あれからどれくらいの時間が経ったのか定かではないが、暴力的なまでの汗臭さのせいで鼻がストライキを起こした。
どのシロップも芳醇な果物の香りを一切感じられなくなった。
本来はいい匂いなんだけどなぁ、このシロップ。
工房からげっそりした男どもが現れては、かき氷を食べてつやつやした肌に戻っていく。
実はこの氷、エリクサーを凍らせたものなんじゃねぇの?
「あぁ~、生き返るわぁ~」
「そうか。そいつは残念だ」
「ヤシロ。疲労から心の声にブレーキが利かなくなってるよ」
阿呆。利かせるつもりがないだけだっつの。
「で、間に合いそうか?」
「そうねぇ。豪雪期には間に合わせるわ。たぶん、ギリギリになっちゃうだろうけど」
「そうか、悪いな」
「ううん。なんだかんだ言いながらも、アタシたちも四十二区の役に立てるのは嬉しいし。これがうまくいけば、また便利になるんでしょ?」
まぁ、そうだなぁ。
「お前らの家に風呂が完備されるかもな」
「あらぁ~、それは素敵~!」
こいつらも俺たちと同様、湯を沸かしてたらいで体を拭いているのだろう。
こんなデカい図体じゃ、それも大変だろうになぁ。
「でも、アタシのお家長屋だから、ちょっと難しいかも……」
「そうよねぇ。寮には置けないわよねぇ」
金物ギルドの面々は基本的にギルドの用意した寮に住んでいるそうだ。
それは長屋のような造りで、壁も薄く敷地面積も狭い。
ワンルームくらいの狭さなのだそうだ。
ノーマの家は広いけど、もともとあそこも女子寮だったって話だし。
あの家に四~五人くらいが住んでいると考えれば、確かに狭いな。
風呂は置けないか。
置けるとしても共同の……いや、それでも厳しいか?
土間にあるキッチンの横くらいしかスペースはないだろう……キッチンの横に風呂ってのもなぁ……入りにくいし、キッチンとしてもちょっと衛生面で顔をしかめたくなる。
「アタシたち、仕事で結構汗をかくから、お風呂があると助かるんだけれどねぇ」
「毎日こんな汗臭いと、きっついよな」
公害に認定されるレベルだ。
「やだっ、もう! ヤシロたん! 女の子にそんなこと言っちゃ、ダ・メ・よ!」
「いや、オッサンに言ってんだよ」
「アタシたちのコレは、汗の匂いじゃないの。『メンズフレーバー』、ううん、『メンズフルーティー』よ!」
「どこがフルーティーだ!?」
こんな酸っぱいフルーツがあってたまるか!
「陽だまり亭にお風呂が出来たら、お湯をいただきに行きましょ」
「そうね、そうしましょ」
「おい、やめろ! ウチは食堂だぞ!?」
営業妨害も甚だしいわ!
だったらいっそのこと…………ん? あ、そうか。
「エステラ、大衆浴場でも作ってみるか?」
「大衆浴場? 共同のお風呂……って、ことかい?」
「あぁ」
この街では見たことがないが、銭湯を作れば長屋のような狭い家に住んでいるヤツでも気軽に風呂に入ることが出来る。
街の連中がみんな風呂に入るようになれば、街の清潔レベルが一つ上がるぞ。
「どっかの区には温泉があるんだろ?」
「オールブルームにはないよ。ヤシロが言ってるのはおそらく、鉱山の向こうにある温泉のことだろうね。以前何かの時に話したよね」
いつだったか忘れたが、たしかそんな話をした気がする。
行ってみたいが『会話記録』の有効範囲外に出るのは不便だなぁとか思った記憶がある。
「でっかい風呂を作ってな、誰でも、手軽な料金で、毎日でも風呂に入れるようにするんだよ」
「でも、他人と入るのは……」
「温泉では他人と入るだろう?」
「そりゃ、そうだけど……」
「大丈夫だ。必要があるなら、男女で風呂を分けても、いい」
「いや、そこは確実に、何がなんでも、当たり前のように分けるけどね」
なぜだ!?
分けないという選択肢だってあったはずだ!
「ただまぁ、ガキがいるから入場禁止とは出来ないと思うぞ」
「あぁ、そうだね。温泉でも、まだ幼い子供を母親や父親が連れて入ることがあるらしいし。ボクは遭遇したことはないけれど」
「とはいえ、年齢制限は設けるぞ」
「そりゃそうだよ」
「とりあえず、十八歳以上はダメということにしよう」
「なんで自分をギリギリセーフにしたの!? 七歳未満だよ!」
「な、七歳未満だと!? ……ちなみに、十の位で四捨五入するのは?」
「不許可だよ!」
なんてこった……
だったら、いっそのこと完全に禁止してやろうかな。
俺が入れない女湯に入れる男がいるとか、殺意しか湧かないし。
「だが、それだと、六歳の女児が入ってきて『わっほい』しちゃうギルド長がいるから危険じゃないか?」
「その人が来た時は全年齢禁止にすればいいよ」
そうだな。そうしよう。
うん、そうしよう。
「あとは、レジーナに言って薬湯を作ってもらうとかな」
「薬湯? 何か効能があるのかい?」
「まぁ、疲れを癒したり、体を芯からぽかぽかにしたりくらいだろうけどな」
「いいね、それ! 簡易的な温泉みたいだ」
こいつは温泉に行ったことがあるんだろうな。
すっげぇ楽しそうな顔をしている。
たぶん、もう鼻がバカになって汗のにおいを感じなくなってんだろうな。
人体の防衛本能って、尊いよな。
「おい、お前ら」
なんだかんだ頑張ってくれている、金物ギルドの乙女たちに激励を込めて言っておく。
「楽しみにしてろよ。極上の幸せをプレゼントしてやるぜ」
「「「はふぅ~……」」」
風呂が嬉しかったのか、乙女なオッサンどもが全員頬を両手で押さえて地面へとへたり込んでしまった。
まぁ、でっかい風呂って気持ちいいしな。
精々楽しみにしとけよ。
……なんて思っていたのが、大きな勘違いだと知ったのは翌日の早朝だった。
「ヤシロ、あんた、ウチの男衆に手を出す宣言したってのは、本当さね!?」
「本当なわけねぇだろ!? どんなアクロバティックな勘違いだ!?」
日も昇らないうちからノーマが陽だまり亭へ駆け込んできて恐ろしいことを宣う。
誰が手を出すか、あんなモンに!
「けど、連中が言っていたさね。『極上の幸せをプレゼントしてやる』って言われたって」
「それは、大衆浴場の話だよ」
「やっぱり……ヤシロ、あんた……オッサン共の汗のにおいにムラムラしちまったんさね……」
「してねぇわ!」
「けど今、『体臭欲情』って!」
「大衆浴場だよっ!?」
それから日が昇るまで、俺は懇切丁寧に大衆浴場についてノーマに語って聞かせ、今日連中がここに来るまでにしっかりと説得しておくように言い含めておいた。
妙な勘違いをしているオッサンは陽だまり亭に近付けないからなと、入念に釘を刺して。
久しぶりに言っておくか。
『強制翻訳魔法』、遊ぶんじゃねぇよ。
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