「うふふ」――と、サルの干物……もとい、バーバラの干物が笑い出す。あ、干物じゃないのか。
「ベルティーナさんのおっしゃったとおりねぇ。ねぇ、ソフィー」
「…………はい」
手紙を読んだ二人だけが、何やら言いたげな顔で俺を見る。
バーバラは楽しそうに。ソフィーは悔しそうに。
……何を書いたんだよ、ベルティーナ。
「『ヤシロさんは、目に映る景色を変えてくださいます。それも、瞬きをするくらいのわずかな間に……ですので、次に目を開けた時には驚いてしまうんです。そこには、これまでに見たことがない景色が広がっているのですから』……だ、そうですよ」
手紙を見せるなと書いてあったようだが、読み聞かせるのはいいらしい。
……ま、そこら辺も考慮済みなんだろうけどな、ベルティーナなら。
「ソフィー。私では、あなたの閉じた心を開かせることは出来ませんでした。でも、ヤシロさんなら……」
「私は……」
「一度、身を委ねてみてはどうかしら? 見たことがない景色が、見えるかもしれませんよ」
「…………」
ソフィーの目が、俺を見つめる。
少し疑うような、恐れるような、不安が色濃く表れた瞳。
それが一度、長い時間閉じられ…………再び開かれた後でゆっくりと首が縦に動く。
「バーバラさんと、ベルティーナさんが、そうおっしゃるのであれば」
不承不承……そんなニュアンスを多分に含んだ了承の言葉であったが。
「耳は嬉しそうだな」
「なっ!?」
ソフィーの耳はぴょこぴょこと嬉しそうに揺れていた。
「こ、これは、別にっ!」
慌てて両耳を押さえつけるソフィー。
だが、そんなもんがなんの誤魔化しにもならないことは分かっているのだろう。
顔が真っ赤に染まっている。白い毛に覆われた耳も真っ赤っかだ。
「それでヤシロ。これからどうするつもりだい? 根本的な部分は解決してないようだけれど?」
リベカとフィルマンの交際には障害が多い。
麹工場の跡取り問題と、領主の館に獣人族を入れたくないというドニスの固定概念。
スッ――と、息を吸い、深い深い思考の中へと意識を落とし込んでいく。
思い出すんだ、これまで見て、聞いてきた情報を……
誰が何を好きで……
何が苦手で……
何に弱く……
どこを攻めれば突き崩せるか……
いろんなしがらみが折り重なってごっちゃごちゃに積み上がっちまっている今回の面倒は、正攻法で片付けるには時間が掛かり過ぎる。
やるのであれば、一気に、徹底的に、だ。
ベルティーナにも言われた『俺らしい』やり方で。
どこかにあるはずなんだ……たった一ヶ所……そこさえ崩せればすべてが崩壊するっていう『急所』が。
そこを嗅ぎ取り、見つけ出し、的確に突き崩す――それが、一流の詐欺師だ。
微かに輪郭が見える。
何かを忘れている気がする……そいつを思い出せれば…………
「おにーちゃーん!」
突如、教会から獣人族のガキどもがなだれ出てくる。
手にはタオルやタライや毛布を持っている。
「何やってんだ?」
「「「看病ごっこー!」」」
スタミナ切れを起こしてぶっ倒れたミケルの看病をするのだろう。
ごっこじゃなくて、ちゃんと看病してやれよ……
というか、中に一人、シスターの格好をした女の子が混じっている。ソフィーかバーバラの服なのだろう、ぶかぶかで裾を引き摺っている。
「とりあえず、シスターがいるなら手遅れになってもすぐ埋葬できそうだな」
「手遅れにならないことを祈ろう」
エステラが、その奇妙な医師団を眺めて笑っている。
医師団なんていいもんじゃないな、即席給仕チームとでもいうか……なんにしても不格好だ。
看病される身としては堪ったもんじゃないだろうな。眺めている分には面白いが…………ん?
奇妙で、不格好で、……眺めている分には面白い…………
「あった!」
突然の声にエステラが肩を震わせる。
が、今はそんなことどうでもいい!
えっと……どうすればいい?
最も効果的で、即効性があって……俺が今利用できる権力をフル活用するならば………………リベカ! リベカか! リベカだな!
「エステラ! もう一回麹工場に行くぞ!」
「え!? また!?」
たしか、「この次はかくれんぼ」とかいう約束をエステラがしていたから、こいつはかくれんぼさせておくとして、俺は俺でバーサに協力を頼むか。たぶん、金の出入りはバーサが管理しているだろうしな。
「バーサを口説き落とすぞ!」
「ふぁっ!?」
ばっか。そういう意味じゃねぇよ。
今回の企画に乗せるって意味だよ。
「あ、あの、ヤシロさん! バーサを四十二区に連れて帰るのはご勘弁願えませんか? 彼女がいないと麹工場の運営が……」
「誰が連れて帰るか!」
これ以上四十二区に色物は必要ねぇんだよ!
「バーサは、私にとってもリベカにとっても母のような存在でっ! いろいろ教えてくれた大切な人ですのでっ!」
「だから、連れて行かねぇって!」
もう飽和状態なの!
「麹を作れない私にも、すごく優しくしてくれてっ! 『麹が作れないなら、別のものを覚えればいい』って言ってくれてっ!」
「別の物?」
「は、はい。お味噌とか、お醤油とか」
あぁ、それでベルティーナに味噌だの醤油だのを贈っていたわけか。
ソフィーのお手製だったんだな。
「あと、お豆腐とか」
「豆腐っ!?」
失われた技術の継承者がここに!?
「豆腐が作れるのか!?」
「は、はい。バーサほど上手ではないですが……」
バーサはきっと作ってはくれない。
気安くルールを破っていい立場ではないからな。
「今、作れるか?」
「教会内の畑で作った大豆を使えば、『BU』のルールは、教会には適用されませんので」
そうか!
だからここに来てから一度も豆を勧められていないのか!
「よし、ソフィー! 日程は改めて指定するから、豆腐を作ってくれ!」
「お豆腐を、ですか?」
「あぁ! ベルティーナに食わせたい物があるんだ」
「ベルティーナさんに、ですか!」
微かに、ソフィーのテンションが上がる。
よしよしよしよし!
細かいところは、この後調整するとして……
「シスター・バーバラ! 頼みたいことがある!」
「はい。お伺いしましょう」
あの笑顔は、何を言ってもOKしてくれる。そんな頼もしい笑顔だ。
なので、遠慮なくわがままを言わせてもらう。
「後日、この教会で宴を開催したい! ベルティーナをはじめとした、四十二区の連中と、麹工場の者たち、そして、領主の館の連中を招いて!」
俺の宣言を聞いて目を見開いたのはエステラとソフィーで、バーバラはというと、俺の言葉を予想でもしていたのかってくらいに落ち着いた声でこう言った。
「はい。喜んで」
その言葉を聞いて、俺は思わず拳を握った。
あとは、この企みを成功させるだけだ。
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