、そんなに美少女が好きか。美少年がここにいるというのに、失敬なヤツらだ。……いや、まぁ、俺を見て「ぅおおおおっ!」とか言われても引くけどさ。
とはいえ、こんな連中でもお客様だ。誰もいないのなら、俺が接客をしなければいかんだろう。
デリアがしようとしていた水のおかわりを、俺が代わりにやってやろう。
四人掛けのテーブルに座る大工どもの席へと、水差しを持って向かう。
「おい。水いるか?」
「……ウス」
――チン……コポコポコポ…………トン。
「…………ウス」
なんだ、この空間!?
体育会系の部室か!?
交流のない一年とOBか!?
「あ、あの~……ヤシロさん。この水って、どうしたんッスか?」
ウーマロが、気を遣っているのがまる分かりな感じで話を振ってくる。
重苦しい空気をなんとかしようとしてんのか。いい心がけだな。
よし、俺も乗ってやろう。
「ひ・み・ちゅ☆」
「うわぁ~……しゃべりかけるんじゃなかったッス……っ」
「冗談だ。ちょっと可愛かったろ?」
「……残念ながら微塵もッス…………」
感性の違いだろうな。
あ、そうか。ウーマロはつるぺた信仰だもんな。
「俺もつるぺただろうがっ!」
「何に対する怒りなんッスか!? 訳分かんないッスよっ!」
まぁ、いい。ウーマロに気に入られたいなどとはこれっぽっちも思っていないしな。
「この水は井戸から汲んできたやつだぞ」
「でも、この前までの雨で濁ってないんッスか?」
陽だまり亭の中庭には潤沢な水量を誇る井戸が存在する。
ウーマロの言う通り、先日までの長雨のせいで井戸に雨が入り込んで多少は濁っている…………いや、正直、そのまま飲むのを躊躇うくらいには濁っている。きっとどこの区でも同じような状況なのだろう。ウーマロたちは綺麗な水を不思議そうな顔で見つめている。
「水を溜めておくにも、食堂なんかだと相当な量がいるッスよね?」
毎日十数名は来るようになった客に対し、陽だまり亭では水の無料提供を開始した。
これまでは……というか、この世界の飯屋では水が出てこないのだ。「喉が渇いたのなら酒を買え」と、そういうシステムなのだ。
始めた当初は「頼んでない」と拒否する客がほとんどだったが、無料だと知るやごくごくと遠慮もなく飲むようになった。概ね好評というところだろう。
「綺麗な水を調達する裏ワザとかあるんッスか?」
ウーマロが興味深そうな目を向けてくるが……他人が知りたがるものを懇切丁寧に解説してやる義理はない。
実のところ、とても単純な話で、井戸の濁った水をろ過しているだけなのだ。
石と砂利を使った単純なろ過装置を通し、井戸水に含まれる不純物を除去している。それでも多少不安が残るので煮沸消毒もしている。最後に、レモンを一搾りすれば口当たりも爽やかな飲料水になるというわけだ。
衛生面は、飲食店にとって最も気を付けるべき事柄だからな。
とはいえ、それをバカ正直に教えるつもりは毛頭ない。
なので、俺は再びこう答えるのだ。
「ひ・み・ちゅ☆」
「「「「ぅぉぉおおおおおおっ!!」」」」
な、なんだ!?
ウーマロの引き攣った顔を見ようと思って被せたボケが、まさかの大ブレークか!?
俺の可愛さに大工どもがノックアウトか!?
もしそうならお前ら全員出禁だからな!?
が、そうではなかった。
大工どもの視線はカウンターの向こうへと向けられている。
そちらに視線を向けると……
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