「あのぉ……」
そろそろと、ジネットがゆっくりと挙手をする。
遠慮がちに、後ろめたそうに、中途半端な位置に、こっそりと。
「わたしは、少し食事制限をすれば元に戻ると思うので……運動は、その……」
「店長さん!」
ガシッと、ロレッタがジネットの両肩を掴む。
真正面からまっすぐにジネットの瞳を覗き込む。
「食事制限のダイエットの危険性を教えてくれたのは店長さんです!」
「いえ、あの……はい、それはそうなのですが……限度を見誤らなければ、特に問題はないかと……」
「もしっ、そんなダイエットで店長さんが倒れでもしたら…………あたしは、自分の身を切るような罰を店長さんに与えなければいけなくなりますっ」
身を切るような罰。
それは、ジネットが陽だまり亭を休みにしてまでロレッタたちに課したダイエット計画のことを指しているのだろう。
あれで、ロレッタが一番つらいと思ったのが、ジネットに身を切らせたことだったのだろう。
そんなロレッタの覚悟を受けて、ジネットはこくりとのどを鳴らし、そして――
「う…………うんどう、しま、……す」
泣きながらそう宣言した。
口にした直後から後悔の念が顔に表れている。
……まったく。
「ジネットの運動神経でデリアの特訓に挑めば、空腹で倒れるより高確率でジネットが寝込むことになるな」
「……でしょうね。わたしもそう思います」
ジネットもその自覚があるようで、運動音痴に配慮なんかされないデリア流の特訓についていけるわけもないのは誰の目にも確実で、よって仕方なく――
「……はぁ。俺がカリキュラムを組んでやる」
「ありがとうございます!」
――仕方ない。そう、仕方ないことなのだ。
ジネットを欠いては、陽だまり亭は立ち行かない。
存続の危機だ。
「ヤシロさん! 私も! 是非私のカリキュラムもお願いします!」
モリーが必死な形相で訴えかけてくる。
デリアの規格外さを肌で感じたのだろう。
「んじゃあ、デリア。俺がメニューを考えるから、それを教えてやってくれるか?」
「あたいの考えた特訓じゃなくてか?」
「その『お前の考えた特訓』を受けたオメロはどうなった?」
「寝込んだ。あいつ軟弱だからなぁ」
「この二人はそのオメロより軟弱なんだ」
「あはは、まっさかぁ!」
お前、デリア……あの2メートル超のアライグマ人族よりジネットやモリーの方が頑丈だと本気で思ってるのか?
オメロの評価、どんだけ低いんだよ、お前の中で。
「あと、バルバラも参加させるから、四十一区の面々と一緒に体操させてやってくれ」
「おう! 任せとけ!」
デリアは加減が出来ないだけで、与えられた仕事はきちんとこなしてくれるんだよな。
まぁ、デリアの場合は他の女性陣がへばるような運動を楽々とこなしてみせることで、「これが出来るようになる頃には、私もあんなナイスバディに!」という目標になってくれるって部分でも重要なんだけどな。むしろそっちがメインだ。
「んじゃ、夕方までどうしようか? あたい、なんかやることあるか?」
四十一区の女性たちが来るのは夕方だ。
「昼飯時に~」なんて話をしていたバルバラだったが、畑仕事を終わらせてから合流したいという申し出があり、夕方に合流することになっている。
それまでは暇になるわけだが……
「それじゃあ、デリアさん。お願いがあるです」
ロレッタが手をぽふっと叩いてデリアに「お願い」のポーズを取る。
隣にはマグダも並び、デリアに助力を要請する。
「この後、教会と近隣の子供たちにドーナツを配りに行くです」
「……規模の小さいパン祭りならぬドーナツ祭り」
「なんだ、またヤシロが子供らを甘やかしてんのか?」
「違う。食い物を無駄にしないための無償労働力の有効活用だ」
「ん? なに言ってんだ、ヤシロ?」
「照れ隠しです」
「……いつものこと」
「だから……違うっつぅのに」
勝手な解釈を広める二人にため息を漏らしつつ、そんな二人の気遣いに微かに頬が緩む。
ジネットを教会に連れて行けば、きっとガキどもが群がってジネットと一緒にドーナツを食いたがるだろう。
そしてジネットはそれを断れない。
また、ベルティーナは少し元気のないジネットに目敏く気が付いて胸を痛めるだろう。
隠す……っていうと心証が悪いが、今は少し時期が悪い。
こんな状態のジネットをガキどもには見せない方がいい。
俺は懐から銅貨を一枚取り出して厨房へと向かって放り投げた。
「ヤシロさん? 一体何を……」
「あー、しまった! お金が飛んでいってしまったー」
全員の目が俺に集まる中、俺は言葉を続ける。
「『もしかしたら』竈の中に転がり込んだ『かもしれない』なぁ。『もしそうなら』竈の火を一旦落として探さなきゃー。うわー、俺、1Rbも無駄に出来ない倹約家なのにー! 今すぐ見つからないと気が気じゃなくて仕事できないかもー」
そんな俺の言葉を聞いて、マグダがふぁさりと尻尾を揺らす。
「……それは大変。では、しばらくの間、竈は使えない『かもしれない』」
「なるほど。これは店長とお兄ちゃんは残って竈の対応をした方がいいですね!」
マグダの言葉にロレッタが乗っかる。
ジネットは目をぱちぱちと瞬いて、小首を傾げる。
「……そのように子供たちには伝えておく」
「そうすれば、子供たちもシスターも店長さんの不在に不安を覚えないですよ」
「……あ」
ガキどもは、ジネットがいないと毎回決まって「ジネットねーちゃんはー!?」「なんでいないのー!?」と喚くのだ。
そんな時、「ジネットは今、店の竈を使えるようにしている」と言えば、「なら仕方ないか」という空気になってくれるだろう。
ガキどもは「仕事だ」と言えば、文句は言うが駄々はこねない。そこら辺の教育はベルティーナがしっかりしているからな。
まぁ、ベルティーナには何か勘付かれるかもしれないが……ジネットくらいの年頃の悩みだ。一定の理解は示してくれるだろう。
それから、マグダたちは素早く出発の準備を整える。
「それじゃ、行ってくるです!」
「……留守は任せた」
「あたいがしっかり面倒見てきてやるからな!」
大手を振って、大量のドーナツを抱えた三人娘が店を出ていく。
扉の前で見送って、声が遠ざかっていったところで店へと入る。
ぱたんとドアが閉まると、ジネットが「はぁ……」とため息を漏らした。
「気を、遣わせてしまいましたね」
そう言って、弱々しい笑みを俺に向ける。
「ありがとうございます。ヤシロさんも」
「まぁ、食い過ぎがよくないのは確かだからな」
「ですね。……反省します」
肩をすくめるジネット。
モリーも気まずそうに頬を搔いている。
そんな二人を椅子に座らせて、俺はその前に立つ。
「夕方から、デリアのシェイプアップ体操を受講してもらうわけだが」
その時の心持ちに関して、俺は一言言っておく。
「ジネットの言うとおり、数日節制すればジネットは元の体重に戻るだろう。数日食い過ぎただけだからな。けど、お前は筋肉がなさ過ぎる。基礎体力を付けるつもりで受講しろ」
「そうですね……来年の運動会で、筋肉痛にならないくらいにはなっておきたいです」
ははっ、そりゃ高望みが過ぎるぞ、ジネット。
目指す分にはいいけどな。
「モリーは、自分の家でも出来るように体操のやり方を覚えて帰るんだ。継続は力なりだ」
「はい。自分を律する心を鍛えるためにも、毎日続けてみます。……節制も、出来る限り」
忙しかったり疲れていたり、ちょっと嫌なことがあってイライラしていたりすると、予定を全部投げ打ってしまいたくなる。
そんな心の弱さに負けないようになると、モリーは言う。
一朝一夕では難しいだろうが、頑張るだけの価値はある。
「で、バルバラは協調性を養うために参加させる。とりあえず、遅刻しないようにあとで釘を刺してくる」
みんなと同じ動きを決められた時間行う。
それが出来るようになれば、多少は周りを見渡して空気を読む練習になるだろう。
張り切り過ぎたらデリアに活を入れてもらえばいいし。
「飯に関しては……そうだなぁ……」
厨房を見つめて、俺は眉根を寄せる。
「抜本的な改革が必要……なのかも、しれないな」
少々難しい問題に直面して眉間のシワが深くなる。
さて、どうしたもんか……
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