「あっ、そうだ。ヤシロさん」
俺の眉間のシワを見て、ジネットが柔らかい声を出す。
なんだ? と、ジネットを見ると、眉間のシワがなくなったのを確認したのか、ジネットの頬がほっと緩んだ。
「小銭、探しに行かなければいけませんね。なくしたら大変です」
「あぁ、大丈夫だ。調理台の上に乗るように投げたから」
たとえ、状況のでっち上げのためとはいえ、お金を地面に投げ捨てるのは少々気が咎める。
なので、壁や柱に跳ね返って調理台の上に乗るように加減して放り投げたのだ。
「え? そんなこと出来るんですか?」
「まさか……」
信じられないと言った表情でジネットとモリーが厨房に入っていく。
そしてほぼ同時に「あっ!」という声を上げた。
「……すごいです、ヤシロさん」
「本当に調理台の上にありました」
「だから、そう言ったろうが」
投げる時の角度と強さ、投げる物にかける回転で、おおよそ狙いどおりの場所に投げることは可能だ。指裁きの訓練のためにマスターしたマジックでは当たり前のように必要な技能だった。
「ちなみに、モリー。どれでも好きなテーブルを選んでみろ」
銅貨を返してもらい、モリーにテーブルを選んでもらう。
次いで、ジネットに四隅のどこか、もしくはど真ん中かを選んでもらう。
二人の意見を参考に、『入り口そばのテーブルのど真ん中』という場所が決まった。
俺はそこへ目掛けて銅貨を放り投げる。
一度テーブルで弾んだ硬貨が「キンっ……カラン」と硬質な音をさせて、入り口そばのテーブルのど真ん中に止まった。
「す、すごいです、ヤシロさん!」
「ヤシロさん、どうやってるんですか? 何か仕掛けが……?」
「仕掛けはない。ただの慣れだ」
言いながら、先ほどの銅貨の上にもう一枚の銅貨を放り投げる。
「カチャリ……っ」とくぐもった銅の音がして、二枚の銅貨がぴたりと重なる。
「さっきの銅貨の上に乗りましたよ!?」
「それも、綺麗に二段重ねに!?」
三枚目から急に難易度が上がるんだが、まぁここまででいいだろう。
ズレるんだよな、三枚目を投げると二枚目が。
驚いているようだし、これくらいでいいだろう。
「継続すれば、結構不可能ってないんだぞ」
「私、頑張ります!」
「あのっ、わ、わたしも!」
素直なモリーと、単純なジネットが揃って拳を握る。
その意識が、微かに自身のお腹に向かっているような気配を感じる。
うんうん。やる気が出たようで何よりだ。
「ヤシロ~いる~?」
がらんとした陽だまり亭にエステラが入ってくる。
入ってすぐのテーブルに積み重ねられている二枚の銅貨に視線を向ける。
「触るな。俺のだ」
「なにを遊んでるのさ?」
「違うんです、エステラさん! ヤシロさん、すごいんです!」
「はい! 人間業とは思えない所業でした!」
「いや、ヤシロが人間離れしてるのは知ってるけどさ……」
誰が人間離れしとるか。
エステラを適当な席に座らせて、俺は大切なお金をきっちりと回収しておく。
ジネットが厨房へ戻りお茶の準備をして戻ってくる。
「ウチのお茶、1Rbなんだけどなぁ……」
「ちゃんと払うよ……うるさいなぁ」
渋い顔をして、エステラが俺に手紙を押しつける。
「んだよ?」
「ラブレターだよ」
「俺にか?」
「読めば分かるよ」
そう言われて、丸められた羊皮紙を広げる。
そこには、三十五区領主のエムブレムが刻印されていた。
ルシアから?
俺は手紙の内容を目で追った。
カタクチイワシ
三十五区へあんドーナツとハム摩呂たんを献上せよ。
カレードーナツも忘れぬよう。
本日の夜までに指定の物を揃えて馳せ参じるように。
私にこき使われる栄誉を貴様にくれてやる。光栄に思うがよい。
追伸
今日、ギルベルタは館で一日体操着姿だったのだぞ。羨ましかろう。ふははは!
「羊皮紙を無駄遣いすんじゃねぇよ」
「うん。ボクもまったく同じ感想を持ったよ」
「というか、これ、……アイツ、夜に来るな?」
「うん。ボクもまったく同じ感想を持ったよ」
なんとも回りくどいやり方だが、「なぜ持ってこないのだ、カタクチイワシ!」と四十二区に乗り込んでくる予定なのだろう。
なに、あいつヒマなの?
「廃嫡しちまえばいいのによ、あんなの。三十五区の当主は何をしているんだ?」
「残念ながら、その『あんなの』が当主なんだよ」
「親の怠慢だな」
「一人娘らしいから、仮に父親が現役であったとしても廃嫡は選択肢になかったろうね」
「乳も無いくせになぁ」
「それには賛同しかねるけれどね」
ちぃ。最後で裏切られた気分だ。
「でさ、ヤシロ……何をしに来ると思う?」
「まぁ大方、あんドーナツの製法を教えろってところかな」
「だよねぇ。新しいパンの登場は確かに衝撃だったけれど、あんドーナツやカレードーナツはその上をいったからねぇ」
「そうなるように仕組んだからな」
あとから出された情報の方が記憶には残りやすいのだ。
特に、先に提示された物以上に優れている箇所がある場合はな。
今回で言えば、その安さが衝撃となった。似たような味なのに。
「けど、製法は渡せないでしょ?」
「ん~…………」
「『ん~……』って……。え、なに? ドーナツの製法を広めるつもりなの?」
「なんでだよ?」
「だよねぇ。ヤシロがそんな他人に利益をみすみす明け渡すようなマネしないよねぇ」
いや、「なんでだよ」ってそういうつもりじゃ……ま、いっか。
「ところで、どうしてモリーがここに?」
「砂糖関連の新商品が目白押しだった影響でな」
「あぁ……そっか」
「うぅ……エステラさん、視線が正直過ぎます」
自身の腹へと向かったエステラの視線に、モリーが表情を曇らせる。
「エステラさんは、すごくスタイルいいですよね?」
「出るとこ出ないで引っ込むところ引っ込んでるからな」
「ヤシロうるさい」
「どうやって体型を維持してるんですか?」
「乳に栄養が全部行ってるんだよ。でも全栄養を注ぎ込んでも尚育たないんだよ!」
「ヤシロ、うるさいっ」
ヒザをカカトでぐりぐり蹴られた。
貴族ってやーねぇー!
「ボクは人に見られる機会が多いからね。常に意識しているっていうのは、体のラインを保つのに大きな要素になってると思うよ」
「ナタリアなんか、寝る時全裸だから綺麗なスタイルしてるもんな」
「それとこれとは関係ないよ!」
「じゃあ、私も全裸に……っ」
「待ってモリー、落ち着いて!」
「えっ、もしかしてエステラも全裸で……?」
「ヤシロ、ほんっと、うるさい」
カカトのぐりぐりが強さを増した。
これが貴族の強権かぁ、怖いわぁ~。
「はぁ……セクハラ講習でも始めようかなぁ……」
「講師はレジーナか?」
「アレは受講すらさせない、隔離する」
なるほど。俺とほぼ同じ意見だな。
アレは関わらせちゃいけない。関わらせた時点でこっちの負けだ。
「あぁ、でもそうだな。エステラの意見にも一理あるな」
「え? セクハラ講習?」
「違ぇよ。全裸を見られるって話だ」
「そんな話はしていないよ」
「他人の視線を意識するってのは、体にいい緊張感を与えてくれるんだ」
モデルと一般人で笑顔の自然さが違うのは当然なのだ。
向こうはプロだから。もっと言ってしまえばそれが出来るからこそプロたり得るのだ。
筋肉は意識して使ってやることでその能力を十分に発揮できる。
逆に言えば、意識してやらないと十分なパフォーマンスは望めない。
「ジネット、モリー。ちょっとお腹を出して大通りを歩いてみるか?」
「「絶対無理です!」」
半泣きで拒絶するジネットとモリー。
エステラもあきれ顔でため息を漏らす。
「そんなの、ボクだって嫌だよ」
だが。
「いいや。お前らには必ずやってもらう――」
今すぐじゃなくてもいいんだ。
ほんの少し先に『そーゆー予定』が入っていれば、嫌でも意識せざるを得ないだろう。
「お前らみんな、楽しいお祭りだぁ~い好きだろ?」
俺の満面の笑みを見て、その場にいた三人の女子が顔を引き攣らせた。
「……ヤシロ、どんな邪悪な企みをしているんだい?」
「ヤシロさん……とりあえず、考え直しませんか?」
「わ、私、他区の領民ですし……」
「大丈夫。『ヘソ周り、みんなで晒せば怖くない』ってな」
「「そんなわけないじゃないですか!」」
悲痛な叫びを上げるジネットとモリーを見つめて、俺は結構前に約束していたあのイベントを開催することを考えていた。
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