「明日も早いから、もう戻って寝た方がいいぞ」
「はい。…………えっと」
頷きはしたものの、動かないモリー。
少し俯きつつ、もじもじとしている。
「眠気が覚めちまったんなら、温かいミルクでも飲みながら少し話でもするか?」
「はい。是非」
寝れないのにベッドに戻るのもちょっとしんどいよな。
……たぶん、モリーのベッドにはロレッタもいるし。
「ロレッタ、どっちで寝た?」
「え~っと……客室の方で」
「マグダのベッドに放り込んでおいていいぞ」
「いえ、それはさすがに……」
「寝相悪いだろ、あいつ?」
「いえ、そんなことは。あの……抱きつかれますけれど」
寝相悪いじゃねぇかよ。
「マグダもひっついてくるらしいぞ。ジネットが言ってた」
「ロレッタさんも言ってました。みなさん、仲がいいですよね」
「あいつらはな」
あいつらはしょっちゅう一緒に寝ている。
……俺もたまにはいいんじゃないかな!?
寝ぼけてぎゅってされたりさ!
そーゆーの!
「ちなみに、ジネットの寝相については、何か情報ないか?」
「特には何も……あ、でも、ロレッタさんが言うには、店長さんはいい匂いがするそうです」
「またいい匂いか!? くっそ、一体どんな匂いなんだ!」
きっと、女の子っぽい甘い匂いなんだろうな!
ジネットのことだから花というよりバニラみたいな香りかもしれないな。
「ロレッタさんが一緒に寝た時はカレーの匂いだったそうです」
「思ってたのとちょっと違った!?」
いや、確かにいい匂いだけども、カレー!
それ、厨房で染みついた匂いじゃん!
湯浴みの後も取れなかったかぁ……
なかなか残念だなぁ、ジネットのヤツ。
「じゃあ、湯を捨ててから牛乳を温めるか」
「あ、それは私が」
たらいを持ち上げようとしたら、モリーがさっと横入りしてきた。
「いや、さすがにモリーにやらせるのは悪いだろ」
「ヤシロさんよりは力ありますから」
そうでした。
モリーも獣人族なんでした。
パーシーと違ってタヌ耳だもんな。
それじゃあ、お任せしてお礼にホットミルクを作るってことにしてもらおうかな。
「ホットミルクには砂糖とハチミツ、どっちがいい?」
「うっ……商売柄、砂糖と答えたいところですが……はちみつはやったことがないので、興味があります」
モリーなら、家で飲むホットミルクには絶対砂糖なんだろうな。大量にあるわけだし。
じゃあ、今日はハチミツにしておくか。
「ちょっと甘めにしておくな。その方が眠れるだろう」
「……太りませんか?」
「これくらい平気だよ」
「なるほど! それくらいは平気なんですね!」
「……カロリーはあるからな?」
平気だと言い切ってしまうのが怖いな、「これくらいは平気!」って何杯も夜中に飲みそうだ。
小鍋に牛乳を注ぎ、竃に火を入れる。
これくらいのことにはもう慣れた。火起こしもお手の物だ。
それでも、毎回コンロの便利さを思い出してため息が出るけどな。
ギギッとドアが開く音が聞こえる。
モリーはたらいを抱えてわざわざ中庭まで水を捨てに行ってくれたようだ。
流しに捨ててもいいのだが、厨房なので出来れば汚れた水は捨てたくないのが心情だ。そこら辺を汲んでくれたのだろう。
ついでに、たらいを軽く洗って外に立てかけてきてくれたらしい。
なんてよく出来た妹なんだろう。いい嫁になりそうだ。……義理の兄って足枷さえなければ。
「はぁ……美味しいです」
「口に合ってよかったよ」
「ヤシロさんって、料理が上手ですよね」
「親の影響だろうな」
女将さんの料理は手品や魔法のようで見ているのが楽しかった。
積んでおけば『生ゴミ』と呼ばれそうな物が、あれよあれよという間に『ご馳走』に変化するのだ。
あれは一種のエンターテイメントだったと、今でもそう思える。
「店長さんのお料理は本当に美味しくてプロの味なんですけど、なんていうか……ヤシロさんの作る物は優しい味というか……あんまり覚えてないんですけど、お母さんのお料理みたいな感じがするんです」
「俺、モリーに何か作ったことあったっけ?」
「これ、とか」
そう言って、両手で包み込むように持っているカップを軽く持ち上げる。
「ホットミルクは料理じゃないだろう」
「いえ。これは立派な料理です。だって……私、これを一口飲んで、すごくほっとしましたもん……」
カップを覗き込むモリーの瞳が少し寂しそうに見えた。
仕事関連でパーシーが帰ってこないことはごく稀にあるらしく、一人には慣れていると本人は言っているが、それでもやはり寂しいのだろう。
特に、他人の家に泊まるとなると不安も大きくなる。
モリーくらいの年齢ならホームシックにかかってもおかしくはない。
「ちゃんと仕事してたみたいだぞ」
「……へ?」
「ナタリアに頼んで、エステラんとこの給仕に見てきてもらったんだよ、砂糖工場」
「わざわざ……ですか?」
「心配だったんだろ?」
モリーが不安そうにしたら教えてやろうと情報は得ておいた。
心底兄貴に呆れているのであれば下手に口にしない方がいいだろうと今まで伏せていたけどな。
「そうですか……安心しました。ちゃんと働いてくれてるんですね」
「工場のおばちゃんに尻を叩かれながら、らしいけどな」
「あ、たぶんゼシカおばさんですね。父の代から働いてくれている古株さんで、従業員のリーダーみたいな人なんです」
工場での光景が脳裏に浮かんだのだろう、モリーの表情がふわっと柔らかくなった。
頭の中の工場で仕事でも始めたのかもしれない。口角が持ち上がって体が揺れる。
こいつも仕事がしたくて堪らない人種なんだな。
「明日の午後だっけ、取引?」
「はい」
「じゃ、夕方には迎えに来るな」
「はい。きっと走ってきますね」
くすくすと肩を揺らすモリー。
ホームシックの不安は、その顔からすっかり消えていた。
「ありがとうございます、ヤシロさん」
カップに口を付けたまま、顔を隠すようにちょっと俯いて、モリーが呟く。
「兄ちゃんの様子が分かって、お母さんの料理みたいなホットミルクをいただいて、私、元気出ました」
「そりゃよかった」
ちらりとこちらに視線を向け、目が合うと恥ずかしそうに「えへへ」と笑うモリー。
甘え下手な笑顔がそこにあった。
兄貴がしっかりしてないと妹は全力で甘えられないよな。両親もいなくて、甘えちゃいけないって自分で自分に言い聞かせてしまっているのかもしれない。
もうちょっとハムっ子たちみたいに甘える術を身に付けるといい。
モリーはもっと甘えていい。
「ジネットの料理を食うといいぞ」
モリーがもっと素直に甘えられるようにと、そんな提案をした時、「みしっ……」っと、木が軋む音がした。
……家鳴りか?
音がした廊下の方へと視線を向ける。
厨房の奥には廊下があり、その先には中庭に続くドアがある。立て付けが悪くなってギシギシ音が鳴るドアだ。
その音がしてないから誰かが入ってきたってことはないと思うんだが……
「どうかしましたか?」
「ん? いや。なんでもない」
フロアと厨房はリフォームしたが、その奥の廊下や二階は手つかずのままだ。
やっぱりウーマロに頼んで修繕してもらおう。老朽化が深刻だ。
なるべく昔の面影を残したまま、使い勝手を良くしてもらおう。タダで!
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