椅子から立ち上がり、ゴッフレードがジネットに向かって歩き出す。
その進路を塞ぐように、マグダとロレッタが立ち塞がる。
「こいつを返すだけだ。テメェらが片付けてくれてもいいぜ」
言って、エステラから受け取ったコップをロレッタに渡す。
「あたしが片付けるです」
「あっちの乳女じゃなく、テメェを脅しておけば、オオバヤシロはあそこまで本気にならなかったかもしれねぇのになぁ」
ゴッフレードの挑発に、ロレッタがむっとした顔をする。
「店長さんをそんな風に言わないでです」
ロレッタが怒ったのは、ジネットへの悪口に対してだったようだ。
「否定しねぇのかよ?」
「する必要ないです。店長さんほどではないかもしれないですけど、お兄ちゃんなら、きっとあたしのことも守ってくれるですから」
それくらいの信頼関係は築けていると、ロレッタは胸を張る。
もちろん、どこぞの馬鹿がロレッタにちょっかいをかけるようなことがあれば秒で吊るし上げてやるけどな。
「ロレッタの言う通りだ。『うっわ、引っ掛かってやんの、ぷぷぷー!』と一回指さして笑った後、きっちりと助けてやるよ」
「なんで一回笑うですか!? そこはいらないですよ!?」
うるせぇ。
お前が「店長さんほどではないかもしれないですけど」とか言うからだ。
「ロレッタ。ヤシロはちょっと拗ねてるんじゃないかな?」
「え? なんでです?」
「……ヤシロなら、ロレッタが困った時は全力で助けてくれる」
「そう。ジネットちゃんと遜色ないくらいに、全力でね。ね?」
と、振られた言葉をまるっと無視する。
つーんだ。
背中向けてつーんだ。
「ね?」
「お兄ちゃん……あたし嬉しいです!」
誰がいつ肯定したよ。
なんで喜んでんだ、あいつは?
意味が分からん。
「ワケの分かんねぇ男だ。なんでこんな分かりやすい男が……」
「分かってないですねぇ、ゴッフレード。それが、彼の最も怖いところ――なんですよ」
アッスントが知った風な口調でよく分からないことを言っている。
実際は深い意味なんかないのに意味深な言葉で思わせぶりな空気醸し出したいとか、あいつ中二病患ってんじゃねぇの?
「アッスント。左腕が疼いたりしてねぇか?」
「よく分からないので、それはスルーさせていただきますね」
かちーん!
なにその笑顔!?
ちょーハラタッティ!
ヤシロご立腹! ぷんぷん!
「まぁ、下手な画策はしないことだね」
「その方が身のためだと、ワシも忠告しておいてやろう」
「狩猟に木こりの大将どもか……ちっ」
メドラとハビエルに挟まれても、ゴッフレードは委縮することはなく、ただ嫌そうに顔をしかめるだけだった。
体もデカいから、あの二人の間に挟まれても小さく見えない。
ただまぁ、正面からぶつかるのは勘弁してほしいって顔はしてるけどな。
「もはや、この街は君が簡単に突き崩せるようなレベルじゃなくなったんだよ~、ゴッフレードくん☆」
「ぅげぇっ! 海漁の!?」
マーシャに声をかけられ、ゴッフレードが一歩身を引いた。
明らかにビビっている。
……なんかあったのか?
「マーシャ。ゴッフレードと知り合いなのか?」
「ん~……知り合いっていうか、ウチの子に悪さしようとしてたからちょっと叱ったことがあるくらいかなぁ?」
「海に引きずり込んで海底に沈めることの、どこが『ちょっと』だ、この腐れ人魚!」
「ひっどぉ~い! 君がウチの新入りをカエルにするとか言うから、口が利けない場所に引きずり込んで話し合おうとしただけなのにぃ~」
いやいや。
口が利けない場所で話し合いって……
マーシャ、やっぱ怒らせるとめっちゃ怖いんだろうな。
それで死んでないゴッフレードもすごいけど。
「もともと俺は人魚が嫌ぇなんだよ。人魚には関わるなって、ガキの頃から嫌ってほど聞かされて育ってきた。俺の生まれた町はかつて、人魚に滅ぼされかけたらしいからな」
「ん~? ということは、君はフロッセの町の出身なのかな?」
「…………」
ゴッフレードが黙った。
図星なのだろう。
「マーシャ、フロッセってのは?」
「数十年前、一代前の国王の時代にバオクリエアに併合されて、その後海に甚大な影響を及ぼす毒薬を研究開発するようになった町だよ。それで、人魚や海洋生物の多くが犠牲になったんだよ」
そういえば、マーシャが言ってたな。
バオクリエアと人魚は取引をしていないと。その理由が、海へ影響の出る毒物を作っているから、だったか。
ゴッフレードの故郷がそれをやったのか。
「私はそのころまだ生まれてなかったから話で聞いただけだけど――」
マーシャは、当事者ではないらしい。
「――もし私がいたら、そんな町跡形もなく消し飛ばしてたところだよ」
海への冒涜は許せない。
人魚にとっては、それは何物にも代えがたいことなのだろう。
「だからね、ゴッフレードくん」
底冷えするような声で、マーシャがゴッフレードを呼ぶ。
「私のお気に入りの四十二区に手を出したら――私は、本気で怒るからね?」
鼻にかかる甘ったるい声が、余計に恐怖を煽る、全身に寒気が走る声音だった。
メドラの殺気より恐ろしいかもしれな……いや、メドラの殺気は計測不能の即死魔法級か。比較は出来ないな。
「安心しろ。俺は四十二区になんぞ興味はねぇ」
ゴッフレードが落ち着きを取り戻して言う。
言って、俺を見る。
「ノルベールの野郎をとっ捕まえるまでは協力体制を敷くわけだから、全部話してやるよ」
にやりと笑うその顔は、この状況を待ち望んでいたようにすら見える。
どっちに転んでも、ゴッフレードの要求は叶うわけだ。
俺が上でもゴッフレードが上でも、あいつは割とどうでもよかった。そりゃまぁ、自分が優位に立った方がやりやすかったんだろうが、逆になろうと構わないという思いもあった。
あいつにとって、一番成し遂げるべきはノルベールとの再会。
そして、その先に、ノルベールとグルになって何かをやるつもりなのだろう。
……まんまと手伝わされてるのかもしれねぇなぁ、俺は。
くそ、気に入らねぇ。
「ノルベールの野郎を捕まえるまではテメェの下についてやるよオオバヤシロ。だがな、ノルベールの野郎の件から手を引くとは言わせねぇぞ。なぁ、ベックマン」
「そうであります。ギゾコウは、しかと『協力する』と約束したのであります」
「『やれるだけのことはやる』程度だったはずだが?」
「私とギゾコウの仲であれば、それはもう『何がなんでも協力する』というのと同義なのであります」
いつ、俺とお前の仲はそこまで深まったんだよ?
「それに、ジネットさんも協力するとおっしゃってくださったのであります」
……ちっ。
そーゆー使い方はするなよ。
危害が加えられない以上、ジネットセキュリティーは働かないんだからよ。
平和的に、紳士的に、良心的な訴えでジネットを篭絡するのは反則だっつーの。
……断りにくいんだよ、ジネットの「ヤシロさん……」は。
「まぁ、そう嫌がるなよ。テメェらにもメリットのある話だからよ」
あからさまな悪党のゴッフレード。
対照的に、どこか抜けていて「こいつ大丈夫か?」と不安になってしまうような、悪党になり切れていないベックマン。
このコンビは、なんだかんだとあしらいにくい。
今になってようやく分かったぜ。
ベックマン――こいつは、長時間相手にしていると知らない間に「YES」と言わされているタイプの人間だ。
ゴッフレードと比較すると善人で筋が通っていていいヤツに見えるのがなおイヤラシイ。
こういうタイプの人間の頼みは、「可哀想だから聞いてあげようよ」という意見を集めやすい。
まして、お人好ししかいない四十二区なら、その効力は絶大だろう。
ゴッフレードではなく、ノルベールとのコンビでも同じような効果は期待できるだろう。
与しやすそうで裏切るほどの頭もないと思われているベックマンなら、相手は油断するかもしれない。
その油断を突いて、ノルベールはうまいこと他人の懐に入り込んでいたってわけか。
くぁ~、悪党の考えることはせせこましくていけねぇなぁ。
「で、俺らのメリットってのはなんだ?」
もうこの際だ、根掘り葉掘り聞いて、こいつらの魂胆を暴いてやる。
仲良くなれる気はしないが、利害が一致すれば共闘くらいは出来るだろうからな。
「かなりのメリットのはずだぜ。なにせ、目的が一緒なんだからよ」
ゴッフレードがすべてを知っていると言いたげなイヤラシイ笑みを浮かべる。
そして、とんでもないことを口にした。
「三十区領主のウィシャートを潰す手伝いをしてやるよ」
……俺らの目的、ソレだと思われてんのか?
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