二十七区の名産品はコーヒー豆だ。
かつては、この街にはコーヒーが存在しないなんて勘違いをしていたのだが、実は「あるところにはある」のだと結構あとになって聞かされたコーヒー。
その「あるところ」というのが、この二十七区だったわけだ。
ハビエルが馬車を貸してくれたおかげで、予定より随分早く二十七区に到着した。
領主との待ち合わせは正午だ。まだ一時間くらい時間がある。
そんなわけで、俺たちは二十七区の喫茶店を訪れた。
一度飲んでみたくなったのだ、本場のコーヒーを。免税証明書もあるし、店に入る度に余計な豆を押しつけられたとしても大丈夫。恐れるものはない。
コーヒーの名産地ともなれば、コーヒーには並々ならぬ情熱を注いでいるに違いない。
楽しみだ。
――と、思っていたのだが。
「ごぶっふっ!」
「ぅわあっ!?」
「…………砂利の味がする……」
「もぅ、ヤシロ。汚いよ」
口に入れた瞬間、泥みたいな臭いと、心持ちざらつく不愉快な舌触りが口いっぱいに広がって、思わず吐き出してしまった。
明らかに豆が多い。おまけに焙煎もムラがあって、焦げた臭いもするし、生豆のえぐみも存分に発揮されている。
雑なコーヒーは泥水に等しい。
「……名産地だからってあぐらかいてんじゃねぇのか」
「おそらく、大量に余るコーヒー豆を使いきろうとした結果なんだろうね」
「単純に、数が多いために、コーヒー豆の扱いが雑になっているだけなのかもしれませんね」
俺の吐き出したコーヒーを拭きながらエステラとナタリアがそんな推論を立てる。
「ほら、これで口の周りを拭いて」
そう言いながらエステラが布巾を渡してくれる。
惜しいな。これ、テーブルを拭く前に渡してくれてればお前の株も上がったのに。
「お茶受けまでコーヒー豆なのですね」
と、ナタリアが小皿に載ったコーヒー豆を指でつまむ。
十二分にローストして、ハチミツで甘くコーティングされている。
……とはいえ、食べれば苦い。
「苦いもんに苦いお茶受け付けてんじゃねぇっての」
まぁ、飲んでるのがコーヒーだから、『お茶受け』ってのが合ってるのかは微妙だがな。
「……もう出よう」
どうせ、何を頼んでも豆が出てくるのだ。
コーヒーが不味い時点で、この喫茶店に滞在する意味などない。
四十二区以外では、コーヒーゼリーはもちろん、アイスコーヒーも存在していない。
ならばせめて、ブレンドにくらい心血を注いでもらいたいものだ。本場がこのクオリティじゃ、他の区に広がっていかないわけだ。
店を出る際に、箱詰めされたコーヒー豆を渡された。
持って帰ってロレッタの練習用にでもさせよう。この店のマスターより、ロレッタの方がはるかに美味いコーヒーを入れる。
ジネットとは、比べてもらえる土俵にすら上がれていない。もしジネットがこの街にいれば、多少はコーヒーの地位も上がっていただろうに。
「もしかして、ジネットの祖父さんって、二十七区の出身だったりしたのかな?」
馬車に乗り込む際、ふとそんなことを思った。
「さぁ、どうかな。ボクもお祖父さんのことはあまり詳しく聞いてないんだよね」
祖父さんが生きていた頃は、エステラもまだ子供で領主の仕事に首を突っ込んではいなかった時期だろう。
領民の出自には、興味もなかったんだろうな。遊ぶことが人生のすべてみたいなもんだしな、ガキってのは。
「しょうがないよな。その頃はまだ小さかっただろうし」
「そうですね。エステラ様がまだまだ小さかった頃のことですから」
「ヤシロ、ナタリア。なんで二人とも、胸を押さえて話してるのかな? 小さかったのは年齢の話だよね?」
馬車の中で、一人カリカリするエステラ。
まったく、こんなことで怒るなんて……小さいヤツだ。ぺたぺた。
「こっちを見ながら無言で自分の胸をぺたぺた押さえるのやめてくれるかな!?」
一睨みされて、仕方なく進行方向へと向き直る。
と、向かいの席のナタリアが目に入った。……いつの間にか、花束を三つももらっていた。
二十七区でも、ナタリアフィーバーは健在らしい。
けれど、あまり嬉しそうには見えず、困ったような顔をしている。
元来、前に出るタイプの人間ではないから、戸惑いも多いのだろう。
見も知らない相手に好意を向けられることに慣れているヤツはそうそういないからな。
「あぁ……エステラ様を差し置いて私ばかり……困りましたねぇ」
「うるさいな。今だけだよ、ブームは」
……と、こういう余計な一言は忘れず挟み込んではくるのだが。
それにしたって、困惑からくる照れ隠しみたいな意味合いが多分に含まれていそうだがな。
そっかそっか、照れてるのかナタリアは。
「モテモテだな、ナタリアは」
「……えぇ、まぁ。そのようですね」
こちらから攻めてやると、一瞬言葉に詰まり、そして憎々しげに軽く睨まれた。
「ヤシロ様も、花束の一つも贈ってみてはいかがですか?」
「リターンがないものに投資は出来ねぇな」
「あるかもしれませんよ、大きなリターンが」
花束を贈って得られるリターンってのは、ちょっと荷が重過ぎて遠慮しておきたい気分だな。
とはいえ、ナタリアが微妙な表情を見せていることでエステラがちょっと嬉しそうな顔してるのはどうなんだと思うけどな。
仲良くしろよ、お前らは。
「じゃあ、代わりにボクが花束を贈ってあげるよ」
「いえ、結構です。ぺったんこが伝染りそうですので」
「伝染らないよ!? ……誰がぺったんこか!?」
あぁ、なんかもう板に付いてきたな、この流れ。持ちギャグにして各区を巡業でもすればいい。外貨を稼いでこいよ、領主と給仕長で。
「御者には、なるべくゆっくりとした速度で館に向かうよう指示しておきました」
喫茶店で時間を潰せなかったせいで、まだまだ時間に余裕がありまくる状況だ。
なので、ここで少しでも時間を稼ごうというわけだ。
……だって、あの喫茶店居心地悪かったんだもんよ。
「ところで、この区の領主について、何か情報はないのか?」
会う前に情報を仕入れておくのは、交渉術の基本だ。
あまり面識がないにせよ、領主という立場上何かしら聞こえてくる噂くらいはあるだろう。
「あくまで噂程度の情報でしかないんだけどね」
と、前置きをして、エステラは表情を曇らせて言う。
「ここの領主は、一部の貴族から『癇癪姫』と揶揄されているらしいんだ」
「『癇癪姫』…………?」
以前、二十九区の領主に呼び出された際、俺たちは一度二十七区の領主を見ている。
その時は落ち着き払った大人しい印象だったのだが……『癇癪姫』とは。
「そんなにヒステリックなのか?」
「噂では、ね」
癇癪持ちとは交渉がしづらいんだよなぁ……
うまく言いくるめて「YES」と言わせることは簡単なんだが、そういう連中は後になって「アレは無しだ!」って癇癪起こすことがほとんどなのだ。
『精霊の審判』があるから、「アレは無し」とはいかないのだろうが……なんにせよ、後味の悪い交渉にしかならない気がしてならない。
「まともな領主はいないのかよ……」
「ヤシロ。君の隣を見てごらん」
「…………窓、だな」
「逆だよ。こっちを見るの!」
「…………壁、だな」
「誰が壁か!? まともな領主がこんなにそばにいるだろう!? ほら、もっとよく見るといいよ!」
エステラは領民想いの領主ではあるが、まともかどうかは保留したいところだな。……しょっちゅう人にナイフを向けるからな。まぁ、向けられているのは俺ばっかりだけどな。
『癇癪姫』と呼ばれる厄介な女領主。
そいつが、わざわざランチにエステラを招待した。
おまけ程度に「お連れの方も是非ご同席ください」と書かれていたらしいが…………何か裏がある気がしてならない。
エステラを取り込んで何かを画策しているのか……はたまた、それすらも『BU』の指示によるものなのか……
「新人で、しかも女性だからね。無理して威厳を出そうとしているだけなんじゃないかって気がしないでもないけどね」
領主は舐められたら終わり。
そんな思いから、エステラは男っぽい服を着て、自分を『ボク』と呼んでいた。
最近はあまり気にしないようになってきているようだが。
同じように、二十七区の領主が「男に負けたくない」と思っていたとしても、不思議ではないな。
ルシアほどのオーラがあれば、性別など関係なく誰とでも対等にやりあえるのだろうが、あんなオーラを纏ってる女がそう何人もいるとは思えない。っていうか、いてほしくない。おっかないからな。
あのレベルとなると……領主の姉であるマーゥルや、三十五区の虫人族の象徴ともいえるシラハ、そして、狩猟ギルドをその腕一本で纏め上げているメドラくらいのもんだ。
あ、あと、ベルティーナも似たようなオーラを纏っているな。
どいつもこいつも一筋縄ではいかない厄介な相手ばかりだ。
それを思えば、癇癪持ちくらいは可愛いものかもしれないな……と、なんとも後ろ向きな開き直りをし始めた頃、馬車はゆっくりと停車した。
領主の館に到着したようだ。
まだ、約束の時間には早い。
「どうする? 早く着いたらまたイヤミの一つも聞かされるんだろ?」
「けどまぁ、このまま館の前にこんな大きな馬車を停めておくわけにもいかないしね」
ややげんなりとした表情ながらも、エステラはきりっと眉を持ち上げて外交モードの顔になる。
エステラが動き出すと同時に、ナタリアも給仕長モードになり、速やかに馬車のドアを開ける。
先に降りてエステラの降車をサポートするためだ。
……だが。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!