怒濤の大玉転がしが終わり、俺は、精も根も尽き果てて地面に倒れていた。
「俺は……もう、ダメだ…………がくっ」
「よかった。冗談が言えるくらいには元気なようだね」
こら、エステラ。
傷だらけのこのボディが目に入らねぇのか?
暴走サル女を止めるために、俺は決死の体当たりをして満身創痍なんだぞ。
見てここ、擦り傷。うっすぅ~く皮がむける痛いヤツ。な?
ほらこことか、ここもちょっと切れてる。う~っわ、見て、ほら、長いさかむけ。
もう、ボロボロだな、俺の体。うん。
「ん~……よし。大した怪我はしてないね」
俺の体をじっくりと観察して、エステラが勝手なことを抜かす。
バカモノ。怪我の痛みに大きいも小さいもない。痛いもんは痛いんだ。
それに、痛んでるのは体だけではない。心もだ。
……くそ。マーゥルとムム婆さんのせいで過剰な善行を二つも……ぐぅぅ……腸がねじ切れそうだ……っ!
「悪事を……働き、たい……っ!」
「くだらないことを言ってないで、さっさと退場するよ。次の競技が始まるからね」
倒れる俺を見下ろして、エステラが無体なセリフを吐きまくる。
お前はなんのために俺のもとへ駆けつけたんだ? 傷付き倒れた俺を心配して、「やだっ、血が出てる! でも平気よ。こんなの舐めておけば治るわ! ぺろぺろ!」ってするためじゃないのかよ?
……あぁそうそう。俺がバルバラのおっぱいを揉みしだかないように圧力掛けに来たんだっけな、お前らは……おっぱいパトロールかよ。
「おっぱいパトロールめ……」
「不名誉なチームに入れないでくれるかい? ……まったく」
あきれ顔で俺の前にしゃがみ込み、そして俺の腕をぐいっと引き上げる。
「ほら。いつまでも寝てないの。救護テントまで連れて行ってあげるから、ちゃんと手当てをしてもらうんだね」
そう言って、小さな体で俺の体をしっかりと支える。
それなりに身長差があるというのに、なんて安定感だ。不安な感じが一切しない。
え、なんで? そこまで力持ちでもないだろうに?
「こういうのはね、押さえるべきポイントっていうのがあるんだよ。人間の体は意外と単純に出来ているからね、そのポイントをしっかり押さえてやれば、身長差や力のあるなしに関係なく人体をしっかり支えることが出来るんだよ」
「ナタリアの受け売りか?」
「『教え』だよ。護身術と一緒に、人命救助のいろはも叩き込まれたんだ」
「そりゃすげぇな」
排除も救済も出来るなんてな。
領主自らがそれをやる必要があるのかは別の話としてもだ。
「で? 人命救助中に不埒な行為に遭ったらどうするんだ?」
「この状態からでも締め上げることは可能だよ? 体験してみるかい?」
「……やめとく」
これ以上怪我を増やされては堪らん。
「そこー! いちゃいちゃしてないでさっさと退場してくださーい! 後ろがつかえてますし、全員でガン見してますよー!」
「いっ、いちゃいちゃなんかしてないだろう!? 変なこと言わないでくれるかい、ナタリア!」
入場門に立つナタリアからの冷やかしに、エステラの体温が二度ほど上昇する。
そして、「まったくもう……」と呟き、先ほどよりも強引に俺の体を引き摺っていく。……痛い痛い痛い。怪我してんだっつうの!
先ほどまで俺を取り囲んでいたおっぱいパトロールの面々は、エステラを除いて誰もいなくなっている。
メンバーの一員であるメドラが、「ダーリンを救護テントに、いや、アタシのお部屋に連れ帰って手厚い看病を!」とか世迷い事をほざき始めたので、マグダ、デリア、ノーマ、ナタリアの四十二区最強四天王によって連行していってもらった。……ふぅ、頼りになるな四天王。
そして、こんな時真っ先に駆けつけそうなジネットもいないわけだが、あいつは今、次の競技に参加するため入場門に並んでいる。
エステラが「大丈夫。そんなたいした怪我じゃないよ」とかデカい声で言ってたからな。お前が決めるなって話だけども。……つか、お前が俺の怪我を確認したのって、ついさっきだよな? 確認する前に決めつけてんじゃねぇよ、まったく。
というわけで、エステラが俺のサポートをしているわけだ。
折角教わった人命救助術をひけらかしたいだけなのかもしれんがな。
「ヤシロ、足は?」
「ご覧の通り、長くて素敵だ」
「よし、異常なし。……あ、異常はあるけど、異常があるのが異常なしってことだよ」
なんの説明だよ。
俺のどこに異常があるってんだよ。
「無茶をするね、相変わらず」
「モコカに言ってくれ。……あいつ、メチャクチャな作戦立てやがって」
「君でも、同じような作戦を立てたんじゃないのかい?」
「俺だったら、俺が苦労をしない作戦を立ててたよ」
「ははっ、だろうね」
トラックを横切り救護テントに着くまでの間、エステラは肩の力が抜けたリラックスした表情をしていた。
なんだかんだ、大会委員長だのチームリーダーだの、責任を背負っていたのだろう。
こうして一人の選手、一人の人間としていられる時間が、こいつにはもっと必要なのかもしれないな。
「お前、無理してないか?」
「あはは。こんな気楽な大会で、それはないよ」
とかなんとか言いながら、裏では関係各所への配慮をしまくっているくせに。
あんま慣れるなよ、無理することに。
ま、そんな善人みたいなこと、口が裂けても言わねぇけども。
「けど、……うん。こういう、何気ない時間には結構救われてるかもね」
「いや~照れるなぁ~、『ヤシロ君と一緒にいると、なんだか癒されるの~ん☆』だなんて」
「これは大変だ。耳に効く薬があるなら真っ先に投与してもらうといいよ」
そんな皮肉を言って肩を揺らす。
揺らすな揺らすな。俺の体も揺れるから。
「どうせ揺らすなら乳……」
「救護テントには傷薬がたくさんあるから二~三ヶ所刺し傷が増えても大丈夫だよね……」
はっはっはっ、エステラ~。
「治ればいい」ってもんじゃないんだぞ~、人体って。覚えておけな☆
テントに着き、そこらにあった適当な椅子に座らせられる。
屋根があるというだけで、日差しが随分と柔らかく感じる。うまくは言えないが、グラウンドとは明らかに違う雰囲気だ。こう、体育を見学している時のような、放送委員で他の生徒とは別行動している時のような、ちょっとした特別感みたいなものがあるな、こういう場所には。
「えーゆーしゃ! りょーしゅしゃー!」
両手を上げて、テレサがてってってーっと駆けてきた。
満面の笑みだ。この世の春でも訪れたかのような会心の笑顔だ。
「あーし、あたぁしいかーしゃん、でちたのー!」
「新しいお母さん?」
「ほれ、アレだ」
事情を知らないエステラに、一目で分かる回答を示してやる。
「かーちゃん、ここ! ここ見て! 擦りむいた!」
「はいはい。バルバラちゃん。お薬塗りましょうね」
「……えへへ」
バルバラがウエラーに「これでもか!」と甘えまくっている。
「え…………誰?」
「ご存じ、アホのバルバラだ」
「おねーしゃ、ぁほ、ちぁうょ?」
そーかそーか、テレサ。
違わないんだぞ~?
「なるほど。あぁやってバルバラを手懐けたわけか」
「俺の巡らせた策略じゃねぇ。黒幕はムム婆さんだ」
「そうか。それでまた君が腕まくりをして善行を働いたわけだ」
「うぅっ! 腸がねじ切れる……っ! レジーナ、卑猥な気分になる薬をくれ……っ!」
たぶんそれでプラマイゼロになるはずだ……っ!
「あらあら、いややわぁ。あきまへんで。幼い子ぉの前でそないなこと言ゎはったら」
「エステラぁ!? なんか『はんなり』したの出てきた!?」
「どうしよう、ヤシロ!? なんか怖い!」
背後にベルティーナが立っているせいか、レジーナが気持ち悪いくらいに穏やかな笑顔を浮かべている。……いや、浮かべざるを得ない状況に追いやられている、と言うべきだな。口の端がひくひく引き攣ってやがる。
泣きそうな顔でこっち見んじゃねぇよ…………ったく。しょうがねぇな。
「あ~……、ベルティーナ」
「なんですか、ヤシロさん?」
「次のレースはどのチームも参加人数に制限がない、みんなで楽しむものなんだ。少しくらい参加してみたらどうだ?」
「そうなのですか? ですが私は、運動は……」
「パン食い競争で余ったパンは、競技に参加した選手に振る舞われるらしいぞ」
「そうですね。少しくらい参加させていただくのもいいかもしれませんね。折角ですものね」
いそいそと、選手待機列を目指して歩き出すベルティーナ。
ベルティーナが出て行った途端、はんなり薬剤師がくったり薬剤師へと変貌した。
「助かったわぁ~……ホンマありがとな、自分らぁ~」
「どんだけ緊張してたのさ、レジーナ」
「ウチのスネ、正座のし過ぎですり減ってもぅたわ、たぶん……もう、お嫁に行かれへん……」
「行く気があったことに驚きだ」
あと、お嫁に行けなくなるキズモノって、スネの傷じゃねぇから。
『スネに傷持つ』から無理だって? やかましいわ。
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