「位置について、よーい……」
――ッカーン!
一斉に駆け出す選手たち。
モリーとルアンナは懸命に腕を振り、綺麗なフォームで地面を蹴る。
ミリィも、腕を左右に振る所謂『女の子走り』だが、そこは虫人族、スピードはなかなかのものだ。
だが、スピード特化のバルバラはとにかく速かった。
徒競走でマグダといい勝負をしてみせたモリーが置いていかれた。
砂埃を巻き上げ、相変わらずの低い姿勢で加速するバルバラ。
いち早くパンの真下まで来て、勢いそのままに跳び上がる。
見事にパンをキャッチし、そして――
「んごぅっ!?」
勢いがつき過ぎて、パンをぶら下げていた木枠に激突した。
鼻を思いっきり強打したようだ。
地面に落下して悶え苦しみ、叫びながら地面を転がり回っている。
「ぃぃいいいってぇぇえええ!」
すげぇな、トルベック工務店。
こんなやっつけな木枠なのに、凄まじい強度だ。台風が来てもビクともしないだろうし、きっと百人乗っても大丈夫だ。
「ウーマロって、やっぱすげぇんだな」
「私なら破壊できますけどね。してみせましょうか?」
「張り合わなくていいから」
破壊するのと衝撃に強いのとはまた別次元の話だ。
ナタリアやデリアを相手にすれば、いくらなんでもウーマロが可哀相だ。そんな自然災害をも凌駕する攻撃に耐えられる物質自体が、この世界には数少ないことだろう。
「く……っ! 痛い、けど、パンはもらったぜ!」
痛みに耐え、立ち上がったバルバラがゴールを目指して走り出す。
が、それよりも早くモリーが駆け出した。ルアンナも続く。
「あいつら、いつの間に!?」
いや。お前が悶え苦しんでいた間にだよ。
モリーは、さすがというかなんというか、二度ほどジャンプしたところでコツを掴んだようで、三度目でパンをゲットしていた。
ルアンナも、モリーに遅れること数十秒後にはその口にパンを咥えていた。
ルアンナがジャンプした回数はモリーよりも圧倒的に多く、十六回。考えるよりも体で覚えて、実践の中で誤差を修正していくタイプだな、あいつは。実に職人向きだ。
「アーシの前は、走らせねぇ!」
バルバラが叫び、先行する小さな背中を追いかける。
ゴール手前、ラストスパート。
純粋な走りではやはりバルバラに分があるのか、ぐんぐんと差が縮まり、そして……
「ぃ………………っきしっ!」
ゴール直前にバルバラが盛大なくしゃみをかまして失速。
モリーが一位、ルアンナが二位でゴールした。
……うんうん。鼻を強打すると、なんかくしゃみ出る時あるよな。鼻血吹くなよ。
というわけで、赤組を除くすべての選手がゴールした。
残っているのはミリィただ一人だ。
「ん、っしょ! ぇい! ぅう……とれないょぅ……」
小さいミリィがぴょんぴょんと遥か頭上のパン目掛けてジャンプしている。
「身長の近しい選手が一緒に走るんじゃなかったっけ?」
「それは基本ルールです。面白さが最優先なのです。たとえばそう……Bカップ限定レースとか!」
おっぱいのサイズを揃えてどうする。
いや、まぁ、気持ちは分からんではないが。
「あと、モリーさんをこちらに入れたので、なるべく幼い女子の中に混ぜてあげたかったという、自軍贔屓な思惑も」
「おいこら。だとしても吐露すんな」
「ぁう……なたりあさん、みりぃ、幼くなぃのに……」
「まぁ、ミリィはしょうがないさねぇ、そう見られても」
「のーまさんまで……ひどぃ、ょう」
モリーに合わせて未成年のルアンナ、自称成人のロリっ娘ミリィ、そして頭の中が誰より幼いバルバラだったわけか。
う~む、納得。
「しかし、意外でしたね」
「何がだ?」
「ヤシロ様があまりはしゃがれていませんでした」
「さすがに、未成年相手にはな……」
ほら俺、元都民だし。
都条例、厳しくなってたし。
「けどヤシロ、バルバラは成人してんだろぅ? その割にははしゃいでなかったさね」
「アイツには情緒ってもんがなさ過ぎるんだよ……」
バッと走って、ダンっと跳んで、ゴチーンとぶつかって、ズドーンと落下して、そのあとはゴロゴロゴロゴロ……揺れを堪能する暇もなかった。
「揺蕩ってこそおっぱい!」
「お、名言ですね」
「名言じゃないさよ、ナタリア……」
こう、ゆらゆらと定まらない、予想できない揺らぎこそがおっぱいの真髄。
ねぇ、そうでしょう、みなさん!
「要するに、お子様やお子様知能のおっぱいでははしゃげないのさ、ジェントルマンとして」
「ジェントルマンはおっぱいではしゃがないもんさよ……」
「よっ、ナイスジェントル」
「ナタリア。面白がるんじゃないさね」
ノーマがナタリアのおでこをぺしっと叩く。
なんか仲良し女子みたいな戯れだな。
まぁ、それはさて置きだ。
「お子様にははしゃげないジェントルマンだが……ミリィは大人らしいので注目しようかと思います!」
「はぅっ!? ゃ、ゃめて、そぅいぅ注目の仕方……ぅう……ぁんまり、見ないでぇ……」
顔を隠しつつ、それでも早くその場から離れようと懸命にジャンプを繰り返すミリィ。
ぴょん!
すかっ。
着地。
「ぁぅう……」しょぼーん。
「でもがんばる」拳をぐっ!
ぴょん!
すかっ。
着地。
「ぁぅう……」しょぼーん。
「よし! 買った!」
「残念ながら非売品です」
「ヤシロ、メドラさんに言って取り押さえてもらうさよ?」
ちぃ!
四十二区の自警団くらいなら怖くないのに、メドラとは……逃げることすら出来ないじゃないか。
それからしばらく、ぴょんぴょん跳ねるミリィを会場中の老若男女がほっこりと観賞した。
身長のハンデを考慮してジネットと同等の『とりやすい設定』に変更されたパンをなんとかキャッチした瞬間、会場中から割れんばかりの拍手が起こり、ミリィは赤かった顔をさらに真っ赤に染めて小走りでゴールを駆け抜けた。
「ぅうぅ……恥ずかしかった、ょぅ……」
大きなテントウムシの髪飾りで顔を隠し蹲るミリィ。
そんな姿も観客を楽しませている。
オッサンどもが大はしゃぎ……かと思いきや、ミリィの知り合いの大きなお姉様方がきゃいきゃいはしゃいでいた。愛されてるなぁ、ミリィ。
「……はっ!? しまった! おっぱいの揺れを見逃した!」
「この和やかな癒しの空気の中でよくそんな最低な発言が出来るもんさね……」
「まさか……この私までもが見落としていたとは……!」
「あんたは、ヤシロに染まろうとするんじゃないさよ、ナタリア!」
なんということだ。ミリィのほんわかムードにすっかり意識を奪われ、この俺が、一切おっぱいを見ていなかった。
ミリィは今年から成人、大人の女性だ。だというのに…………
そうか、つまり……
「やっぱミリィは、まだまだ子供なんだな☆」
「みりぃ、ぉとなだょ! ……ぅぅ、でも……子供でもぃい……だから、ぁんまり見ないで……」
子供なら、多少の失敗は許される。
子供なら、うまく出来なくても当然だ。
そんな思いから、大人と子供のせめぎ合いがミリィの中で行われているのだろう。
そうやって、人は成長していくものだ。そうか、ミリィもしっかり成長しているんだな、心が。
だとするならば、いつか……
「いつか……、俺はミリィのおっぱいに『わっほい』する日が来るのだろうか……」
「来なくていいさね!」
「では、代わりに私が」
「しなくていいさね! ほら、ナタリア。あんたそろそろ出番だろぅ。ヤシロのお目付け役はアタシがやっておくから、早く待機列へ行っておいでな」
ノーマに促され、ナタリアが一礼をくれてから場を離れる。
うんうん。ナタリアもいっぱい跳べばいいと思うよ。
……というか。
「なぜノーマが?」
「アタシは実行委員初期メンバーさよ」
確かにそうなんだが、ノーマもレースを控えているだろうに。
「なんなら、エステラや店長さんを呼んでくるかぃね?」
エステラやジネットを……?
エステラは、俺がおっぱいではしゃいでいると必ず邪魔してくるし、ジネットは……「もう、懺悔してください」…………うん、ノーマがいいな。
ノーマならきちんと許容してくれる。
「よろしくな、ノーマ☆」
「あんたのそーゆー分かりやすいところ、ほんっとしょーがないさね……」
なんだか呆れられている。
正直者はいつの世も褒められるべき存在なのに。
「ほら、次のレースのパンを準備しに行くさね」
背を押されてコースへと向かう。
さすがは金具の製作者。パンの取り付けがスムーズだった。なるほど、技術的にもノーマが適任だったわけか。
「アタシは絶対、クリームパンをいただくさよ」
「ミルクを蓄えてもう一回り大きくしようってんだな。えらいぞ!」
「違うさね! きらきらした目でこっち見るんじゃないさよ!」
ぷりぷり怒ってコースの外へと帰っていくノーマ。
ぷりぷりしている。ぷりぷりぷりぷりん……はっ!? いつの間にかお尻を凝視していた!
いやぁ~、やっぱブルマが似合うなぁ、ノーマ。
レースの準備も楽しくなりそうだ。
「位置について、よぉ~い!」
――ッカーン!
レースは続き、その数だけ笑顔が増えていく。
みんな、新しいパンに衝撃を受けているようだ。
そして、このパンが間もなく日常的に食べられると知るや、にっこにこと満開の笑顔を咲かせていく。
パンの広報としては大成功だろう。
役割は十分に果たした。
だから……
「後顧の憂いなく、存分に楽しみつくす所存!」
「ヤシロ、騒ぐと選手の邪魔になるさね!」
そんな注意を何度も受けながら、俺はレースの準備に奔走した。
つらいなんて思わない。苦労の向こうにご褒美があるから!
そうして、再び注目のレースが始まろうとしていた。
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