「多数決は絶対……だったっけ?」
理不尽に対する怒りは、どろどろと粘度が高く不快なものだ。
空気が歪んで見えるほどに濃厚な怒りを纏うドニスに、俺はあえて笑顔を向ける。
「残念だったな、ドニス」
「……貴様。いけしゃあしゃあと……っ!」
いきり立ったドニスがテーブルを退かせて俺へと詰め寄ってくる。
そのドニスへと、ドニス以上の速度で接近する。
「なっ!?」
怒りに任せて向かってくる相手に、こちらからそれ以上の速度で接近した場合、人間は無意識で手が前へ出てしまう。これは反射がもたらす現象で、意識して防ぐことは非常に難しい。
怒りによる興奮状態の時、人は平常時よりも攻撃的な思考になっている。
そのつもりはなくとも『ぶっ飛ばしてやりたい』という感情くらいは持ち合わせているのだ。
その感情を抱いて移動している時、脳は自分が『攻撃体勢』にいると判断する。
そんな攻撃耐性のさなか、敵が向こうから、それも速度を上げて向かってくれば――人の体は防衛反応を起こす。
それが、無意識に突き出される腕だ。
殴るために出された手ではない。ぶつからないために、自分のパーソナルスペースを侵略させないために伸ばされた腕だ。
だが、受け手が少し演じてやれば――
「ぅお!?」
突き飛ばされたように見せることは容易。
そして、ふらついて……ゲラーシーの座るテーブルへと衝突し、袖に隠しておいた折りたたまれた紙切れを、『ゲラーシーのテーブルから転がり落ちた』ように見せかけて床の上を滑らせる。
信頼を一瞬で砕き、疑念を一気に増幅させる『たった一言』の魔法の言葉。
そいつが書かれた紙切れは床を滑り――狙い通りトレーシーの目の前へとたどり着く。
「これは……?」
「あっ、ヤベ!」
無理な体勢から慌てて起き上がり、トレーシーが紙切れを拾い上げる直前に奪い取る。
……という、計算され尽くした演技を見せる。コンマ一秒単位の緻密な演技だ。絶妙の間を要求される。
「今隠した物はなんですか?」
トレーシーの冷たい声が俺を責める。
適度に、俺に対してムカついているようだ。口調を取り繕うことも忘れて、素の怒りを向けてくる。
「なんでもねぇよ。気にするほどのもんじゃない」
と、手に持った紙切れをトレーシーから遠ざけるために背中へと隠す。……が、背後にはドニスがいるので、当然、その紙切れはドニスによって没収される。
「あっ!? ちょっ、待て!」
ドニスとの体格差を考慮して、振り向き様に飛びかかる。が、ドニスの方がデカいので手を頭上に上げられれば俺には届かない。
俺の手が空を切り、ドニスが折りたたまれた紙切れを広げる。
そして、そこに書かれていた文字が衆目にさらされる。
『準備は出来た』
俺の字で、はっきりとそう書かれている。
目立たないように、小さな紙切れに書かれたその文章は、明らかに何かのメッセージ――に、見えるただの落書きだ。
「これはなんだ?」
「……ただの落書きだ」
今日の俺は物凄く正直者だ。
なのに、ドニスは最大級の疑念を俺に向けてくる。
正直者ほど疑われる。現実はそんなものだ。
信じてほしい時は、適度に嘘を交えるのが効果的なのだが、今は真実のみを語って聞かせる。
「それは、この会談とは一切関係なく、俺が自分の部屋で書いた落書きだ。誰かに当てたメッセージじゃない」
「それを……ワシらが信じるとでも?」
信じないだろうな。
つか、信じるヤツがいたら、そいつは根っからのバカか、ジネットくらいのもんだ。
「…………しゃーねぇな」
面倒くさそうに頭を掻いて、そして両腕を広げる。
「『精霊の審判』をかけていいぜ。それは、落書きだ」
ドニスを見つめ待ち構えるが、ドニスは手に持っていた紙切れをくしゃりと握りしめ、床に叩きつけただけだった。
「このような場において、『精霊の審判』をかけろというのは罠だと相場は決まっておる」
そんな話を、『宴』の後に教会の前でもしたよな。
ドニスがゲラーシーに似たようなことを言われていた。
「じゃあ、トレーシーがかけるか?」
「お断りです」
振り返って尋ねてみるもトレーシーは腕を組んでそっぽを向いていた。
すごく不機嫌そうに。
さて。
俺の転倒により、床の上へと『うっかり零れ落ちた謎のメッセージ』。
ドニスとトレーシーの怒り具合から見て、この二人宛てではないことが窺えるだろう。
エステラやルシア宛てなら、わざわざ手紙にする必要はない。耳打ちで済む。
では、誰宛てなのか……
察しのいい『デキる領主様』たちはピーンときたようだ。
自然と、会議室にいる者の視線が一ヶ所に集まっていく。
「……な、なんだ!?」
ゲラーシーが、集まる視線に狼狽する。
ドニスとトレーシーが除外されれば、怪しいのはお前だけだもんな。
なにせお前は『あいつら裏で繋がってんじゃねぇのか?』と、思い込まれているんだから。
だからこそ、俺は即座に動く。
「ゲラーシー宛てのメッセージじゃねぇぞ」
集まる視線から、ゲラーシーを庇ってやる。
俺の背に庇われたゲラーシーが、憎々しい声で呟く。
「……貴様。この期に及んでまだ何か……っ」
「信じられないなら、『精霊の審判』をかけてもいいぞ!」
天丼というヤツだ。
同じことを二度繰り返すという、バラエティでもお馴染みのアレだ。
だが、俺の天丼は……少々イラッとする。
「なんだよなんだよ! お前らみんなして、まるで『ゲラーシーが俺と裏で繋がっているから信用できない』みたいな顔しやがって!」
その場にいる領主どもの内なる思いを言葉にしてやる。
そして、その言葉が領主たちの鼓膜から脳へと伝わり、『思っていた近しい感情』が、俺の言葉に上書きされる。近しいばかりに、なんの違和感もなく。
『ゲラーシーが俺と裏で繋がっているから信用できない』
そんな言葉が、この場にいる者の共通認識となり、そうなったからこそ生きてくる『とある決定事項』がある。
「あれれ~。って、ことはさぁ……」
俺の無邪気な演技に、エステラが苦笑を浮かべている。
ルシアに至ってはこめかみを押さえて首を振っている。
なんだよ、応援しろよ。
折角苦労して準備したのによ。
さっきの紙切れ、今のお前らに渡したら意味を成したかもしれないな。
覚えているか、内容を。
『準備は出来た』
あとはまぁ、俺に任せておけよ。
「さっき多数決で決まった、『この者と内通している疑いのある、信用のおけぬ者を多数決に参加させるべきではない』ってやつ、ゲラーシーにも適用されちまうわけか?」
「なん……っ!?」
ガッタン! と、大きな音を立ててゲラーシーの椅子が倒れる。
背に庇うような格好をしてるから顔は見えないが、すげぇ焦っている気配だけはひしひしと伝わってくる。
「ち、違う! アレは、この二人を指したことであって……私は関係ない!」
「なるほど。他人は、罠にはめるようなやり方で落とし入れても問題ないが、自分だけは例外的に認めないと、そういうわけか?」
体は前を向いたまま、背を反らし腰をひねって顔を後ろへと向ける。
般若のような顔をしたゲラーシーと視線が合い、咄嗟に飛び退いた。
「貴様ぁ!」
両腕を振り回して俺を捕まえようとしたゲラーシー。
だが、俺の方が早かった。
「残念ぷっぷー」
「叩き出してやるっ!」
ゲラーシーが俺に掴みかかろうとするが、それをドニスとトレーシーが防いでくれる。
「貴公が言い出したことであろう?」
トレーシーが冷たく言い放ち、
「オオバヤシロの言った通りではないか。ワシらには似たようなことをして除外しておきながら、自分だけは認めないなど、それこそ認められんよ」
ドニスが理論攻めで絡めとる。
反論は、出来ないだろう。
『あいつ怪しいからハブろうぜー』
『お前も怪しいじゃん!』
『俺だけは特別にセーフ!』
そんなガキみたいな理屈、通るわけがない。
だからこそ、わざわざ『名前を出させずに』多数決を採らせたんだよ。
お前がその範疇に入るようにな。
「ゲラーシー」
ドニスとトレーシーに阻まれているゲラーシーは、檻の中のライオンと同じだ。
俺に危害を加えることは出来ない。
だから、はっきりと言ってやる。
「人との信頼関係って、築くのは大変だが、壊れるのは一瞬なんだぜ? 『信頼』って言葉の重み、もう一度よく考えてみろよ」
「貴様にだけは言われたくないわぁ!」
トレーシーを押しのけ俺に掴みかかろうとするゲラーシー。だが、トレーシーを押しのけたりしたら――
「トレーシー様に何をするっ!?」
ネネが怒りを爆発させた。
同時に銀髪Eカップが動き出すが、ドニスのとこの執事も動き始め、ついでとばかりにナタリアとギルベルタが俺を守るような配置に素早く着いてくれる。
……この街の給仕長、スペック高過ぎない?
映画見てるみたいな無駄のなさなんだけど…………ネネ以外は。
「トレーシー様!」
「……大丈夫だ。大事ない」
「申し訳……」
「よい」
「……はい」
トレーシーは、押されて転倒こそしたものの、怪我はないようだ。
だが、相当なしこりが生まれただろう。
多数決で、筋書き通りに事を運んできた『BU』の領主会談において、まさか荒事が繰り広げられるとは、誰も思っていなかっただろうな。
その渦中にいたのは、俺? いいや、ゲラーシーだ。
「エーリン……はっきりと言ってやる」
立ち上がり、トレーシーが癇癪姫の迫力を惜しげもなく開放してきっぱりと宣言する。
「私は、貴様が信用できない!」
「ワシもだ」
そこにドニスも加担する。
「貴公は、どうにも他者を陥れようと画策している節が見受けられる。紳士的とは言えん」
「貴様ら……進行役の私に向かって……」
「『貴様』とは……誰に向かって言っておるのだ、小僧?」
ドニスの迫力も全開だ。
このジジイに関しては、執事よりも本人の方が強そうだ。
そうして、再び沈黙が訪れる。
さすがの二十三区領主も、何も言い出せない。
事態が二転三転し過ぎて、どこに真実があるのかを見失っているのだ。
他の連中は、きっと何も分かってないんだろう。人任せに慣れきってしまったツケだな。
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