「さぁ、始めようか」
「んじゃ、やるか」
このショーが終わるまでラグジュアリーは臨時休業なのだ。
まぁ、こんな朝早くから来る客は少ないらしいから言うほど支障は出ないだろうが、こっちもこっちでジネットを連れてきてしまっているからな。早く終わらせて帰るに越したことはない。
ポンペーオが作るのは、この前俺が教えたばかりのフルーツタルトだ。本当は一連のごたごたが終わってからという話だったのだが、しつこくせがまれてあまりにもうざかったもんだから仕方なく教えてやったのだが……何がラグジュアリーの新メニューだ。陽だまり亭ではもう出してるぞ。
しかし、ポンペーオは口だけの男ではないのだ。
初めてここで食べた自称『ケーキ』こそアレな感じではあったが、ポンペーオは一流と言われるに相応しい裏打ちされた実力とセンスの持ち主だったのだ。その証拠に、繊細な飾りつけを難なくこなし、見栄えのいい盛りつけまでしてみせた。
さらには、覚えたものをマスターするための努力を決して怠らない。
フルーツタルトを教えられてから三日三晩ほとんど寝ずに練習、研究したようで、今では完全に自分のものにしてしまっている。ファンがついているのは伊達じゃないってことか。
……なら、もうちょっと紅茶とかそっち方面にも目を向ければいいのに。
「今ある物」を昇華させることに長けてはいるが、「いまだ見ぬもの」を作り出すことはとことん苦手だと見える。俺がいろいろ教えてやれば驚くほど化けるであろう職人だ。……教えないけど。
「それで、君は何を作るのかな?」
ポンペーオが興味深そうに俺の手元を覗き込んでくる。
……なに、技術盗もうとしてんだよ……まだ何も作ってねぇよ。
「今回、俺は……」
ポンペーオから視線を観客へと移し、俺は宣言する。
「プリンアラモードを作る」
聞いたこともない名前に、微かにざわめきが起こる。
が、観客のお嬢さん方の目当てはあくまでポンペーオの新作ケーキだ。俺の話はすぐに意識の外へと追いやられたようだ。
俺をジッと見つめるのはジネットとポンペーオ。
ふふふ……知っている人間だけが注目しているという、なんともカッコいい状況になっている。なんか燃えるね、こういう展開は。
一緒にケーキを作り、関係が良好だと見せつけるのはいいとして、同じものを作ったのではどうしても優劣をつけようという動きが出てしまう。それではダメなのだ。
かと言って、まったく違うものでは「それはそれ」と、一定以上の興味を持ってもらうことが難しくなる。そうだな……抱き合わせ商品の興味のない方、みたいな扱いか。
興味を持ってもらい、且つ比べられないもの。
そう考えた結果、『同じ材料でまるで違うものを作る』という結論に至ったわけだ。
普通のプリンでは弱いのでプリンアラモードにした。これならフルーツも使えるしな。
タルト生地と同じもので薄焼きクッキーを作り、ウェハースの代わりに差してやればほぼ同じ材料で作ることが出来る。ウェハースは、ちょっとここでは作れないからな。材料も違うし。
その代わり、可愛らしいハート形の薄焼きクッキーにするつもりだ。お嬢さん方、好きだろ、そういうの?
「それじゃ、調理開始だ!」
俺が小麦粉を手に取り、まずは薄焼きクッキーを作ろうかとしたところ……
「じぃ~…………」
ポンペーオがくっつくくらいの至近距離に詰め寄ってきていた。
お前も作れよ! 俺の作業見てないでさぁ!
「……(あとで教えるから!)」
「(絶対だぞっ! 嘘吐いたらカエル千匹のますからなっ!)」
「(怖ぇ! 怖ぇよ!)」
不吉な言葉を残し、ポンペーオは自分のスペースへと戻っていく。
特設キッチンは角度の広い『八』の字型のキッチンで、隣に並んで調理するような造りになっている。
お嬢さんたちは邪魔にならない範囲でなら、俺たちの作業を間近で見ることが出来る。
……まぁ、お嬢さん方はポンペーオに夢中なようだが。
「ヤシロさん。頑張ってくださいね」
俺の前にはジネットが一人。
いいんだ。俺は、量より質だから。
何より、この中で一番ジネットがおっぱい大きいし。
「最高のプリンを作ると、ぷりんぷりんなお前に誓うよ」
「誰がぷりんぷりんですかっ、もう!」
胸を押さえ、ジネットは頬を膨らませる。
あぁ、落ち着く。…………セクハラが、じゃないぞ? ジネットとのこの空気感が、だからな?
「包丁さばきが芸術的ですわぁ」
「まぁ、ご覧になって、カットされたフルーツの美しいこと」
「あぁ、とてもいい香り……堪りませんわ」
向こうではお嬢さん方がキャッキャとおしゃべりをしている。
ファンには堪らない企画だろう。定期的に開催すれば固定客が増えるんじゃないか。くれてやってもいいぞ、この企画。面倒くさいから俺はやらないけど。
「なるほど……三度、目の細かいザルで漉すわけですね……」
俺の作業を見つめ、ジネットがブツブツとその工程を解説している。
いや……帰ったらちゃんと教えてやるから。
俺はもちろん、ポンペーオも滞りなく作業を進めていく。へぇ。手際がいいな。さすが一流店のオーナーシェフだ。技術だけで言えば、俺よりも上なんじゃないだろうか。うん、あれには敵わんわ。
ただし、俺ではなくジネットなら、引けを取らないだろうがな。
「あ、ヤシロさん。オレンジのその白い筋は綺麗にとっておいた方が、食べた時の口当たりがよくなりますよ」
「え? あ、これか。分かった」
ジネットの指摘を受け、俺はオレンジの房に残っていた白い筋をナイフで綺麗に除去する。口当たりまで考慮するあたり、ジネットはさすがだな。
焼いたり寝かせたりという時間が結構かかるものの、終始和やかな時間が流れていた。
ポンペーオのウンチクにお嬢さん方が聞き惚れていたり、俺が横から挟み込んだギャグでお嬢さんが思わず笑ってしまい、その後でキッと睨まれたり……そんなことをしつつ、双方のスウィーツは完成に近付いていく。
「まぁ……」
そんな声を漏らしたのは、俺の作業台を覗きに来ていた一人のお嬢さんだった。
ちょうど、プリンを型から出したところだった。
「ぷるぷるして……なんだか可愛らしいケーキですわね」
『ケーキ』では、ないのだが。まぁ、下手に否定するのは悪印象にしかならない。このお嬢さんがケーキだと言うなら、ケーキでいいじゃないか。俺は別にプリンに対してどうしても譲れない強い信念など持っていないのだから。
「これがプリンだ。分かりやすい名前だろ?」
「えぇ、確かに」
くすくすと笑いを零すお嬢さん。
数時間同じ空間にいたことで、俺に対する警戒心も薄らいできているのだろう。
これが、俺の狙いだったのだ。
『なんとなく気に入らない』という、正体の見えない悪意を消すには、『自分を知ってもらう』のが最も効果的なのだ。
自分をさらけ出す。
格好つけることなく、言い訳することなく、悪い部分、至らない部分をさらすことで、相手はこちらに対する警戒心を薄くする。
とはいえ、へりくだる必要はない。……まぁ、最初は下から行った方が受け入れられやすいことは確かだが。へりくだり過ぎると変な上下関係が出来てしまって、それはそれでよろしくない。
『ポンペーオに胸を借りに来ましたよ。俺はそんな大したことないんですよ』くらいの感じで始めるのがいいだろう。
言い訳をしない相手に対し、人は反感を持ちにくい。
正々堂々とした人間を非難し続けるのは、自分の方が浅ましく見えてしまうからな。
あとは、会話を交わせば交わした分だけわだかまりは薄れていく。
ビジネスの場面ではよく、『苦手な上司ほど率先して挨拶するようにしろ』と言われる。挨拶だけでも、声をかけ続けることでわだかまりが薄れるのだ。
例えば、何かミスをして上司にこっぴどく叱責されたとする。そんな時は、一時間くらい時間をあけた後で再度自分から謝りに行くのが効果的だ。
イライラオーラを振りまき、近寄るのが怖くとも、自分から近付き「先ほどはすみませんでした。今後はこういうところに気を付けます。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」と、……まぁここまでする必要はないが、「これから頑張る」という意思くらいは伝えるといい。
そうすれば、上司の機嫌はがらりとよくなる。その日に変化がなくとも、翌日以降、確実に心証はよくなっている。
人間とは実に単純なものなのだ。
要するに『なんか気に入らない』の正体は、『自分の思い通りになっていないことに対する不満』なのだ。そして、その中心にいる者は『自分に刃向う憎むべき敵である』と認識されてしまう。
だが、その『自分に刃向う憎むべき敵である』者が、自分に友好的な態度を示したら……?
確かに『自分の思い通りになっていない』かもしれないが、それには理由があると、誠意を持って説明を、向こうからわざわざしに来てくれたら?
そうされてまで『なんとなく気に入らない』という感情を維持し続けるのは、逆に難しい。
乱暴に一言にまとめるならば、『よく知らないから嫌い』なのだ。
隣人が立てる同じ騒音でも、日頃から挨拶を交わす仲の隣人と、顔も名前も知らないような隣人とでは、我慢できる度合いがまったく異なってくるという。
赤の他人の欠点は目について不快にしか思えなくても、友達の欠点であれば多少は目を瞑れ、そこが魅力だとすら思えることもある。
短所を長所に変えるのは、案外何気ない一言だったりする。「どん臭い」と「おおらか」は紙一重だからな。「節約家」と「貧乏くさい」、「友達が多い」と「八方美人」、「スレンダー」と「ぺったん娘」……
今の状況で言えば、『ラグジュアリーのマネをしてケーキを売り出すパクリケーキ職人』が、『ラグジュアリーに憧れ懸命に努力している駆け出しのケーキ職人』に変われば、陽だまり亭への悪意はなくなるだろう。
認識の正否は、この際どうでもいい。元祖がウチだと主張しても、現状では反感を買うだけだ。ならば、実力で納得させてやるまでだ。
後々「え、ショートケーキの元祖って陽だまり亭なの?」と知られれば、それでいい。
なにせ、ウチの店長は、ナンバーワンになることなんか目指していないのだから。
そんな称号よりも、みんながくつろげる平穏を、求めているのだから。
何に価値があり、何が最も尊いか、そんなもんは個人が決めればいいことだ。
俺は、ジネットが笑っていられる陽だまり亭を取り戻す。
ナンバーワンが欲しけりゃ、いくらでもくれてやるぜ。
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