会場の空気が、一瞬和らいだ。
「『……よかった。無事だったか……』そう呟いた後、兄は無性に腹立たしくなった。そもそも妹がこんな場所で結婚式をするなどと言い出さなければ、それ以前に自分の反対を押し切ってまで結婚するなどと言わなければ、こんなに心配することも苦労することもなかった。そう思うと、いてもたってもいられずに兄は叫んだ。『だから言っただろう!』と。『お前は、俺の言うことを聞いていればいいんだ!』と――」
そこで、しばし口を閉じる。
間というには長過ぎる、居心地の悪い沈黙が広がっていく。
沈黙を破る言葉は、小さく、あっけなく。
「しかし、妹は振り向きもせず、返事もしない」
そして、猛る兄は荒々しく。
「『おい! 人の話聞いてんのか!?』」
腕を伸ばして、少女の肩を掴む。そんな仕草をしてみせる。
……だが、肩を掴んだ手が止まる、震える……異常を感じ取る。
そんな細かい変化に気が付いた者は多いようで、途端に不安が客席全体へと広がっていく。
「『あのね、兄ちゃん……新郎がね……あの人が、来てくれなかったの……ずっと待ってたのに…………』肩に置いた手が震える。新郎が来なかったのは自分のせいだ。妹は、それを知っているんじゃないのか? 知っていて、恨んでいるんじゃないのか? そう思えて仕方なかった。『あのね、にい……ちゃ……ん』」
片言の、不気味な声で呟く。
そして、ゆっくりと振り返るような仕草をして、斜め下から睨み上げるように観客席を見渡す。
「振り返った妹を見て、兄は絶叫した――『うわぁぁああ!?』」
大きな声に、観客の肩が跳ねる。
畳みかけるように兄の眼に映る異常事態を突きつける。
「振り返った妹は、顔の半分が泥で真っ黒になり、腹には巨大な岩が突き刺さっていた。妹が煩わしそうに大きな岩を引き抜くと、真っ白だったドレスは噴出した血液であっという間に真紅に染まった。そして、光の宿らない深い闇のような濁った瞳で兄を見上げて、こう言った…………『わたし、にいちゃんのいうとおりに……ずっとそばにいるからね』」
「ひぅっ!」と、女性の悲鳴が聞こえた。
さっと視線を向けると、ジネットが頭を抱えるようにして耳をふさいでいた。
「兄は腰を抜かし、隣に立っているシスターに助けを求めた。『シスター! 妹が! 妹が!』……するとシスターはゆっくりとこちらを向いて、兄の顔を覗き込んできた。『よかったですね、お兄さん……もう、絶対に離れませんから、妹さんも、わたしも……』――シスターの顔は血にまみれ、頬には大きな傷があった。見れば真っ白な法衣もぼろぼろで、まるで土の中から這い出してきたかのような有様だった。――兄は、そこで意識を失った――後日、妹とシスターの遺体が土砂の中から見つかった。どちらも、巨大な岩に腹を貫かれていて即死だったそうだ」
ゆっくりと深呼吸をする。
場面転換だ。
「数年後、兄はなんとか立ち直り、結婚することになった。ずっと一途に思い続けていた女性が相手だった」
会場に、微かな殺気が漂い始める。
「は? 妹の結婚をぶち壊しといて、自分は結婚すんの?」「パーシー最低だな」みたいな空気だ。
「結婚式の日、その日は朝からずっと雨だった。教会を訪れた兄は息を呑んだ。その教会が、あの山の上の教会にそっくりだったからだ……『まさか、そんなことあるわけない……』自分に言い聞かせて、兄は教会のドアを開ける。『……ぎっ……ぎぃぃ……』『――っ!? うわぁぁああ!』。ドアを開けた兄は叫んだ。ドアの向こうには泥まみれのドレスを着た妹と、血で赤く染まる法衣を着たシスターが立っていた。『……ダメだよ、兄ちゃん……ずっと一緒にいるって言ったじゃん』。ずるずると、這い寄るように近付いてくる二人に抱きつかれ、耳元で泥臭い息が吐き出された……『誰にも、渡さない……』」
――最後のセリフを言った後、しばし息を止め観客を語りの中に置き去りにする。観客は、語り手の呼吸に合わせて息をつくタイミングを計っているものだから、こうしてこちらが息を止めると息をつくタイミングを見失ってしまうのだ。
息苦しい沈黙を十分に味わわせた後で、この話を締める。
「そうして、妹の幸せを台無しにしてしまった報いを受け、パーシーは一生結婚が出来ないのであった」
「ちょう待てし!」
俺が終わりのお辞儀をするのとパーシーが立ち上がるのはほぼ同時だった。
「オレの話じゃねぇっつってたじゃん! フィクションだろ!?」
「あ、ごめんごめん。最後の一文だけ予言入っちゃった☆」
「予言とか言うなし! オレぜってぇ結婚するし!」
「……私の結婚、邪魔したのに?」
「してなくね!? 結婚のくだりはモリー一切関係ないし! そこは断じてフィクションだし!」
「ちょっといいッスか、パーシー」
ウーマロが難しい顔でパーシーを見据える。
「謝るッス」
「だからオレじゃねぇって! オレ、妹の結婚邪魔してねぇし!」
「じゃあ、いつかモリーちゃんが結婚する時は応援してやるんッスね?」
「は? んなわけねーし! つか、モリーは一生結婚とかしねーし! 好きな男もできねーし!」
「あぁ……ヤシロさんの予言が当たりそうッスねぇ」
「んなことねーし!」
会場中の非難の視線がパーシーへと集まっている。
ぷぷっ、何もしてないのに嫌われてやんの。
と、思っていると、たった一人だけ、俺へと非難の目を向けている者がいた。……ジネットだ。
「うぅ……酷いです、ヤシロさん。ヤシロさんのお話は怖いものじゃなくて、仮装のためのお話だって言っていましたのに……」
あ……そういえば、そんな予定だったっけ。
ジネットには事前にそう伝えていたんだった。
いや、違うんだよ。
ついつい祭りの空気にあてられたというか……
ほんのちょっとパーシーをビビらせてやりたくなっただけなんだが……
「まったく、パーシーのせいで……」
「オレ、なんもしてなくね!?」
涙目のパーシー。
うん、お前は泣いても可愛くもないし心がきゅっとなることもないな。
「モリーは今、ちょっと反抗期なんだから、オレの印象が悪くなるようなこと言うなし、マジで!」
「反抗期? モリーが?」
全然そんな素振りは見えなかったが?
「そうなんよ! 部屋のドア開けたら『ノックして!』って怒ったり、湯浴みしてる時は湯殿に入るなって言ったり、一緒に寝ようとしたら寝所から叩き出されたり……」
「パーシー、それは反抗期じゃない、自己防衛本能だ」
お前、そんなことばっかやってんのか。よく家出されないな。ホント、心根の優しい娘だよ、モリーは。
いやまぁ、現在家出中ではあるのだけれども。
「ちょっと工場留守にしてたら『働いて!』ってすげぇ怒ったりさぁ……」
「そこは完全に正論じゃねぇか」
百人に聞いたら百人が「お前が悪い」って言うぞ、その案件。
「今も、眉毛をこ~んな釣り上げてどっか行っちまったしさぁ……」
肩を落とすパーシー。
そんな風に弱った表情を見せられると………………うん、やっぱ何も思わないし何も感じないな。自業自得だ。
「ベッコ~、ジネットが怖がってるからイラスト見せてやって~」
「ちょっ!? オレとの話、まるっと無視するなし! 慰めてくれてもよくね!?」
「慰める必要なくなくもなくね?」
「どっちか分かんねーし!」
騒がしいパーシーを無視して、ベッコがイラストを二枚持って舞台中央へとやって来る。
さっき俺が渡したイラストだ。
「うむ。さすがはヤシロ氏でござる。このような発想は、まだまだ拙者の中からは生まれ得ないでござる。一層の研鑽が必要でござるな」
感心したようにイラストを見つめ、そして片手に一枚ずつイラストを持って会場へ披露する。
A2サイズの大きな紙に鮮やかに描かれているのは、亡者花嫁と亡者シスターのイラストだ。
ソーシャルゲームのイラストに起用すれば新規登録者が数十万単位で釣れるであろう美麗さだと自負している。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!