それは、四十二区で行った『宴』以降、徐々に始まっていたらしい。
大きな湯に浸かりながら、ウーマロがぽつりぽつりと語り始める。
「ニューロードの誕生にあわせてマーゥルさんの館を移動させる工事を行ったんッス。その縁で、マーゥルさんから水車の修繕依頼があったんッス。四十二区の川で足漕ぎ水車を見たらしくって、それでウチに依頼をしてくれたそうッス」
ウーマロたちが曳家という技法を使って館を動かした話は知っている。
つか、あのオバサン、川の方にまで足を伸ばしてんのかよ?
暇なのか?
「それで、水車の修繕は滞りなく終わって、マーゥルさんすごく喜んでくれたんッス」
「プラスワンで何か作ったのか?」
「水車のそばに小さな足漕ぎ水車を作ったッス。川から館が遠ざかったから、水路に水を汲み上げるために使うとか言ってたッス」
そんなもんは水車を利用すればいいし、そもそも汲み上げなくてもあの距離なら水路を掘れば済む。
何かしら理由を付けて足漕ぎ水車が欲しかったんだろうな。
さぞご満悦だったことだろう。
「それで、二十九区の領主様の屋敷の蔵が古くなっているから近々修繕するって話を聞かされたッス。マーゥルさん直々に領主様に口利きしてくれるって言ってたッス」
マーゥルはマーゥルで、トルベック工務店の有用性に気付いて囲い込みを開始しやがったな?
『とどけ~る1号』やニューロード、遊具を作った大工たちだからな。
太いパイプが欲しいと思って仕事を振ろうとしたのだろう。
「けど、待てど暮らせど連絡はなく、区民運動会でお会いした時にそれとなく伺ったんッス。あの話、どうなったッスかって」
そうしたら、マーゥルはこう言ったそうだ。
「えっ? 蔵の修繕をしたのって、あなたたちじゃないの?」と。
「蔵の修繕は、もう終わっていたッス」
マーゥルのことだ、口を利くと言ったのなら間違いなく実行したはずだ。
それも、二十九区の領主であり、実の弟に当たるゲラーシーに直接。
ゲラーシーのヤツが姉に反発するあまりワザと別の大工に頼んだのか?
いや、今さらそんなセコいことをしても意味はない。
何より、あいつは今マーゥルに少しでも会って領主としての手腕を磨かなければいけない時期だ。
ヤツ自身がそれを実行すると言っていたのだ。
そんなしょーもない反発心でマーゥルとの関係にヒビを入れるとは思えない。
「けど、それはまぁ仕方ないッスねってことで終わったんッス」
それから、マーゥルは細々とウーマロに仕事を依頼したようだ。
だが、ゲラーシーからは一度も依頼が来なかった。
「それが、似たようなことが他所でも起こるようになったッス」
ウーマロと面識のある者から紹介された仕事が、いつの間にか終わっている。
そんなことが数件立て続けに起こった。
そしてウーマロは思ったのだ。
『どこかの工務店が自分たちの仕事に横入りしてきて掻っ攫っていっている』と。
「すぐに目星は付いたッス。オイラたちがやるはずだった……って言うと、傲慢に聞こえるッスけど、オイラたちにお願いしたいと先方の関係者がおっしゃっていた仕事を、実際施工したのはいつも同じ工務店――ノートン工務店だったッス」
トルベック工務店に決まりかけていた仕事を掻っ攫っていったのは、すべてノートン工務店というところだった。
「一度や二度なら、そんなこともあるかと思えたッスけど、こうも続いたんじゃあ……それでオイラ、ノートン工務店の棟梁に抗議に行ったッス」
ノートン工務店の棟梁は、ドノバン・ノートンというラーテル人族のオッサンらしい。
狩猟ギルドかと思うような強靭な肉体を持つ、厳つい顔のオッサンで、ウーマロよりもかなり年上だ。
「正直、その頃にはオイラたち、結構限界に来てて……あ、金銭的にとかじゃなくて、貴族とかギルドの重鎮とか、俗な言い方をすると『上客』と言われるところの仕事ばっかり横入りで奪われて……と、その時は思ってたッスから、その、ウチの連中を引き連れて話を聞きに行ったんッス」
ウーマロは、俺たちの前では年中笑っているような温厚な男ではあるが、初めて会った時は不正を働いたグーズーヤを怒鳴り飛ばしていたような厳つさも持ち合わせている。
特にこいつは、曲がったことが大嫌いな性格だ。
もし、実際にノートン工務店が不正を働きトルベック工務店の仕事を横取りしていたのなら、全面衝突してでも連中の不正を許さなかっただろう。
……もし、実際にノートン工務店が不正を働いていたなら、な。
「売り言葉に買い言葉みたいになっちゃって、連中もムキになって、帳簿から何から何まで全部見せてくれたッス。気が済むまで調べろって。……そして」
「不正の跡は見つからなかった……と?」
「……ッス」
エステラの言葉に、ウーマロが苦悶の表情で頷く。
言い出しにくかったであろう言葉を言ってもらえて、少しほっとしているようにも見えた。
けれど、ウーマロが見せた苦悶の表情は、見てるこっちが息苦しくなるほど沈痛で、こいつの後悔がありありと感じ取れた。
ウーマロは、不正を暴けなかったことを悔しがっているわけじゃない。
うまく隠し通し白を切る連中に腹を立てているわけじゃない。
本当は不正なんかなくて、実力で負けただけだと突きつけられてショックを受けているわけじゃない。
こいつはただ、許せないのだ。
無実の者を疑ってしまった自分が。
絶対に不正だと決めつけて乗り込んでしまったおのれの行動が、浅慮が許せないのだ。
「ノートン工務店の無実が証明された時に言われたッス……」
『最近一部で持ち上げられて天狗になってんじゃねぇのか?』
「ぐぅの音も出なかったッス。オイラ、ただ頭を下げて逃げ帰ったッス……」
そんなことが、あったのか。
全然、気付いてやれなかった。
その話は大工たちが所属する土木ギルド組合の間であっという間に広がり、トルベック工務店の名前には盛大に泥がついてしまった。
曰く、「自分たちが仕事を取れるのは当たり前で、それを他所にとられるなんてあり得ない――とでも考えていた自惚れ屋」だとか、「自分以外のところがいい仕事を取ると難癖付けて職場を荒らしに来るならず者たちだ」とか。
そんな誹りを、ウーマロたちはただ黙って甘受していた。
「それからも、相変わらずオイラたちにって持ちかけられた話はなくなって、他所の工務店がその仕事をしたって、あとになって聞くことが多々あって……」
「それも、すべてノートン工務店だったのかい?」
「いや……」
エステラの問いに、普通に受け答えしているウーマロ。
ずっと俯いているから、顔を見ずに済んでいるのだ。
それくらい、ダメージを受けているのだ。
「オイラたちが騒ぎを起こしてから、ノートン工務店は仕事が減ったッス……アレ以降は特定の工務店ではなくて、いろいろな工務店が仕事を持っていったッス」
そうなると、当然黙っていないのがノートン工務店だ。
『テメェらのせいで、謂れのない悪評がついて仕事が減った! どう責任取るつもりだ!』
そう詰め寄られたらしい。
そしてウーマロは、四十区で受注していた仕事のほとんどをノートン工務店に譲ったのだそうだ。
先方と、組合に事情を説明して、きちんと了承を得て。
……あぁ、だからヤンボルドやグーズーヤみたいな本部の連中も手が空いていたのか。
連中が勢揃いするなんて、ちょっと大袈裟過ぎる気がしてたんだよな。
そういう理由があったのか。
そして、猛暑期。
川遊びをしていたあの日、ウーマロのもとにとんでもない話が舞い込んでくる。
いや、叩きつけられた。
「統括裁判所に訴えられたッス」
営業妨害。
難癖をつけて派手に調査をすることでノートン工務店の信用を失墜させ仕事を奪った。
それだけではなく、極端に仕事が減ったのはトルベック工務店が裏でこそこそ工作しているからに違いない。
そう決めつけられて、告訴された。
受けて立てば、少なからず裏工作の疑惑は晴らせただろうが、ウーマロは争いを避けた。
自分が仕出かしたことで迷惑をかけたと思っているから。
これ以上、事を荒立ててさらなる損害を与えないように、さらなる悪評をノートン工務店に与えないように、示談金を言い値で支払ったそうだ。
事実上の敗北宣言。
ノートン工務店の言ったことはすべて正しいと、認めてしまったようなものだ。
そして、トルベック工務店の悪評は一気に、各区の隅々にまで広がってしまった。
真摯に仕事をして、一から信用を取り戻すしかない。
ウーマロはそう考え、大工たちにもそう伝えた。
だから、豪雪期から今日まで、こいつらは異常なまでに仕事を欲していたのだ。
金のためじゃなく、技術と心意気を正当に評価してくれるこの四十二区でやり直して、もう一度信用を得るために。
「本当はもう……オイラたちの名前が付くだけで、エステラさんや四十二区、そしてヤシロさんに迷惑がかかるんじゃないかって……不安で、けど、オイラにはこれしか……大工しかないッスから、なんとしてでも、もう一度信用を…………ウチの大工たちも食わせてやらなきゃなんないッスし……だから…………っ!」
湯の中に、男の涙が落ちる。
まぁ、アレだ。天井から落ちてきた水滴かもしれんし、見なかったことにしといてやる。
「すんませんッス……話せなくて。みなさんのことは、信用してるッスけど、やっぱ、ちょっと怖くて……だって、オイラは……技術を認めてもらって、こんなによくしてもらってる身ッスから……それが、悪評まみれで仕事もろくに出来ないようじゃ、オイラには何の価値も……」
「あぁ、しまった」
俺が発した声で、ウーマロの言葉が止まる。
いや、しまった。実にしまった。
俺としたことがうっかりしていた。
ミリィに頼んで頃合いの竹をもらっておくべきだった。
竹があれば水鉄砲が作れたのに。
水鉄砲があれば、言わなくてもいい泣き言を垂れ流す口にお湯を注ぎ込んで黙らせてやれたのに。
あぁ残念だ。あぁ口惜しい。
仕方ないので手桶を使って、たっぷりのお湯をウーマロの頭からぶっかけてやる。
「わ……っぷ!? な、なんッスか!?」
濡れた顔をプルプルと振り、ウーマロがようやく顔を上げる。
「……あっ」
顔を上げて、ようやく気が付いたようだ。
お前の話を聞いていた連中の顔が、今どんな風になっているのかを。
お前がしょげて、「どうせオイラなんて」「しょーもない人間ですし」「きっと日頃の行いが」「まだまだ未熟で」「末期症患者ッス」なんて自分を卑下する言葉を聞かされてよ、こいつらがどう感じると思ってんだよ?
見ろ。
ジネットなんか泣きそうだし、ロレッタでさえ眉毛を歪めているし、マグダは半眼無表情だ。
笑顔が売りの陽だまり亭の店員から笑顔を奪ってんじゃねぇぞ、この泣きキツネ。
お前のせいで悲しそうな顔をしている女子たちの顔をしっかり見て反省しろ――という俺の意思はまったく通じていないようで、ウーマロはじっと俺の顔をガン見している。
「……ヤシロさん、その顔」
あまりにイケメン過ぎて目がくらみそうってか?
「……すんませんッス」
無言で見つめ返していると、ウーマロが深々と頭を下げた。
湯舟の中で正座して、膝に手をついて、土下座とまではいかないけれど、深々と。
……俺がどんな顔をしててもいい。
お前は、馬鹿みたいに笑ってろ。
こんだけすげぇ風呂を作ったんだ。
もっと誇ってろ。
お前が気に病むことなんか、何一つないんだからよ。
だってよ、お前を悩ませていたこの一連のごたごたはみんな――
「ウーマロ。それはガスライティングだ」
――どっかのバカによって仕組まれた、トルベック工務店に対するイヤガラセなんだからよ。
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