大通りからは遠いが四十一区から続く街道に近く、近隣の牧場関係者や四十一区の街門を使う狩猟ギルドや、他区への移動が多い行商ギルドの連中なんかがよく利用する飲食店の多い一角。そんな場所にトムソン厨房は存在した。
陽だまり亭からは遠く、こういう用事でもなければ足を向けるようなことはなかっただろう。
「大通りとは違う、独特の雰囲気があるな」
「この辺りを利用するのは酒好きがほとんどだからな。お前ぇんとこの陽だまり亭みたいなオシャレな店はねぇんだよ」
モーガンがそう言ってニヤリと笑う。
自分はこっちの方が落ち着くんだぜというアピールのように聞こえた。
確かに、酒好きが気負わず気軽に立ち寄れそうな、呑兵衛横町的な無骨で荒削りな、ある種廃退的にも見える雰囲気だ。
けれど、煌びやかな店に無縁のむさ苦しい男どもにはこういう雰囲気が堪らなくいいのだろう。
オシャレなバーより赤提灯の屋台がいい、みたいな。
「これでも大分綺麗になったんだよ。以前はもっと……ね」
エステラが肩をすくめると、モーガンも当時を思い出すように辺りをぐるりと見渡した。
「まぁ、そうだな。去年の大雨の被害の後からこの辺りを作り変えるって話が出始めて、反対してる連中が何人もいてちょっと揉めたりな。オレも反対派だったしよぉ。領主代行だった嬢ちゃんとは結構顔を合わせたよな」
「あはは……ほんと、あの時は大変だったよ」
街門の設置や街道の整備の前の話だ。
小汚いくらいがちょうどいいと思っている連中からの反発が結構出ていたらしい。
「けど、この場所の良さを残したまま、全体的に小ざっぱりして、オレぁ前より好きだぜ、今のこの雰囲気はよ」
「そう言ってもらえるとほっとするよ」
エステラが笑顔を見せるが、心底疲れきったような雰囲気が隠しきれていない。
本当に激しい突き上げを喰らったのだろう。
モーガンみたいな連中が何人も文句を言いに来たら……そりゃげんなりするよなぁ。
「オレらは今のままでいいっつってんだろ!」って、自分勝手な意見をぶつけてくる酒飲みの顔が容易に想像できる。
『変わる』ってのは、頭の固い連中には猛毒のように映るからな。
まぁ、でもそうか……
あまりに劇的な変化は、喜ばれることばかりじゃないってこと、俺もちゃんと理解しておかなきゃな。
「ヤシロさん」
すっと近付き、俺に歩調を合わせて、ジネットが真横から俺の顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですよ。きちんとお話しして、みなさんが望む未来を選択しましょう」
顔に出てしまっていたのか、そんな励ましをもらった。
……いや、別に。
俺はどうでもいいんだけどな。こっちの提案を向こうが飲もうが蹴ろうが。
俺が憂慮するようなことじゃないし。
まぁ、こっちの提案を飲んでくれりゃガゼル姉弟の店は続くだろうし、モーガンは贔屓の店がなくならないことに恩を感じて今後何かと融通してくれるだろうなぁとか、情報提供の見返りに何かあったらこっちにも協力させてやれるなぁとか、陽だまり亭で出来ないようなチャレンジをこっちの店を実験台にして試すのもありだなぁとか、面倒なモツの処理を押しつけて手軽に手ごろな価格でモツを楽しめるようになれば個人的にめっけもんだなぁとか、そういう利益の話をしているのであってだな……
「ヤシロさん。ご自身を納得させる言い訳は見つかりましたか?」
「…………んなもん、探してねぇよ」
「そうですか。なら、問題ないですね」
可笑しそうに笑うジネットの横顔から目を逸らす。
知った風な口を……
そもそも、これは俺の利益のために…………んなぁぁああ、もう!。
「繁盛したらマージンをごっそり取る。か、モツ下処理ギルドを作って元締めになって下々の連中から搾取しまくってやる」
「だったらヤシロ、領主に申請の書類を出すといいよ。通るといいね」
と、領主が言う。
……不当な契約だったら通さないって顔に書いてあるぞ。
お前に手の内を曝すのは、追々敵に回った時のことを考えると避けておいた方がいいだろう。詐欺の手口を教えるということは、俺の急所を曝すことになりかねない。
書類なんて形に残るものをエステラに渡すのは危険だ。じっくり解析されれば見えてくるものもあるだろう。
敵に回すと、エステラは厄介な相手だ。
ふん。だから、今回だけは引き下がってやる。
本当なら、焼肉屋の利益を9:1で俺が吸い取れる秘策があったんだけどなぁ。あ~ぁ、残念だ。
「急に無口になったな、カタクチイワシは」
「善行を行う前の儀式みたいなものですよ。四十二区の名物の一つです」
エステラの戯れ言にジネットが「くすっ」っと吹き出す。
笑っていられるのも今のうちだからな?
俺の機嫌を損ねた瞬間、四十二区は経済的に破綻するのだ。それを悟った時にはもう遅い。貴様らには、震えて眠る暇すら与えられないだろう。
だからそれまで、安寧にあぐらをかいてのんびり穏やかに過ごしているがよいわ、わっはっはっ!
「エステラ。今俺が考えていることを言ってやろうか?」
「なんだい?」
「ふふん。テメェら、穏やかに過ごせ(にやぁ……)」
「えぇっと……すごい悪人顔で物凄くいい人発言なんだけど……どう汲み取ればいいのかな?」
ふふん。
分からんのか、愚か者め。ふふふん。
「『何も心配するな。俺に任せておけ』ということですよ。ね、ヤシロさん?」
違う。全然違うぞ、ジネット。
あと、俺のモノマネ似てないからやめて。そんなキザっぽい声出したことないから。
「えーゆーしゃ、ひとだすけ、すゅの?」
「うん☆ そうみたいだよ~☆」
「そっかぁ。やっぱとーちゃんが言ってたように、英雄ってそういうのが好きなんだな」
テレサ、しねぇよ。
マーシャ、そうじゃねぇよ。
バルバラ、好きじゃねぇよ。
お前らの認識、ことごとく間違ってるから。
「あー、美味しいモツ食べよー! そのためにここまで来たんだしー!」
「うふふ。そうですね。善行の後のご飯は、きっと美味しいですよね」
違うのになー!
ジネット、微妙にズレてるんだよなー、ずっと!
「なぁ、若ぇの。モツってのは、もしかしてアレか? テメェらが持って帰った内臓……か?」
「あぁ。アレを下処理したものだ」
「う~ん……こう言っちゃなんだが、あんなもんは外の森の獣くらいしか食わないんじゃねぇか? 人間様の食う物じゃねぇだろ?」
モーガンも試したことがあるのか、物凄くえぐみを連想させる引き攣りフェイスを晒した。
そんなモーガンに、そこにいた女子たちが「ガッ!」と詰め寄った。
「何言ってんだよ、ジイサン!」
「ぼくじょーちょーしゃ! ちぁう、ょ! もちゅ、おいしー、ょ!」
「そなた、長年牛を育てておりながら、あのモツの味わいを知らぬのか? ふふん、そなた……人生の半分を損しておるぞ」
「知るべき、あなたも、あのモツの持つ奥深い味わいを」
「一度騙されたと思って食べてみるといいよ。ボクが保証する」
「新しい食材との出会いは、奇跡に近しい感動があります。是非お試しくださいね、モーガンさん」
「ま、それでも私は魚介の方が好きだけどね~☆」
マーシャ以外の全女子が寝返ったのだ。
比較的肯定的だったジネットでさえ、「見くびっていました」とモツに頭を下げたくらいだ。
手のひら返しの常連であるエステラなど、もう何年も前から推していた古参ファンみたいな態度でモツの美味さを語っている。
ルシアに至っては、モツ食べたさに牧場を誘致するとまで言っているのだ。現状、三十五区の牧場は規模が小さいらしいが、それを拡大したいのだと。
それくらいに、モツのインパクトはすごかった。
とはいえ、変わり身が激し過ぎるけどな。
あいつら、お披露目用のモツから漬け込み途中のモツまで、根こそぎ食い尽くそうとしやがったからな。
「喜びたまえ、ミスター・オルソン」
エステラが薄い胸を張ってモーガンにドヤ顔を向ける。
「牛飼いの販路が広がることが確定したよ! 新しい主力商品の誕生だ」
ゼラチンはすでに存在していて販路は広がらなかったが、モツは新しい主力になり得る。
と、エステラは確信しているようだ。
とはいえ、結局モツを購入するのは飲食店なんだから販路自体は広がってないんじゃ……
ゼラチンは飲食店のみならずお菓子作りにも活用できるし、一般家庭にも需要があるから販路拡大が望めたが、モツは日持ちしないし下処理が大変だし、飲食店で食うのがスタンダードになると思うんだよなぁ。
「ヤシロさん。陽だまり亭でもモツを扱いましょうね」
まぁ、うん。
一応『肉屋』以外の店も手を出すから、販路は広がるか。
こいつらにはまだ教えていない、モツ鍋も控えているしな。
「内臓……内臓かぁ…………」
モーガンはまだ懐疑的ではあるが、ま、時間の問題だろう。
モーガンが納得いかない顔でうんうん首をひねっている間に、目的地へとたどり着いた。
トムソン厨房。
……うむ。
モーガン・オルソン。
モーボ・トムソン
オルソン、トムソン…………ややこしい!
「なぁ、モーガン」
「ん?」
「改名しろ」
「なんでだ!?」
「ややこい」
「『ややこい』ってなんだ!?」
ご近所で似たような名前しやがって。
傍迷惑な。
何を思ってそんなややこしい名前を付けてしまったのか……まったく。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!