楽しかった。
今日は、すごくすごくいい一日だった。
「楽しかったなぁ」
川が見えてきて、あたいは知らずそんなことを呟いていた。
大食い大会のために漁が休みになって、陽だまり亭の手伝いも今日は必要ないって言われてて、なんだか退屈な一日だなぁ~って思って始まった一日だったのに。
「楽しかったなぁ」
なんか、今すぐ眠ってももったいないって思わないくらいに、今日はもう、すっごく楽しかった。
あぁ、でも、どうせならヤシロと一緒に釣りもやればよかったかな。
あ~、しまったなぁ。あたい、デートが嬉しくてすぐに飛びついちゃったんだよなぁ。
ちょっとくらい釣りをすればよかった。
……誘ったら、一緒にやってくれるかな?
デートのこともちゃんと覚えていてくれたし、きっとやってくれるよな?
だって、ヤシロすっごく優しいしさ!
約束覚えててくれただろ。
それに、退屈だと思ってた今日って日を楽しい一日にしてくれたし。
それに、花束もくれたし。
「綺麗だなぁ」
何度見ても、花束は綺麗で、とてもいい匂いがして、この花束を持っているだけで、なんだかあたいまですごく女の子らしくなっているような気がしてくる。
「……あたい、ちょっとは可愛くなった、かな?」
これでも、結構努力はしてるんだ。
たとえば、物を食べる時は大きな口を開けないとか、座る時に足を大きく開かないとか、くしゃみした後に「ちっきしょー!」って言わないとか。
……ヤシロはさ、たまにあたいのこと、可愛いって言ってくれるしさ。もっと、言われたいし。
それで、マグダのマネをしてみようと練習したことだってあるんだぞ。
……そしたら、オメロのヤツが「なんか不気味なんで本気でやめてください!」とか言って泣き出してさぁ。あいつ、酷いよな? 可愛いの練習をしてたのに不気味って。
「ん? あ、親方! お疲れさm――」
「オメロのヤツ、今度会ったらぶっ飛ばしてやろうかな……」
「失礼しましたー!」
「ん? おぅ、オメロ! 何してんだー?」
「自己防衛でぇぇぇえーす!」
なんか、オメロが全速力であたいから遠ざかっていく。
体力作りかな? 感心感心。
あ、そうだ!
ヤシロにもらった花束を見せてやろっと!
そしたらオメロだってあたいのこと、「親方、なんか女の子っぽくなりましたね!」とか言うに違いないんだ。
にひひ。オメロに言わせてやろっと。不気味とか、もう言わせないんだからな。
「オメロ~! ちょっとこっち来いよ~!」
「すんませーん! 自分の命が可愛いので、無理ですー!」
どんどん遠ざかっていくオメロ。
「……十、九、八、七――」
「到着しました、親方! ゼハァ、ゼハァ……!」
おぉっ、すげぇ速かった!
なんか、いつもの体力訓練の時よりもずっと速かったな、今。
やっぱ特訓やってたんだな。
やるなぁ、オメロ。さすが、あたいの父ちゃんが見込んだ男だ。泳げないけど。
「そ、それで、なんでしょうか、親方?」
なんか、青い顔でガタガタ震えているオメロ。
特訓し過ぎなんじゃないか? 適度が一番なんだぞ。
「それよりさ、これ見てくれよ!」
「どれよりですか?」
「なんでもいいから、これ! 綺麗だろ!?」
「これって……鮭、じゃ、ないですよね?」
「何言ってんだよ、当たり前だろう!?」
こいつは、鮭と花束の違いも分からないのか?
「親方が鮭以外を持っていて、尚且つわざわざ見せようとするなんて……まさか、ヤシロさんに!?」
「おぉ、すごいなオメロ! 正解だ!」
「プロポーズですか!?」
「なっ!?」
オメロが突然変なことを言って、あたいの顔が「ぼんっ!」って熱くなった。
本当に「ぼんっ!」って言った。
すっごく恥ずかしくて、でも、なんだろう、全然嫌じゃなくて、口が勝手にふにゃ~って緩んで、なのに前を向いていられなくて、なんかもうどうしていいのか分かんなくなって、変なことを言ったオメロの肩を軽く小突いた。
「へっ、変なこと言うなよなぁ!」
「ひぃぃぃいい!? …………え? あれ?」
オメロが面白い顔で、あたいが小突いた肩を見る。
「痛くない……? え? なんで? 親方、どっか具合悪いんですかい?」
「どこも悪くないぞ。むしろ、いつもより元気だ!」
「じゃあ、なんで…………はっ!? そうか!」
ぽんっと手を打って、オメロが瞳をきらりと輝かせる。
「ヤシロさんに会ってたからだ!」
確かに、ヤシロと会ってたけど、『会ってたから』なんだ?
「やっぱ、ヤシロさんはすげぇ人だ……親方のボディータッチを無害化するなんて……あの悪意なきボディータッチで、何人川漁ギルドの人間が闇に葬られたことか……」
川漁ギルドでは、みんながお互いに感情をさらけ出すようにしている。その方が結束が固くなるって父ちゃんが言ってたんだ。
だからあたいも、父ちゃんがいつもやっていたみたいにギルドの連中の肩をバンバン叩いたり、ふざけて小突いたりしている。父ちゃんにそうされていたオッサンたちは、みんな嬉しそうにしてたから。
オメロなんか、父ちゃんにそうされると嬉しそうに笑ってたんだよなぁ。
父ちゃんのこと大好きだったからなぁ、オメロのヤツ。
「ヤシロさん、あんたは救世主だよ……俺、一生あんたについていく」
なんかオメロがぶつぶつ言って頷いている。
そういえば、オメロはヤシロのことすごく好きだよなぁ。たぶん、父ちゃんの次くらいにヤシロのこと好きなんじゃないかな?
「オメロって、ヤシロのこと好きだよな?」
「そりゃあ、もちろん! 命の恩人ですし!」
へぇ、ヤシロってオメロの命の恩人なんだ。
オメロって、浅瀬でも死にかけるからなぁ、もうちょっと鍛えてやらなきゃな。
「ヤシロさんさえよければ、川漁ギルドのギルド長になってほしいくらいですよ」
「へ……?」
ヤシロが川漁ギルドのギルド長になるってことは、それは、つまり……あたっ、あたいとけっ、けこっ、けっこ……結婚…………
「じょ、冗談言うなよなぁ!」
「これは喰らったら死ぬヤツっ!?」
ヤシロがあたいと結婚とかそんなの、まだ、全然、考えたことも……あぅっ!
想像すると、なんかもう、頭が「ぶゎぁぁあああああ!」ってなって、心が「きゅぅぅぅぅううう!」ってなって、世界が「ぐにゃぐにゃぁ~!」ってなって、よく分かんなくなった。
恥ずかしくて、でもちょっと嬉しくて、なのになんでか怖くて。
うぐぅ……この話、なんか、無理だ。
「も、もう! オメロが変なこと言うから…………あれ? オメロ?」
オメロがいないと思ったら、あたいの足元で頭を抱えて蹲っていた。
何やってんだよ、面白いヤツだな。
「……よくかわせたな、オレ。偉いぞ、オレ。まだ生きてるぞ、オレ。やったね、オレ!」
「何やってんだよ、オメロ?」
「何をしているかと聞かれれば、神に感謝しているとしか」
こいつもかなり敬虔なアルヴィスタンだからなぁ。
いっつも教会の方見てるし。……ん? 陽だまり亭の方かも?
「それで、その花束はヤシロさんからなんですよね?」
「そうそう、そうなんだよ!」
花束をもらったことが嬉しくて、あたいはついつい自慢してしまった。
だって、こんなに綺麗で可愛いんだぞ? いろんなヤツに見てほしいだろ!
「でな、約束を覚えててくれてさ、わざわざ誘いに来てくれたんだぞ。そ、その、デ、デートに……っ!」
話しているだけで楽しい。
ちょっと恥ずかしいけれど、言葉にすると、あの時間が蘇ってくるみたいで嬉しい。
自慢なんて、あたい全然興味なくて、したこともほとんどなかったのに。これだけは自慢したい。いろんなヤツに聞いてほしい。
あはっ、あたい、浮かれてる。
「ってことは、少なからず、ヤシロさんは親方に好意を寄せてるってことですかね?」
「えっ!? …………そう、なの……かな?」
「いや、だって、嫌いなヤツとデートなんかしないでしょう?」
「そう……だよ…………な」
え……じゃあ、なにか?
ヤシロって、あたいのこと…………
「まぁ、だからって今すぐ付き合うとかって話にはならないでしょうけれど」
「だ、だよな!? 今すぐだと、さすがにあたいも、その、ちょっと、困る……かも」
ド、ドキドキし過ぎて、仕事とか、全然、ダメになりそうで……
それに、まだちょっと自信もないし……
それに、ヤシロの周りにはあたいなんかよりもっと可愛くて女の子らしくていいヤツがいっぱいいるし。
店長とか、エステラとか、マグダにロレッタ、パウラも可愛いし、ノーマなんかズルいし、エステラにくっついているあいつ……えっと、ナタリアだっけ? とかも、かなり美人だし、シスターだって…………
「……あたい、本当に好かれてるか? むしろ嫌われてないか?」
「そんなことないですよ!」
「……なんで言い切れるんだよぅ?」
……あ、ダメだ。
自分で言ってて悲しくなってきた。
あたいなんて、ガサツで男っぽくて、絶対嫌われてる……
好かれる要素がないもん……
「親方はヤシロさんに好かれてます!」
オメロがあまりにはっきり言うから、あたいはちょっと、「そうなのかな?」って思った。
それくらいに、オメロの言葉には真実味があった。
「だって親方はデカいですから!」
「身長?」
「いえ、おpp…………いや、まぁ、ヤシロさんは、絶対親方のこと好きです」
顔を逸らされた。
なんだろう? ヤシロ、背の高い女が好きなのかな?
「それに、ヤシロさんの顔を思い浮かべてみてくださいよ」
「ヤシロの顔……?」
まぶたを閉じてヤシロの顔を思い浮かべると、途端に「ぶわっ!」っていっぱいのヤシロの顔が思い浮かんできた。まぶたの裏が、頭の中が、心が、ヤシロの笑顔で埋め尽くされる。
どの顔も、みんな楽しそうに笑ってて、ちょっと、ドキッとする。
「ほら! そんないい顔になれるってことは、ヤシロさんが親方といる時はいい顔してるってことですよ」
「いい顔……うん、いい顔してる」
「嫌いなヤツの前で、そんな顔しませんって」
「そう、なの…………かも」
ちょっと、オメロの言葉が信用できる気がしてきた。
「まぁ、まだ一番じゃないかもしれませんけど、可能性がないってわけじゃ……」
「どうすればいいかな!?」
一番じゃない。
それは分かってる。
っていうか、一番になれるとか、思ってない。
でも、少しでもいい位置にいたい。
ヤシロのそばにいたい。
だから、あたいはもっといい女になりたい!
「たぶん、親方らしくいることが一番だと思いますよ」
「あたいらしく……?」
「ヤシロさん、親方の、親方らしい素直なところが一番好きだと思いますから」
なんでだろう。
オメロがヤシロのことをなんでも知ってるわけないって思うのに、オメロのその言葉は、きっと真実なんだろうなって、素直にそう思えた。
「うん。分かった。あたいは、あたいらしく、もっといいヤツになれるように頑張る」
「はい。それが一番だと思います」
あぁ、やっぱり今日はいい日だな。
オメロと話せてよかった。
さすが、あたいの右腕! あたいの相棒だ!
オメロにならなんだって相談できる。
信用できる。
だから、実はずっと気になっていることを、聞いてみようかな……
「あ、あのさ、オメロ……」
「はい? なんです?」
ヤシロとのデートが楽しくて。
一緒に食べたケーキが美味しくて。
頼ってくれたことが嬉しくて。
なんだかずっと張り切っちゃっていて。
だから、あたいは――
「あたいさ……ヤシロの前でレモンパイを4ホールも食べちゃったんだけどさ……そんなにいっぱい食べる女の子って……嫌われたりしない、…………よ、ね?」
呆れられたり、幻滅されたりしたら、ヤだな。
笑われたら、ヤだな。
そんなことを思うと、ちょっと怖くて、目に涙が溜まってくる。
オメロに「大丈夫」って言ってほしくて、泣きそうなのをぐっと堪えてオメロを見上げる。
そしたらオメロはあたいの顔を見つめて、わなわなと体を震わせて、天に向かって吠えた。
「ウチの親方がこんなに可愛いわけがないっ!」
……んだよぅ。
あたい、やっぱり可愛くないのかよぅ……
いいもん。
大食い大会で頑張って、もっと頼れるって思わせてやるもん!
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