「あ、あの、ミスター・ドナーティ!」
事情を知るエステラが、堪らず口を挟み込む。
一度だけフィルマンに視線を向け、なるべく勘付かれないように気を遣って言葉を選ぶ。
「さ、最近は、貴族でも身分にとらわれず、自由な恋愛を望む者が増えていると聞きます。結婚にしても、家柄の釣り合いを度外視して、本当に愛することが出来る相手を選ぶ者も多いとか」
エステラのフォローに、フィルマンが顔を上げる。
闇の中で淡く輝く光を見つめるように、すがるような表情をしている。
「確かに、最近はそういう者も増えているそうだな。重婚を嫌う者が過半数だとも」
「そうです。人間はみな平等です。自らその可能性を狭めるような行為は、先細りの衰退する未来を自ら招くのと同義です。揺るぎない信念と同時に、新しい時代への理解と寛容さを持ち合わせている二十四区の領主であれば、それを許容するくらいの度量はお持ちであると、ボクは信じています」
「無論だ」
ドニスの表情がほぐれ、フィルマンの頬からも、緊張が取れていく。
「ワシはかねてより、家柄にこだわった婚姻関係に疑問を呈していた者の一人なのだ。結婚に、政略的なものを絡ませるのは間違っている、とな」
「さすがです、ミスター・ドナーティ」
貴族であれば、自分よりも目上の者との婚姻を望み、最低でも自分と同程度の家柄を要求するものなのだろう。
だが、ドニスはそれを嫌った。
その結果、独身を貫くことになってしまったのかもしれないが。
「いくら領主の座を奪われようと、それが原因で区内の外れに追いやられようと、そんなもので没落したなどとは到底思えない。もし仮に、世間がそれを没落と呼ぶのであろうとも、ワシはそんな些末なことなど一切気にするべきではないと、ずっと、何年も訴え続けていたのだ」
……ん?
「聞く耳を持たん老人どもには、何度も業を煮やしたものだ。理解の無い者の愚かさ、狭量さ、みっともなさ、そんなものを嫌というほど見てきたワシだ。若者に対し、新しい時代に対し、理解がある方だと自負しておる!」
…………ん~、それはつまり……
「結婚とは、好きな者同士が、愛を育んでするものだと、ワシは強くそう思うっ!」
………………マーゥルに惚れていたのに、マーゥルが領主の座を追いやられ落ちぶれたからという理由で結婚を反対され、破談になって、意地になってこれまで独身を貫いてきたと……そういうことか?
なんなら、このジジイは今もなお、マーゥルを慕い続けていると……あぁ、それでこの館の中にいる使用人は全員男なのか? 給仕であっても、女を館に置かないのは、マーゥルに操を立てる……というか、変な誤解を与えたくないという思いの表れなんだな? そうなんだな?
……思春期か、このジジイ。
「で、では、ミスター・ドナーティ。もし、もしもですよ? もし、万が一にも、フィルマン君に、心に決めた相手がいたとしたら……」
エステラの言葉に、フィルマンがぎょっと目を見開く。
随分と大胆な賭けに出たな。
まぁ、この流れなら「OK」と言わざるを得まい。
流れに載せて言質を取ってしまうのは良い手かもしれない。
「もし、そんな相手がいるのであれば、むしろワシは嬉しいぞ」
ぱぁ~っ! ――と、分かりやすくフィルマンの顔が晴れやかになっていく。
「まぁ、一般の娘であるというのであれば、多少の教育は必要になるかもしれんが――あくまで、領主の嫁になる者の嗜みとしてなわけだが――結婚には支障はないだろう」
反射的に、フィルマンの拳が固く握られる。
小さなガッツポーズだ。言質を取ったな。
「結婚さえすれば、外野からうるさく言われることもなくなる。ワシと同じような目には遭わせたくないのだ……」
そう言ったドニスの顔は、しわだらけながらも柔らかく、優しそうに見えた。
「それに、結婚さえしてくれれば、その後は領主の責務に専念できるからな。いいこと尽くめだ。もし、気になっている娘がいるのであれば、ワシも微力ながら協力するぞ――」
「ドニスおじ様……」
思春期の少年が、自分の恋心をひた隠しにしていたせいでこじれてしまった親族間のわだかまりは、なんとか解消されそうだ。
ここ数年、ずっとドニスを悩ませていた後継者問題も解決して、これでドニスの機嫌がよくなれば四十二区への賠償請求に対してもこちらへ力を貸してくれるかもしれない。
まぁ、リベカがOKするかは別として、こっちの問題はこれで解決。めでたしめでた……
「――相手が、亜人でもない限りはな」
ドニスの一言で、空気が凍った。
いや、……ひび割れた。
「…………」
フィルマンの顔が完全に下を向く。
柔らかそうな前髪に隠れて表情を窺い知ることは出来ない。
ただ、微かに震えている。……怒りによって。
「さぁ、気になる娘がいるなら言ってみろ! ワシが良縁を取り持ってやるぞ!」
「…………大きなお世話ですよっ!」
テーブルからひったくったグラスを振り回し、ドニスに水をぶっかける。
フィルマンはそばにあった椅子を倒しながら食堂を飛び出していった。
「……なっ……………………なんと無礼なヤツだ! 今すぐ捕らえて地下牢へ監禁してしまえっ!」
「し、しかし、お館様!」
「黙れ! 貴様も投獄されたいかっ!?」
「い、いえ! 申し訳ございませんでした! た、直ちにっ!」
初老の執事が慌てて食堂を飛び出し、十人弱の使用人がそれに続く。
「…………まったく!」
乱暴に椅子へと腰を落とし、ナプキンで濡れた顔を拭く。
そして、片方の肘をテーブルに突き、重たそうに頭を預ける。しわが伸び、頬が歪み、悲痛な表情を浮かべて、重いため息を吐いた。
「…………すまない」
消え入りそうな声で、ドニスが謝罪を寄越す。
何か反応を示したかったのだろうが、目の前で起こった一連の騒ぎに、エステラはうまく言葉を見つけられないでいる様子だった。
結局、エステラは視線を落とし、息を漏らしただけだった。
「…………いつもこうなのだ」
誰もしゃべらない重たい空気の中、ドニスが罪滅ぼしのように古木のようなしわだらけの口を動かす。
「ワシには、あいつの考えていることがさっぱり理解できんのだ……そして、どうすればワシの思いをあいつに届けることが出来るのかも…………ワシには、分からんのだ」
こめかみを押さえて、ぐりぐりと指で圧迫し、ジジイが泣き言を漏らす。
おそらく、もう後一分もすれば「……つまらんことを言ってしまったな。忘れてくれ」と、そんな言葉を漏らすのだろう。
……だが。
「教えてやろうか?」
そんな俺の言葉に、その場にいた全員が視線を向ける。
「というか、むしろ……手を貸してやろうか?」
「何事だ」という驚きと、「そんなことが可能なのか」という猜疑心と、「出来ることなら救ってほしい」という希望を込めた瞳。
そんなジジイの視線と――
「次は一体何を仕出かすつもりなんだい?」という、エステラの冷ややかな視線――
まぁまぁ。どっちも落ち着け、そう慌てんな…………見てりゃ分かるよ。
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