「貴様は『人間』か」と、こいつは聞いた。
それは、相手を不愉快にさせるには十分過ぎる発言だ。ケンカを売っていると言っても過言ではない。
種族で差別しますと、公言しているようなものだからな。
「答える義務はあるのか?」
「ヤシロ……っ!」
エステラが俺の袖を引っ張る。……が、そんなもんは無視だ。
想像よりもずっと若く、そして美しかった三十五区の領主ルシア。
だが、それと同じくらい想像以上だったのは……こいつが他人に向ける視線の冷たさだ。
こいつは、相手を尊重どころか対等だとすら思っていない。
こんなヤツに下げる頭も、向ける笑顔も、俺は持ち合わせてはいない。
「ル、ルシアさん。ご無沙汰しています」
一瞬で悪くなった場の空気を払拭しようと、慌てた様子でエステラがルシアに挨拶をする。
「ん? 貴様はたしか……四十二区の?」
「はい。エステラです。この度、父より引き継いで領主となりました」
「そうか。それはめでたいな。あとで祝いの物を贈らせよう」
「そんなっ。あ、いえ。ありがたく頂戴します」
「うむ。受け取ってくれ」
エステラが恐縮しまくっている。
こいつは、他区の権力者には変に恐縮する癖があるよな。
まぁ、相手を怒らせて四十二区に被害が及ぶのを危惧してのことだろうが……なんというか、ファーストインプレッションからすでに負けている。
こいつの精神面も、一回鍛えてやらなきゃいかんかもしれんなぁ。
「ねぇねぇ、ルシア姉ぇ~」
水槽の中で水を弾ませながらマーシャがルシアに向き合うように体の向きを変える。
マーシャと視線がぶつかった直後、ルシアの顔が一瞬歪んだ。
……こいつ。今、不快感を表さなかったか?
マーシャが獣人族だから……か?
「あのね、ヤシロ君たちがルシア姉にお話があるんだってぇ~」
「ヤシロ?」
「そちらのおっぱいの人です、ヤシロというのは」
ギルベルタの言葉に、ルシアの視線が俺へと向き……すぐにギルベルタへと向けられる。
「『おっぱいの人』っ!?」
まさに、「お前、何言ってんの!?」という感じだ。
うん……そりゃそう思うよな。
「ヤシロというのは貴様か?」
ルシアの視線が再び俺へと向けられる。
鋭さが弥増していてる。
「ギルベルタに何を教えた?」
「そいつが勝手に言い始めたことだよ」
「褒めてくれた、おっぱいを、おっぱいの人は」
「貴様……っ、人の領内でどこまでも不埒な」
悪意はないのだろうが、ギルベルタ……お前、黙れ。
「まさかとは思うが……貴様、マー……そっちの海漁ギルドのギルド長にも同じようなことをしているのか?」
……なんで今、言い直した?
「どうした? 答えられないのか?」
「答える必要性が見つからなくてな」
「ヤシロ……っ」
いちいち止めるなよ、エステラ。
きっともう手遅れだ。
こいつとの間には、敵対関係が完全に構築されたようだ。
「ふむ……礼儀も弁えぬ不埒者か……ギルベルタ」
「はい」
「摘まみ出せ」
「はい」
従順に、ギルベルタは迷うことなく俺へと近付き、俺の襟首を摘まんだ。……まるで、ばっちぃものを持つ時のように。
「って、こら」
「摘まみ出す、私は、あなたを、ばっちぃ物を持つように」
誰がばっちぃ物か!?
振り払ってやろうとギルベルタの腕に手をかけるが…………えっ?
ビクともしない。
こいつ、どんだけ鍛えてんだよ?
親指と人差し指で摘ままれただけだってのに、両手を使っても振り解けない。
そればかりか、俺の体はズルズルと引き摺られるように門の方へと連行されていく。
……こいつ、もしかして。
いや、もし俺の読みが正しいならいろいろと合点がいく。
マーシャを名前で呼ばなかったこと。
『人間か』と尋ねた意味。
そして、領民の噂と俺の抱いた印象に齟齬があったこと。
そして、俺に向けられた分かりやす過ぎる敵意の意味も。
もし、そうであるならば……
「ルシア! 聞きたいことがある!」
「貴様と話すことなど何もない。さっさと帰れ。そして、二度と私の前に現れるな」
ルシアは確かに差別をするのだろう。
エステラが必要以上に怖がり、ギルベルタが信頼を寄せ、マーシャが親しげにしているのもそのせいかもしれない。
ならば、打開策は一つ。
「そこにいるウェンディは、ヤママユガ人族だ!」
引き摺られながら俺はウェンディを指さして言う。
突然名を呼ばれたウェンディが驚いて、視線を俺とセロンの間で行ったり来たりさせる。
「しかも、そいつは……」
と、そこまで言った段階で、俺は門の外へと放り出された。
なので、口を閉じる。敷地の中に入れてもらえるまでは一切物を言わないつもりだ。
それが伝わったのだろう。ルシアはこちらに視線を向け、ギルベルタに向かってこくりと頷いた。
「ギルベルタ。その者を連れてこい」
「了解した、私は」
言うや、ギルベルタは俺を片腕でひょいと抱え上げ、すたすたと敷地内へと戻っていく。
……俺は子供か。
そして、ギルベルタはルシアに向かってすたすた歩き、すたすたすたすたすたすたすたすたすたすた……で、俺をルシアの胸にポンと預けた。
俺を手渡されたルシアが、咄嗟に腕を出し、俺を抱っこする。
…………ん? なにこの状況?
「……貴様。一体どういうつもりだ?」
「それは、お前んとこの給仕長に聞け」
そして俺に、分かるように説明しやがれ。
何をお茶目なことしてくれてんだギルベルタ。
「連れてこい言われた、私は。連れてきた、だから、おっぱいの人を」
「誰がおっぱいの人を私のおっぱいまで届けろと言った?」
いや、その反論、ちょっとどうだろう?
つか、いい加減下ろしてくれないかな? 見かけによらず力強いねぇ。
で、思ったほど胸ないね。Bくらいか。
「降りろ」
「いや、降ろせよ」
「私に命令する気か?」
「抱っこしながら凄まれても、迫力半減だよ」
めっちゃ可愛がられてる気分になってきたわ。
ルシアが俺を地面へと降ろし、不快そうに俺が接していた部分を手で払う。
「……消毒が必要だな」
「俺は菌か!?」
「ふん。私は、他人にベタベタされるのが好かんのだ」
まぁ、そりゃそうだろうな。
お前んとこの給仕長を再教育でもしたらどうだ?
「それで、先ほどの続きを聞かせてもらおうか?」
ルシアの視線が再び俺を捉える。
こいつは、自分が働いた無礼とか、こっちの気持ちとか、そういうのを一切考えないんだな。
自分がこうと言えば、世界がそう動くとでも思っているのだろう。
まぁ、なんとも貴族らしい貴族だ。
俺は一度ウェンディへと視線を向け、「心配するな」という思いを込めてウィンクを飛ばす。
ウェンディは、不安そうな表情を幾分和らげ、こくりとゆっくり頷いた。
「ウェンディは、三十五区の出身だ」
「それは真実か?」
「あぁ。そうだな、ウェンディ?」
ルシアの問いを、そのままウェンディへと放り投げる。
緊張が抜けきらない面持ちで、ウェンディがルシアへと向き直り、そして深々と頭を下げる。
「はい。英雄様のおっしゃる通りです。現在も、両親がこちらの区でお世話になっております」
「……英雄?」
「あだ名だ」
深い意味はない。
だからそんな、袖口についたカピカピのお米粒を見るような目で見ないでくれ。
「一度とて、見たことのない顔だな」
「は、はい。私は幼い頃にこの区を出ましたもので……」
「何か、不満があったか?」
「い、いえ! とんでもないです! ただ、諦めきれない夢がありまして……それで……」
「そうか……夢があるのなら、仕方ないな」
ルシアが少し、寂しそうな表情を浮かべる。
険しい表情しか見せていなかったルシアが、初めてその表情を変化させた。
頬を動かす筋肉がないんじゃないかと疑っていたのだが、一応は表情筋は動くらしい。
しかし、コレはどうやら……俺の読み通りのようだ。
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