「ゎあ……ぉっきぃ…………」
陽だまり亭の前に停まる馬車を見上げて、ミリィがぽか~んと口を開けている。
ポップコーンを放り込みたくなるような、綺麗な円形だ。
教会への寄付を終え、今日の営業方法についてのミーティングをしている間に馬車がやって来た。
ルシアが寄越してくれたのは、毛並みの立派な馬が二頭で牽引してくれる六人乗りの豪華な馬車だった。
車体には、嫌味にならない程度に金が使用されており、気品と風格を感じさせる。
領主たるもの、こういう馬車に乗ってほしいものだな。
「お金持ちってすごいなぁ~」
「それは、ボクに対する当て付けかい?」
四十二区の貧乏領主エステラが、こめかみをぴくぴくさせている。
きっと羨ましいのだろう。
なにせ、エステラのところには、『貧乳ぺったん号』とかなんとか、たしかそんな感じの名前の馬くらいしかいないのだ。
そりゃあ羨ましくもなるさ。
「……マグダは、エステラの家の馬車の方が好き」
「マグダっ! 君はなんて可愛いことを言ってくれるんだい!」
エステラが感激してマグダに抱きつき頬擦りをする。
マグダは嫌そうにそっと距離を取る。
こいつらの関係はいつまでたっても変わらねぇな。この微妙な溝がなぁ……
「……エステラの馬車は四人乗りだから、ヤシロ、店長、エステラ、ロレッタが乗ると、必然的にマグダはヤシロの膝の上に」
「長時間になると、俺の太ももが悲鳴を上げそうだな」
「では、わたしと代わり番こで抱っこしましょう」
「いや、そういうことじゃなくて……」
膝の上に乗るのは確定なのかよ……
「……店長の膝の上にはミリィが乗る予定」
「ぇっ!? みりぃもはいってるの?」
「……一緒だと、マグダは嬉しいけど?」
「ぁう、み、みりぃも嬉しいよ!? だから、そんな、耳をぺたーんってさせないで! 嬉しいから!」
「……なら、ミリィは店長の膝、ないし乳の上に」
「乳の上は無理ですよ!? ……なに言わせるんですか!?」
「……ヤシロ、懺悔して」
「お前だっ!」
「……いや、いつもの流れ的に」
そんな流れを作るんじゃねぇよ。
……まぁ、いつも俺が懺悔させられる流れってのは否定できないけども。
「じゃあ、あたしがお兄ちゃんの膝の上に座るです!」
「じゃあの意味が分からんぞ、ロレッタ」
マグダやミリィはともかく、お前を膝に乗せてると確実に足がしびれて、目的地に着いた頃には歩けなくなってるぞ。生まれたての小鹿より足をぷるぷるさせてるぞ。
「……では、公平に。マグダ、ミリィ、ロレッタで、順番にヤシロと店長の膝の上をグルグル回る」
「なんだ、その落ち着かない車内……」
「ぁの……みりぃも、やっぱり膝の上座るの?」
「……見るといい、あの、ヤシロの期待しまくっている目を」
「ぴぃっ!?」
「してねぇわ、そんな目!」
ミリィが身を縮めて少し後退る。
なんだろう……こいつらを黙らせないと変な噂が次々生まれていく気がする。
「ぁの…………みりぃ、重たかったら…………ごめん、ね?」
「待て、ミリィ。とりあえず、そのお出かけの計画は今のところ何も立ってないから」
なんで真っ先に席順決めてんだよ。
もっといろいろ決めてからでいいだろう、そんなもんは。
「……ところでさ。膝の上に座るって話、ボクが一切触れられなかったのって、何か意味あるのかい?」
「……クッション性は、ある方がいい」
「あるよ、クッション! 結構ぷにぷにしてるよっ!」
「……店長の前で、もう一回」
「こ、ここまではないけどもっ!」
「む、胸を指ささないでください、エステラさんっ!」
「……硬いシートは、つらい……」
「なんて可愛くないことを言うんだい、マグダッ!?」
物の数分で意見が真逆になったな。
「おはようございまふぁぁぁあっ!?」
奇妙な挨拶を口にし、ウェンディがやって来た。
馬車を見て度肝を抜かれたようだ。
「あ、あの……こ、この馬車……ですか?」
「おう。なかなか立派なもんだろう」
「なかなかだなんて…………今まで見た中で一番すごいです……」
ハビエルんとこの上を行く豪華さだもんな。
だが、見たことがないなんて言ってられないぞ。なにせ、これからコレに乗るんだからな。
……靴とか脱ぐなよ。土足でいいからな?
「あの……私は本当にこの馬車に乗ってもよろしいのでしょうか?」
大きなつばの帽子を目深に被り、遠慮がちにウェンディが言う。
遠慮がちと言うより、半分怯えている。
「三十五区の領主様の馬車に、四十二区の領主様と同席なんて……それに英雄様までおいでで……恐縮してしまいます」
おいおい。俺をそんな面白メンバーに含めないでくれ。
領主っつってもエステラだぞ?
ルシアの馬車ではあるが、ルシアがここにいるわけではない。
そんなに緊張したままじゃ、三十五区に着く前に疲れ切ってしまうぞ。
コッチコチに固まっているウェンディ。見ているこっちが息苦しくなってくるほどだ。
どれ、リラックスさせてやるか。
「ウェンディ」
「は、はい。なんでしょうか、英雄様?」
「領主なんて生温い。この中で一番発言権を持っているのは、陽だまり亭の店長様だぞ」
「ふぇっ!? な、なんでわたしなんですか!?」
「あぁ、確かに。ボクもジネットちゃんには逆らえないや」
「や、やめてください、エステラさんまで!」
こういうのにほいほい乗っかってくるエステラに、その発言に狼狽するジネット。
さらに、空気が読めるウチの連中が追随する。
「……店長の本気は、狩猟ギルドのギルド長をも凌駕する」
「怒るとすごく怖いです。ウチのヤンチャっ子たちも、店長さんにだけは逆らわないです」
「そ、そんなこと……っ! もう、もう! みなさんやめてくださいってばっ!」
ジネットが見せた困り顔は、万人の『Sっ気』を刺激し、「うわっ、いじめたい!」という衝動を呼び起こすのだ。
みんなにからかわれ、顔を真っ赤に染めるジネット。
「もうっ! ヤシロさんのせいですからねっ」
頬をぷっくりと膨らませて、ジネットが俺を睨む。
こういうことを言うようになったのは、本当に最近のことだ。
大食い大会前後で、こいつは大きく変わった。
まぁ、俺がいろいろと不安にさせたせいでもあるんだが…………けど、ジネットのこういう変化を、俺はいい傾向だと思っている。
何より、……ちょっと可愛いしな。
「怒る前に……ほら、見てみろよ」
「……え?」
可愛らしく眉を逆立てるジネットの視線を、指で誘導してやる。
俺の指さした先では、ウェンディが口を覆って笑っていた。
「も、申し訳ありません、店長さ…………ふふっ……我慢……できなくて…………うふふっ」
こらえきれずに漏れ出した笑みは、ウェンディの耳を赤く染め、そして周りの空気を柔らかくしていった。
「あ、いえ。あの、……ウェンディさんの緊張が解れたのでしたら、それでいいです」
笑われたことよりも、そのおかげでウェンディの心が軽くなったことを喜べる。ジネットとはそういうヤツなのだ。
おかしそうに笑うウェンディに、ジネットは温かい笑みを向ける。
な? 俺の作戦通りだろ?
こりゃあ、あとでご褒美の一つでももらえるんじゃないかなぁ……なんて考えていると、ジネットが不意にこちらへ顔を向ける。
笑みの残る顔ながらも、眉毛は少し吊り上がっていた。
「けど、ヤシロさんはあとで御仕置です」
はっ? なんでだよ!?
俺、いいことしたじゃん!?
「覚悟していてくださいね」
そんなことを、優しい笑みを浮かべながら言う。
やはり、ジネットは少し変わった。
それはきっと喜ばしいことなのだろう。
んじゃまぁ、しょうがない。
覚悟くらいはしておくか。
ジネットが、どんな御仕置を用意するのか、興味もあるしな。
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