異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

293話 最低な一日 -1-

公開日時: 2021年8月28日(土) 20:01
文字数:3,343

 昨夜は結局、「まだうっすら血がにじんでいるので、完全に血が止まるまでは包帯をしておきましょう」と言われ、特殊メイクが出来なかった。

 自分で言った割に、ジネットは俺の腕の包帯を見る度につらそうな顔をしていた。……だからさっさと覆い隠したかったってのに。

 

 なので、早朝にさっさと特殊メイクをしてしまおうと『傷跡』を作成した。

 この『傷跡』を左腕に貼りつけて、皮膚との境界を分からなく加工すれば出来上がりだ。

 

 切られた皮膚のめくれ方や、覗く傷口の赤み、痛々しさは実にリアルで見事の一言に尽きる。

 さすが俺だ。ハリウッドだろうがNASAだろうが、俺ほどの技術を持った特殊メイクアーティストはいないだろう。

 机に置いているのに生々しい傷跡にしか見えない。

 一瞬「えっ、この机、生身!?」って思っちゃうレベルだ。

 

 さてそれじゃあ腕に貼りつけようかなぁ~と思ったところで、部屋のドアがノックされた。

 開けてみればジネットが立っていた。

 

「あの、窓から明かりが見えたもので、もう起きてらっしゃるのかなって」

 

 そう言って、視線がすっと左腕の傷へと向かう。

 そんなに心配しなくてもいいのに。

 まぁ、ジネットは、マグダが怪我をした時も毎日ハラハラしてたしな。性分なのだろう。

 

「手伝いが必要か?」

「いえ、大丈夫ですよ」

「下着を洗濯するなら、俺が見張りをしといてやるぞ」

「ヤシロさんです、見張られるのは」

 

 もぅ……と、頬を膨らませて、ジネットはすぐに笑みを浮かべる。

 

「痛みで目が覚めたりしませんでしたか? 切り傷は時間が経ってから痛みが増しますから」

 

 まぁ確かに、時間を追うごとにじんじんとした痛みは増していったが、今はもう平気だ。

 いや、痛いよ? 痛いけど、泣くほどではない。それに、ピークももう過ぎた。

 あとは、治るまでず~っと「地味に痛いなぁ……」ってちょっとイライラするだけだ。

 

「あ、アレが傷口ですか? えっと、特殊メイク、でしたっけ?」

 

 机の上にのせてある『傷口』を見つけ、ジネットがぐぐっとつま先立ちになって覗き込む。

 いや、見たいなら入ればいいのに。

 あ、そうか。ジネットは俺の部屋に勝手に入らないんだよな。気にしなくてもいいのに。

 

「入るか?」

「いいんですか?」

「いいよ。見られて困る物もないし」

 

 この街には紳士の嗜み図書も売ってないしな。

 

「では。お邪魔します」

 

 少々緊張した面持ちで部屋へ入ってくるジネット。

 他の部屋と同じだろうに。

 特に俺の部屋は荷物が少ないし。

 いや、マグダの部屋も荷物は少ないか。

 客室なんかほとんど何もない。

 

 ……荷物少ないな、この家。

 

 まぁ、マグダは、少しずつ大切な物が増えているようだけどな。

 ちょっとした思い出の品や記念品を棚に並べるようになっている。

 徐々にだが、女の子っぽくなっている気がする。

 

 そのうち、部屋に入るなとか言い出すのかね。

 それはちょっと楽しみなような、寂しいような。

 

「…………」

 

 ふと気になることがあり、『傷跡』を見て「うわぁ、痛そうです……」とか言っているジネットに確認してみる。

 

「なぁ、ジネット。マグダにさ……『ヤシロの物と一緒に洗濯しないで』とか、言われてない?」

「え?」

 

 いや、ほら、年頃の女子ってそういうもんらしいじゃん?

 

「特には、聞いていませんが?」

「ジネットは、嫌だったりしないか? 男物を洗濯するのとか」

「わたしは、割と好きですよ、お洗濯。綺麗になった洗濯物を『パンッ!』って干す時には、ちょっとした達成感を味わえますし」

 

 とりあえず忌避感はないようなのでよかった。

 だが、完全に好意に甘えてるよな。

 ジネットがやってくれるというから、洗濯は任せっきりだ。

 

 ここは、俺もちゃんとお返しをするべきだろう。

 

「なんなら、洗濯代わるぞ?」

「だっ、……ダメです」

 

 ぷくっとほっぺたを膨らませて鼻をぷしっと押された。

 

「洗濯した後のもダメですのに、洗濯前なんて……絶対お見せできません」

 

 どうやら、ジネットのパンツを洗わせろと言ったのだと思われたらしい。

 いやいや、自分の分くらい自分で洗うぞって意味だったんだが……

 

「ヤシロさんにはいろいろ助けていただいていますし、それにわたし、家事は好きなんです。ですので、これまで通り任せてください」

 

 そんな素敵な笑顔で言われちゃ、反論の余地もないな。

 

「それじゃ、お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」

「はい。こちらこそ、ご迷惑をおかけしてばかりですが、よろしくお願いします」

 

 二人で頭を下げ合って、笑う。

 なんだこの茶番。

 

 でもまぁ、機会があればジネットのパンツを洗ってあげよう。そうしよう。あくまで親切心から。NO邪、YES親切。

 

「あの、これを腕に貼りつけるんですか?」

 

 ――と、俺が邪な気持ち100%でパンツのことを考えていると、ジネットが机の上の傷口を指さして聞いてくる。

 

「あぁ、こうして貼りつけて、あとは皮膚の色になじませると本物みたいに見えるだろ?」

「ぅあ……」

 

 実際に腕に貼ってみせると、ジネットが眉を寄せて声を漏らした。

 

「あの、それを貼るのは、みなさんがいる前でにしてあげてくれませんか? その……いきなりその傷を見ると、きっとびっくりされると思うので」

 

 俺としては、本物の傷を隠す意味でもさっさと貼りつけてしまいたいんだが……

 

「マグダさんが、怖がるといけませんから」

 

 マグダは、自分が怪我をすることは恐れないのに、親しい者が怪我をすることを嫌がる。

 ま、みんなそうなのかもしれないけれど、マグダはそれが顕著だ。

 教会のガキどもの相手をする時も、怪我をしないようにさりげなくフォローしてやっているみたいだし。

 

「分かった。んじゃ、寄付の前にな」

「いえ、あの……子供たちも、この傷を見ると驚いてしまうと思うので……出来れば教会で」

 

 ガキどもの前で貼りつけるのかよ……邪魔しないように見張っててくれよ。

 

「うぅ……痛そうです」

 

 恐る恐る『傷口』に指を触れるジネット。

 いや、これは乱暴に触っても痛くないから。偽物だから。

 

 偽物だって分かっていてここまで怖がるのはジネットくらいだとは思うが……それでジネットが安心するならそうするか。

 教会だから出来ないなんてことはないしな。

 

「分かった。じゃあ、飯の後でだな」

「はい。……今日はお手伝いは結構ですよ?」

「いや、これ偽物だからな? そんな大怪我してないから、俺」

「でも、怪我はされていますし」

「もうすっかり痛みもねぇよ」

 

 ……『すっかり』は嘘だけど。

 

「今日は、消化にいいものを用意しますね」

「それはさすがに関係ねぇわ!?」

 

 腕を怪我しても、消化器官関係ないから!

 病気じゃないから、俺!

 

 やっぱり、ジネットはちょっと天然なんだろうな。

 あ、訂正。かなり天然だ。

 

「……おはよぅ」

 

 騒がしかったのか、マグダが起き出して俺の部屋へと入ってきた。

 

「おはようございます、マグダさん」

「悪い。うるさかったか?」

「……平気。ヤシロが痛みで起きたら助けに来るつもりだったから」

 

 マグダは、普段は寝坊助なのに、緊急事態下では狩猟モードになるのだ。

 夜間も神経を研ぎ澄まし、仮眠中でも微かな物音で目を覚ましたりする。

 でも体はまだ子供なので、寝なくても平気という時間は短い。

 今日も昼寝の時間を設けてやらないとな。

 

 ジネットに起こされるのを毎朝楽しみにしているのに、自分から起きてくるなんてな。

 昼寝の後、思いっきり甘やかされて起こされるといい。

 

「……ヤシロ」

 

 ジネットが怖がるので腕から剥がして机に置いた『傷口』を見て、マグダが言う。

 

「……机が大怪我を」

「まだ寝ぼけてるのか?」

 

 どこの世界に切られて血を流す机があるんだよ。

 怖ぇよ、そんな呪われた机。やめてくれよ。今夜から一人で眠れなくなるだろ。

 

「これを、こうして腕に貼りつけるんだよ」

「……ぴぃっ」

 

『傷口』を腕に貼りつけてみせると、マグダが短く鳴いて、ジネットの腰にしがみついた。

 そして、じぃっとジネットを見上げて訴えかけるように言う。

 

「……店長。ヤシロに消化のいいものを」

 

 だから、病気じゃねぇし、この『傷口』は偽物だってのに……

 

 

 なんとなく、どこに行っても同じような反応をされそうだったので、ジネットの言うとおり教会で、大勢の前で「偽物ですよ~」と見せつけながら装着することにした。

 

 まったく、四十二区の住民はどいつもこいつも心配性で天然だらけなんだよなぁ……

 

 

 

 

 

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