ランチが終わり、俺は数十分ほど厨房を借りてから、フィルマンの部屋へと向かった。
「地下牢じゃないのか?」
「いつまでもあのような場所にフィルマン様を閉じ込めてはおけませんので。ドニス様も、その辺りのことは承知されております」
ドニスに水をかけたフィルマンは、ドニスの一声で地下牢へと入れられることになった。
慌てて食堂を飛び出していった使用人たちは、ドニスの「地下牢へ閉じ込めておけ」という言葉に了解の意を表した。そのため、『精霊の審判』対策として、一応フィルマンを地下牢へと入れたようだ。物の数秒で釈放したようだが。
きっと、こういうことは何度もあったのだろう。フィルマンも、おとなしく従ったようだ。
そして現在、フィルマンは自室に閉じこもっているのだという。
案内してくれたのは、ドニスお付きの初老執事・ベノム。
ドニスを尊敬し、ドニスのために働けることを何よりの幸せと考えているような、ちょっとアレな爺さんだった。
「こちらが、フィルマン様の私室でございます」
「おぅ、悪かったな」
「とんでもございません。あなた方は、ドニス様に微笑みを取り戻してくださいました」
ベノムが言うには、ここ数年間、ドニスはずっと眉間にしわを寄せ、ため息ばかりを吐いていたのだという。
それはもう、周りの者が心を痛めるくらいに沈痛な面持ちで、「思わずきゅっと抱きしめて頭をなでなでしてあげたくなるくらい」だったそうだ……って、おい。
「あの頭をなでなでして、アノ一本毛を無傷で残す自信があるというのですか……さすが、二十四区の執事…………かなりの手練れですね」
「うん、ナタリア。脅威に思うポイントがすげぇおかしいんだ。気付いてくれな」
あぁ、もう。
給仕長とか執事とか、役職が上がるごとに変態度が増していくこの街の制度、なんとかなんねぇのかなぁ。
「ドニス様の微笑みは、私をはじめ全使用人の宝……心より感謝申し上げます、クレアモナ様」
「い、いや……ボクは特に何もしてないから」
「さすがは、『微笑みの領主』様でございます」
「その呼び名はやめてくれるかな!? 今後一切!」
エステラの異名は、こんな遠く離れた区にまで轟いているのか。
全区制覇も、もはや時間の問題だろう。
「しかし、オオバ様。そちらは一体……」
ベノムが俺の作った料理を見つめ眉根を寄せる。
「フィルマンは昼飯を食い損ねただろ? だから、こいつを食わせてやろうと思ってな」
「料理でしたら、当館の料理長に作らせましたものを……それに、先ほども申し上げましたとおり、フィルマン様は一度殻に閉じこもられると、お食事を取ってはくださらないのです」
そう。
フィルマンがドニスの発言に怒り自室へと引きこもってしまったことを受け、エステラがドニスに尋ねたのだ。「フィルマン君の食事はどうなるんですか」と。
その問いに答えたのは執事のベノムで、回答は「フィルマン様は、一度自室にこもられるとお食事を取ってくださいません」ということだった。
だが、腹は減るらしく、あとでこっそり料理人に軽食を作ってもらったりはしているようだ。
要するに、意地を張っているのだ。
まぁ、分からんではない。そういう感情を、かつては俺も抱いたことがあったさ。
まだまだ未成熟な、クソガキだった時代な。
「なので、いくらへそを曲げていようと食わずにはいられない料理を作ってやったんだよ」
腹が減っていると気が立つ。
イライラしているヤツよりかは、美味いものを食ってニコニコしているヤツの方が話は通じやすいからな。
「フィルマン様が食べてくださいますでしょうか?」
「大丈夫だ。なにせこいつは、特別な料理だからな」
自信を滲ませる俺に、ベノムは半信半疑という表情を見せるが、とりあえずは好きにさせてくれるらしい。
俺たちを好きにさせることが、後々ドニスの悩みを解消してくれると判断してのことだろう。
「では、あとは皆様にお任せいたします。何かございましたら、お申しつけください」
深く礼をして、ベノムがその場を辞する。
残されたのは、俺とエステラとナタリア。
廊下の端に使用人が控えてはいるが、部屋の前には誰もいない。おそらく、拗ねたフィルマンが部屋への接近を禁じているのだろう。
俺もガキだった頃、イライラしている時は一人にしてほしいと思ったものだ。
フィルマンの私室の前を通り両側へと延びる廊下の端に使用人が数名立ち、部屋の入り口を見張っている。
距離はとってくれるものの、常に監視はされている。見守られているって方が正確なんだろうが、若いフィルマンにはどう映っているか……
そんな生活じゃ、息を抜くことも難しいだろう。
抑圧され過ぎると、後々爆発しそうで怖いんだけどなぁ。
「フィルマン。俺だ。入れてくれ」
ドアをノックしながら、フィルマンに声をかける。
が、……し~ん。
………………無視?
あぁ、そうか。無視か…………
「深夜、門の前。やましい気持ちはないがヤラシイ気持ちはちょっとある思春期の少年との出会いの物語――むか~し、むかし。とある工場の前に一人の少年が……」
「ちょっと待ってくださいっ! それ以上しゃべらないで!」
突然、目の前のドアが乱暴に開かれ、盛大に慌てたフィルマンが顔を出した。
俺の腕を掴むなり、強引に部屋へと引き込もうとする。
だが、力はさほど強くなく、俺でも楽々抗えてしまう。
「ここには無数の目があるんです! ……お願いですから、発言には気を付けてくださいっ」
「分かった。お前が協力的になってくれれば、危ないことは言わないでおいてやる」
ドアの前で引っ張り合いをしながら、小声で言葉を交わす。
フィルマンはしきりに、廊下の先にいる使用人に視線をやっている。大丈夫だよ、聞こえちゃいないって。
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