異世界版一杯のかけそば。
そんなフレーズがピッタリくる、不幸を絵に描いたような陰鬱な一家。
そんな客が、陽だまり亭にやって来た。
「あ、では、すぐに準備してまいりますので、少々お持ちください」
ジネットが聖なる法衣を脱ぎ、カウンターの奥へと向かう。
「あ……」
そんなジネットを見て、父親らしき男が声を漏らす。
「え?」
思わず立ち止まったジネットに、父親は弱々しい笑みを向ける。
「いえ、息子が言っていたことが本当だったのだと、思いまして」
「息子さんが?」
ジネットが息子に視線を向ける。と、息子は少し曇った表情を見せた。
「違うよ。僕が見たのは、もっと読みやすい文字だったもん。似てるけど、それじゃない」
「え、でも、『友人・家族を誘って是非お越しください』と書いてあるだろう?」
「でも、違うもん」
どうやら、この息子はどこかでこの陽だまり亭の宣伝シャツを目にしたらしい。
……で、読みやすかったということは。
「エステラ」
「急用を思い出したので、ボクはこれで失礼するよ」
傘で自分の胸元を隠し、出て行こうとするエステラの肩をむんずと掴む。
子供の夢を壊すんじゃない。
「坊主。お前が見たのは、こっちだろ?」
そう言って、エステラを坊主の前に押し出す。と、坊主は嬉しそうに目をキラキラと輝かせて大きく頷いた。
「うん! これだよ! 僕が街で見かけたのは! すごく目立って、とっても読みやすかったよ」
「坊や……悪意がなくとも人を傷付けることがあるってことを、学ぼうね」
エステラは、まだ年端もいかない少年に対し、大人げなく殺気を向ける。
なんてヤツだ、まったく。
「お前の功績が認められたんじゃないか。胸を張れ! 張れるものなら」
「胸くらいいくらでも張れるよ、ただ、ここでは張らないけどね、絶対に!」
エステラが微かに潤む瞳で俺を睨みつける。
ぺったんこが役に立つこともあるのだと証明できたというのに……何が不満なんだか。
「私も、初めて聞いた時は信じられなかったんですよ。そんな文字が書かれた服を着ている人がいただなんて」
「お父さん、僕のこと嘘吐きだと思ったんだよ!?」
「いや、そこまでは思ってないよ……ただ、この街で嘘を吐くというのは、とても危険なことですから。この子くらいの時には、そういう時期もありますし、今のうちにしっかりと教育をしてやらねばと思いまして……それで、こちらへお邪魔させてもらったんです」
先ほどまでの陰鬱な空気が少しだけ払拭され、微かに明るさが垣間見える。
自分の主張が正しかったのだと立証できた息子が自信満々に胸を張っているせいだろう。
「変わった宣伝方法ですね。どなたが発案されたのですかな?」
「それは、こちらにいるヤシロさんです」
別に宣伝のために考えたわけではないが、うまい具合に客を引っかけてくれたわけだ。
つか、エステラのヤツ、律儀に宣伝しながら帰ったんだな。
俺ならある程度行ったところでマントを羽織っちゃうけどな。
「素晴らしいアイデアだと思います。ユニークで、革新的で、そして効果的だ」
「ありがとうございます」
「……ウチも、それくらいのアイデアがあれば……あんなことには……」
「お父さん、やめてください。他人様の前で……」
静かに、母親らしき女性が父親らしき男性を窘める。
父親はそれに気付き、愛想笑いを浮かべ、小さな頭を掻いた。
「あ……あぁ、いや……これは…………どうも」
ははは……と、乾いた笑いを漏らす。
「あの、何かお困りなんですか? もしよろしければわたしに……」
「ジネット」
余計なことを口走りそうだったジネットを制止させる。
速やかに退場願おうか。
「クズ野菜の炒め物、一人前だ。お客様をいつまでも待たせるな」
「あ、そうでしたね! すみません。すぐに作ってきます!」
「あ、お構いなく」
父親らしき男が言うが、構わないわけにはいかないだろう。客なのだから。
「お父さんな、前に一度だけこのお店に来たことがあるんだが、ここの料理は美味しいぞぉ。みんな、期待しておくといい」
「ホント?」
「たのしみぃ」
エステラの服を見たと言った少年と、それよりもさらに幼く見える少女は期待に瞳を輝かせる。
だが、母親らしき女性だけはずっと俯いたままだ。
「ヤシロ、ちょっと……」
エステラが俺を呼び、食堂の隅へと連れて行く。
「……どうしてジネットちゃんを追いやったんだい?」
さすがに気付くか。
「いちいち他人の面倒事を引き込んでいてはキリがない。慈善活動に精を出している余裕なんてないんだよ、ウチにはな」
「話を聞くくらいいいじゃないか」
「聞けば必ず首を突っ込む。ジネットとは、そういうヤツなのをお前もよく知っているだろう」
「そして、そうなったジネットちゃんを放っておけないお人好しがいることも、ボクは知っているつもりだけどね」
「ほぉ、そんな奇特な人間がいるのか。是非紹介してほしいものだな。俺がとことんまで利用し尽くしてやるから」
「……まったく。君だって気になるだろう、あの家族の尋常じゃない負のオーラ。話を聞くだけでも聞いてあげなよ。何か力になれることがあるかもしれないじゃないか」
「あぁ、おそらく力になれることならいくらでもあるだろう」
そんなもの、無理やり探せば潮干狩りシーズンのあさり以上にぽろぽろ見つかるだろう。
だがな、わざわざ探してなんになる?
「力になれることがあったとしても、力になってやる理由がない。俺たちは自分のことで手一杯なんだ。何度も言わせるな」
食料だって、もっと仕入れを安定させたい。
集客力の弱さを改善する必要もある。
値の張るパンの代替品だって考えたい。
やらなければいけないことはいくらでもあるのだ。
もっと言うなら、俺のやるべきことは食堂経営なんかじゃない。
ここの経営を立て直すのは、あくまで俺の人生の足がかりにするためだ。地盤固めだ。目的地ではない。
無駄な寄り道や道草を食っている場合ではないのだ。
「人との出会いで救われることもあるだろう」
「だとしたら、あいつらは運が悪かったんだな。俺ではなく、もっと親切でゆとりのある人物に出会っていれば、救いの手の一つや二つ差し伸べてもらえただろうに。運不運っていうのはままならないものだよな」
「……本気で言ってるのかい?」
エステラの視線が冷たさを増す。
こいつ、何を勘違いしてやがる……
「お前には俺が、困っている人を放っておけないお人好しにでも見えているのか? なら、医者にでも見てもらうんだな。目か脳がどうかしちまってるはずだ」
「そうかい…………分かったよ」
久しく見なかった蔑むような視線を向けられる。
出会ったばかりの頃は、よくこんな目で見られていたっけな。原点回帰か? 人生においては時として重要になることだよな。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!