異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

9話 エンブレム -6-

公開日時: 2020年10月8日(木) 20:01
文字数:3,437

 グーズーヤが帰った後も、ジネットは深く沈んだ表情をしていた。

 

「……あのお客さん、また来てくださいますでしょうか?」

「食い逃げなんぞ、来ない方がいいだろう」

「でも……あのお客さん『美味しいよ』って、言ってくださったんです……」

「ジネット」

 

 このお人好しには、はっきりと言ってやる必要があるようだ

 

「お前が今抱いている感情は優しさなんかじゃない。愚かさだ」

「愚か……ですか?」

「そうだ。そして、それはとても非道なことだ」

「わたしが、非道……」

 

 ジネットを椅子に座らせ、机を挟まずに向かいに座る。

 膝が触れ合うほどの距離で向かい合って座り、目を見つめて語りかける。

 

「お前が自己犠牲精神で、グーズーヤの食い逃げを見過ごしたとしよう。そうしたら、きちんとお金を払って毎日お茶を飲みに来てくれるムム婆さんの立場はどうなる?」

「あ……っ」

 

 そのことに初めて思い至った。

 そんな顔をして、ジネットは俺を見つめてくる。

 すがるように、教えを請うように、不安をさらけ出すように……

 

「ムム婆さんは特別裕福というわけではないだろう? 生活をやりくりして、少しでもお前のためになればと、ささやかながら売り上げに貢献してくれているんじゃないのか?」

「……はい。ムムお婆さんは、洗濯屋さんで……良心的なお値段で、いつもたくさんの仕事をされていて……」

「そうやって苦労して得たお金を、お前のために使ってくれるムム婆さんの善意を、お前は無下に踏みにじってるんだぞ」

「わたしが、ですか?」

「そうだ」

 

 生活を切り詰めてお茶代を出しているムム婆さん。

 それよりも値の張る飯をタダで食っているグーズーヤ。

 それをどちらも大切な客だと言うことは、ルールに則っているムム婆さんに失礼だ。

 まして、食い逃げと知りながらそれを見過ごすなど……

 

「他の客は無料でも構わないが、ムム婆さん『だけ』は金を払わないとお茶が飲めないのか?」

「そんなことは!?」

「じゃあ、ムム婆さんも無料にするか?」

「…………」

「もし、そうしたいのなら、ここはもう食堂じゃない。お前の祖父さんの食堂は、閉店だ」

「……そんな…………」

 

 ジネットは俯き、膝に置いた手をぎゅっと握る。

 スカートの裾がシワを作り、小刻みに震える。

 

「何が大切で、何を大事にするべきか、もう一度よく考えろ」

「…………はい」

「それからな、食い逃げは犯罪だ。許しちゃいけない」

「……でも」

「ほんの出来心で、本当は悪い人じゃないかもしれない。……って、言いたいんだろ?」

「……はい」

「だったら尚のこと、間違ってるって教えてやれよ」

 

 少し、声音を軟らかくして言ってやると、ジネットがゆっくりと顔を上げた。

 

「……教えて……?」

「あぁ。『そんな悪いことをして、自分の価値を下げるな』って、そう教えてやれよ。お前よく言ってるだろ? 『懺悔しろ』って。それと一緒だよ」

「……懺悔」

 

 ジネットの手が、膝の上から胸の前へと移動し、祈るように組まれる。

 

「そうすれば、その方は救われるのでしょうか?」

「少なくとも、罪はなくなるんじゃないか。金さえもらえれば、俺はそれ以上追及するつもりもないからな」

「……そう、ですね」

 

 ギュッと手を握り、ジネットは強張っていた頬を緩め、柔らかい笑みを浮かべる。

 

「でしたら、わたし、頑張ってみます」

 

 誰かを糾弾することのなかったジネットが、今、変わろうとしている。

 これで、この食堂の経営も多少はよくなるだろう。

 

 ……と、まぁ、そんな講釈を垂れた俺こそが、食い逃げを犯し、その代金もいまだ支払っていないということに気付かないところがやはりジネットだ。

 ここで「お前が言うな」と返せれば大したもんなのだが。

 

「素晴らしい講義だったね」

 

 ジネットに笑顔が戻ると同時に、エステラが手を叩いて俺の前へと歩いてきた。

 目が、笑っていない。

 

「じゃあ、ボクも一つ、罪を糾弾してあげよう……君のためにね!」

 

 言いながら、エステラは机に広げられた紙をバンと叩く。

 グーズーヤに新たに書かせた念書だ。

 

「ボクは言ったよね!? 『領主のエンブレムを悪用することは重罪だ』と!」

「あぁ、言ってたな、たしか」

「だったら、これはどういうつもりなんだい!?」

「領主のエンブレムを悪用なんてしてないだろう?」

「まさか、『良い行いに使用したから悪用じゃない』なんて言うつもりかい? 甘いよ! 私的に無許可で利用すること自体が『悪用』とみなされるんだよ!」

「そりゃあ、なあ。無許可で使ったら、どんな理由があってもダメだろう」

「それが分かっていて、どうして……っ!?」

 

 エステラが俺に掴みかかってくる。

 襟を締め上げられ、少し息が詰まる。

 

「ま、まぁ、ちょっと落ち着けよ」

「これが、落ち着いていられると思うかい?」

「いいから、これをよく見ろ」

 

 そう言って、俺は胸ポケットにしまってある紙をエステラの目の前に差し出す。

 そこには、双頭の鷲と蛇が描かれたエンブレムの判が押されている。

 エステラは俺の襟を離し、その紙を受け取る。まじまじと見つめ、深いため息を漏らす。

 

「こんなものを作ったなんて……エンブレムの密造は斬首刑だよ?」

「だぁから、よく見ろって!」

 

 俺は、エステラに奪われた紙のエンブレムを指さす。

 特に、鷲の顔付近を。

 

 そこに描かれた鷲の頭は、二つともウィンクをしている。

 

「…………なんだい、これ?」

「可愛いだろ?」

「可愛いだろじゃないよ! なんなのさ、この悪ふざけみたいなエンブレムは!?」

「俺のエンブレムだ」

「はぁ!?」

 

 俺はエンブレムを持っていない。

 そして、持っていないなら作ってしまおうと思い立った。

 その際、何かお手本になるものはないかなぁと探していたところ、たまたまもらった領主の許可証があったのだ。

 

「――で、そのエンブレムを『参考』に、俺のオリジナルエンブレムを作成したってわけだ」

「パクリじゃないか!」

「まぁ、パクリであることは認めるが、決して『領主のエンブレム』を偽造したわけでも悪用したわけでもないぞ」

「そんな言い訳が通用するとでも……」

「しないか?」

「…………」

 

 エステラが腕を組んで考え込む。

 とてもグレーゾーンだ。だが、決してアウトではないはずだ。

 

「それに、はっきりと書いてあるんだぞ。ほらここ」

 

 双頭の鷲の胴体に絡みつく二匹の蛇を指さすと、エステラとジネットがそこを食い入るように見つめる。

 その蛇の胴体には、まだら模様にも見える書き方で『OBA』『YASHIRO』と書かれている。

 

「な? 俺のエンブレムだろ?」

「……正直、呆れたよ」

「ヤシロさん、すごいです。よくこんな細かい文字を彫れましたね」

 

 それは、つまようじの先ほどの細かい文字だ。

 この細かさで、しかも反転させた文字を書くのは相当な技術がいる。

 それをやってのけた俺、えらい!

 親方の教えが、こんなところで生きているんだなぁ。『細かいところにこそこだわりを持つ。それが美学だ』と、親方はよく言っていたっけ。

 

「分かった。今回の件は見なかったことにする」

 

 エステラは疲れきったというような表情で、手をパタパタと振った。

 

「しかし、こんなことを続ければいつかは領主の目に留まり警護兵が動き出すよ」

 

 各区の領主は、自分の治める区の安全を守るために各自で自警団を持っているのだそうだ。

 領主と住民と治安を警護する警護兵が、四十二区にもいるらしい。

 日本で言うところの警察みたいな役割だろう。

 

「そうなれば、似て非なるものなんて言い訳は通用しない。貴族の発言は瑣末な真実くらいならねじ曲げられるからね」

「そいつらこそ、精霊神に裁かれろよ」

「そういう発言を続けているとここにいられなくなるよと、忠告しているつもりなんだけど?」

「……分かった。以後気を付ける」

 

 どうも、『俺のエンブレム作戦』は封印した方がいいようだ。

 折角頑張って彫ったのになぁ。

 

「とにかく、君は行動が突飛過ぎる。もう少し自重することだね」

 

 判を押した紙を俺の胸ポケットへと差し込み、エステラは続ける。

 

「君がいなくなると、ジネットちゃんが悲しむからね」

 

 言われて、ジネットを見ると……

 

 こくり――

 

 ――と、柔らかい笑みを浮かべたまま頷かれた。

 

 ……まだ出会って三日目だってのに。

 こいつは誰にだってそう言うに違いない。

 少しでも会話をした者であれば、いなくなれば寂しいと感じるのだ。

 だから、別に、俺がそのことをどうこう思う必要はない。

 

 ……けどまぁ、もうしばらくはここにいてやるけどな。

 行く当てもないし。

 まだ、この街のことも全然知らないしな。

 

「……分かったよ」

 

 だから、今はとりあえず、そう答えておいた。

 

 

 

 

 

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート