「むふー!」
俺の背中でマグダが満足げな声を出す。
全員を背負って泳ぐなんて冗談ではないので、泳ぎの得意な面々に親ガメ役を割り振った。
エステラとロレッタは、泳ぎはうまいのだが他人を乗せることに慣れておらず、すぐに沈んでしまっていたので解雇となった。
「全然感覚が違うんだもん!」
「これは絶対沈むですよ!?」
と、決して自分の泳ぎが下手なのではないと主張していた。
ナタリアは――
「あふぅ~ん」
「ちょっと、ナタリア! 変な声出さないでよ!?」
「ですが、パウラさんが『とってもビンカンなところ』に触れたりされたので……」
「変な言い方しないでくれる!? 背中に触れただけじゃない!」
「はい。ですから、私、背中が弱いようですふぅ~ん」
「その声やめて!」
全会一致でナタリアの解雇が決まった。
そういえば、あいつは気配を消して他人の背後に回り込むのは得意でも、誰かに触れられるなんてことは滅多にないもんな。
意外な弱点があったもんだ。
弱点といえど、無闇に突けないけどな。
で、結局安定して泳げるのは俺とデリアとマーシャということになった。
つーか、パウラやネフェリーは普通に泳げるんだから乗らなくてもいいだろうに。
「で、でりあさん、ゅっくり、ゆっくり、ね?」
「おう! じゃあ潜るぞ!」
「もぐるの!?」
ミリィの悲鳴の直後、ざばん、ぶくぶく……と、二人の影が消えた。
……デリア、潜水が得意だからなぁ。しかも速いんだ。ミリィ、泣いてなきゃいいけど。
「ぷはぁ! どうだ、ミリィ? 楽しいか?」
「みぃ……っ!」
あ、泣いてた。
「デリア。沈まないように泳いでやれ」
「そうか? 潜った方が気持ちいいのに」
「それはプロの感覚だ。みんな素人だから、ゆる~い感じでいいんだよ」
「そっか。あたいやヤシロと同じ感じで考えちゃダメなんだな。うん、分かった!」
俺もプロではないんだがな……
「ぅう……てんとうむしさん、ぁりがとぅ……けほっ、けほっ」
ミリィが本気の感謝を寄越してくる。
よほど怖かったらしい。
まぁ、水中での動きを見る限り、サメみたいだったしな。
「おぉ~、ちょうどえぇところに『持つとこ』みっけたわ」
「ちょ~っと、レジーナ? どこを掴んでるのかな~?」
「おっぱいや」
「君はヤシロ君なのかなぁ~?☆」
「失敬な!」
「失敬はお前だ、ビキニ薬剤師。あとズルいぞ、代われ」
マーシャの背に乗り、これでもかと抱きついているレジーナ。
女子同士だからって何をしても許されるってわけじゃ……あ、沈んだ。そっか、女子同士でも許されないこともあるんだ~、勉強になったな~。
「……長い潜水だな」
「……マーシャは、的確に仕留めにきている」
「ぷはぁ~」
「げっへげっへ! じょ、じょーだんきっつぃわぁ、人魚はん!?」
「反省、した?☆」
「いや、それはどーやろか?」
「じゃあ、今の二倍潜りま~す☆」
「冗談やって! ごめんなさい! 堪忍してください!」
あいつは、なんで命を預けているような状況でふざけられるんだろうか。
命を懸けてまでするようなボケでもないだろうに。
「……誰よりも破廉恥な格好をしているマーシャが、実は誰よりもそーゆー冗談が通じない」
「まだ四十二区に毒されてない証拠だな」
つか、マグダ。
破廉恥とか言ってやんな。泣くから。
「じゃあ、俺らも潜るか?」
「……それをしたら、マグダはヤシロが困り果てるくらいに……拗ねる」
「それは脅しか?」
「……ヘソを曲げて、拗ねる」
「じゃあ、自重するか」
「……それがいい」
俺の肩を掴む手に力が入っている。
やっぱり顔が濡れるのは嫌らしい。
「体が冷えたので、今日もお風呂に入りたい」
「今日は小さい方な。明日からは大浴場メインになるだろうから」
準備とか掃除とか燃料費を考えると、そうそう大浴場ばかり使っていられない。
「……店長と一緒に入れるなら、どっちでもいい」
「一人だと寂しいか?」
「…………」
返事はなく、数秒の沈黙の後、つむじ付近の髪の毛を毟られた。
……痛ぇな。
「……薪の管理は、まだ免許皆伝前だから」
「じゃあ、ジネットがいた方が安全だな」
「……そう」
決して寂しいわけではないという、精一杯の虚勢だ。
確かに、一人用とは言ってもマグダにしてみれば広いよな。浴槽はもちろん、浴室も。
一人で入るには、ちょっと寂しいか。
俺はのんびり出来ていいと思うが……マグダはそうじゃないんだろうな。
「風呂に浮かべて遊ぶオモチャでも作るか?」
「……お風呂のオモチャ?」
「あぁ。ヒヨコとかカメとか、俺の故郷では風呂にそういう人形を浮かべて一緒に入るんだ。賑やかでいいぞ」
お子様に大人気だ。
「……それは…………」
さすがのマグダも、子供扱いされていると勘付いたのだろう。
欲しいけれど、諸手を挙げて歓迎するのは躊躇われるという感情が見え隠れしている。
「……店長が、きっと喜ぶ」
そんな、遠回しな催促をしてきた。
じゃあ、作るかね。
プラスチックを何で代用するか、考えないとな。
「……ママ親が」
ふいに、マグダが昔のことを語り出す。
「……マグダがお風呂を嫌がった時に、タオルで『ぷくぷく魔獣』を作ってくれた。丸くて、ぷっくらしていて、潰すと『ぶしゅ~』っと潰れる。……楽しかった」
それは、もしかしてお風呂の定番、タオルで作る『クラゲ』ではないだろうか?
湯船にタオルを浸けて、空気を含ませて風船のように丸くする。
水に沈めればぶくぶくと気泡を発生させ、手で潰せばぶしゅっと音を立てる、お子様の大好きなお風呂遊び。
こっちにもあるんだな。
たらい風呂だから、水に沈めたことはないかもしれないが。
「たぶん、俺も出来るぞ、それ」
「……一緒に入れないのが残念」
「じゃあ、ジネットに教えておくよ」
「……マグダに教えて。店長を楽しませてあげたい」
「んじゃ、あとでこっそり練習するか」
「……それがいい」
たしか、スポーツタオルも持ってきていたはずだから、川の中で教えてやろう。
そう思ったのだが……
「……あ、やっぱりダメ」
マグダが急に意見を翻した。
思い出の中の楽しい記憶の中に眠っていた大切な約束を思い出して、焦って中止を要請してくる。
「……ぷくぷく魔獣の作り方は、マグダがお姉さんになったら、ママ親から教わる約束だった」
見てもないのに、その時の光景が頭に浮かんできた。
きっと、こんな会話をしていたのだろう。
「ほ~ら、マグダ。ぷくぷく魔獣と一緒にお風呂入ろうねぇ」
「まぐだもぷくぷく魔獣したい!」
「マグダがもうちょっとお姉さんになったら、教えてあげるね」
そんな約束を、マグダは忘れていなかったのだろう。
そりゃあ、破るわけにはいかないな。
母親としては、マグダがマスターしてしまったら、風呂に誘い込む術がなくなってしまうからな。もうちょっとお姉さんになって、一人で風呂に入れるようになったら教えるつもりだったのだろう。
なら、まだ一人で風呂に入れないマグダには教えられない。
「じゃあ、やっぱジネットに教えとくよ。見て覚えるのと、教わるのじゃ別だからな」
「……うん。教わるのは、ママ親からにする」
マグダがもう少しお姉さんになる頃までに――帰ってこいよ、絶対。マグダ、待ってんだからな。
「……ヤシロ」
「ん?」
マグダの声が、少しだけ色を変える。
「……ヤシロは、バオクリエアに行ったことはある?」
その問いに、どう答えたものかと考えて、結局無難な回答を口にした。
「いや、ないな」
香辛料の産地で、レジーナの故郷。
そして、マグダの両親がギルドの仕事で向かって消息を絶った場所が、バオクリエアだ。
マグダは多くを語らないが、それを匂わせるようなことはぽろぽろと口にしていた。
マグダに気付かれないようにそれとなく調べていくうち、ウッセから詳しい情報を得た。
要人警護のための護衛。
すぐに戻れるはずのその依頼を受けて、帰ってこなかった。
ウッセの父親も同行しており、同じように消息を絶っている。
ウッセが代表を名乗り、支部長の座に就かないのは、アイツもマグダと同様帰ってくると信じているからに他ならない。
「行ってみたいか?」
マグダが珍しく口にしたバオクリエアという地名。
口にすることはなくとも、マグダの心の中には常にその名が浮かんでいるのだろう。
バオクリエアの場所は、一度地図で調べたことがあった。
陸路で行くには深い森と山を越えていかなければならず、険しい旅程必至の場所だという印象だった。
海路からも行けるとレジーナが言っていたが、それでもぐるっと大陸を回る大航海になりそうだ。
気軽に行ける距離ではない。
だが、決して行けない距離でもない。
長く沈黙し、たっぷりと黙考した後、マグダは「……ううん」と答えた。
「……迎えに行くのはやめて、ここで待っていることにしたから」
その言葉には、マグダの思いが込められていた。
迎えに行くのはやめて、ってことは、迎えに行くつもりがあったってことだ。
俺たちに出会うより前、マグダは狩猟の成果が上げられなくても一人で森へ出ていた。
あれはもしかして、強くなるための修行だったのかもしれない。だから、『赤モヤ』を使わないと勝てないような魔獣ばかりを狙って狩っていたのかもしれない。
マグダの身体能力を考えれば、手頃な魔獣なら『赤モヤ』なしで狩れるはずなのだ。
だから、もしかしたら、マグダの目標はそこにあったのかもしれない。
だが、今のマグダは待つことを選択した。
やきもきはするだろうが……そして、すごく寂しいのだろうが、ここに留まることをマグダは選んだ。
「すげぇ仕事を任されてんだな」
「……ん?」
なんとなく、教えておいてやりたくなった。
「マグダの両親が手こずるような、すげぇ仕事なんだよ。でなきゃ、すぐにでもマグダのもとに帰ってきてるさ」
俺も、信じてるって。
お前の両親はまだどこかで生きていて、ちゃんとお前のもとへ帰ってくるって。
そう思ってるのは、マグダだけじゃないんだぞってことを。
「だから、帰ってきたらすげぇ褒めてやるといい。お疲れ様って、精一杯労ってやるといい。そういうの、得意だろ? 陽だまり亭の看板娘なら」
「…………」
マグダは何も言わず、とすっと、俺の頭に小さな頭を乗せてきた。
「……ん。得意」
水音にかき消されそうなほど小さな呟きは、それでも力強い信念を持った声音だった。
「……ヤシロと話をしてよかった」
はぁ……っと、長く息を吐き、マグダにしては明るめな声を出す。
「……危うく、マグダは帰ってきたパパ親とママ親を叱りつけてしまうところだった」
「遅い!」って?
それくらいなら、言ってもいいと思うけどな。
「……でも、ヤシロが言うように、褒めてあげたい。久しぶりに会うなら、反省してる顔より笑顔が見たいから」
「おう。そうしてやれ」
「……ん。そうする」
川へ張り出した大きな木の枝の下を通り、間もなく一周という頃、俺はもう一つだけ質問をした。
「マグダ」
「……なに?」
「豪雪期、大丈夫そうか?」
雪を怖がったマグダ。
寒さに震えて、過去のつらい記憶に飲み込まれて泣いていたマグダ。
今年もそうなるのかもしれない。
もちろん、そうならないようにしてやるつもりではいるが……
「……平気」
だが、マグダは確信を持った声で断言する。
「……マグダには、ヤシロと店長がいるから」
だから、もう寂しくはない。
その言葉は、なぜだかすんなりと信用できた。
この一年で大きく成長したマグダなら、本当にもう大丈夫なのだろうと思えた。
「……あと、ついでにロレッタも」
ゴールに着く直前、出迎えたロレッタを見て取ってつけたように追加されたその一言に思わず吹き出してしまった。
『ついで』がよく似合うな、ロレッタ。
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