四十二区の街門。
ホント~に作っちゃったんだよねぇ、って、毎回思っちゃう。
ヤシロ君、頑張ったもんねぇ。
「それじゃあ、マーシャ様。もし移動する時は門番に合図をしてください、誰か寄越しますんで」
「うん☆ ありがとね~。あ、エステラにもお礼言っといて~☆」
「かしこまりました。では、自分は仕事に戻りますっ」
ピシッと敬礼して、若い虫人族の兵士君が持ち場へと帰っていく。
初々しいなぁ~。この街門が出来た時に雇われた兵士君らしく、まだまだ新米君なんだって。
私の荷車を押すためにエステラが貸してくれた兵士君。
今は、ちょっと一人になりたいからわがまま言ってここに置いていってもらった。
……あんまり知らない人と長くいるのは、実は得意じゃないんだよねぇ。
そんな風に見えないってみんな言うけど、これでも結構気は遣ってるんだから。
だからね、こうやって一人になると……ホッとする。
「ふふ、兵士君には悪いけどねぇ☆」
遠ざかる兵士君を見送り、そして、行き交う人々を眺める。
ここって、去年まで誰も寄りつかないような荒れた畑があっただけの場所なんだってねぇ。
私も、その頃のこの場所には来たことがなかったかなぁ。
それをここまで変えちゃうんだもん……やっぱりすごいなぁ、ヤシロ君は。
「いろんなものを、ど~んどん変えていっちゃう。それもみんな、いい方に」
デリアちゃんも、随分と変わったもんね。
……変えられちゃった、かもしれないけれど。
「……あの、男の子にまったく興味を示さなかったデリアちゃんが、あんな顔をするなんてねぇ……」
ヤシロ君の記憶に、ちょっと厄介な魔草が寄生した。
それは、やがてヤシロ君の記憶を食べちゃって、私たちのことを忘れてしまう……かも、しれない。
そう聞かされた時のデリアちゃん……この世の終わりみたいな顔してた。
ううん。デリアちゃんだけじゃない。エステラや、他のみんなも。
ヤシロ君、分かってるのかなぁ?
自分が、どれだけの人の、どれだけ大切な存在になっているのか……
私だって、少しは……
ちゃぷん……と、水が跳ねる。
体勢を変えて、仰向けになって街門を仰ぎ見る。
大きな門……
木こりギルドや狩猟ギルドの人が主に使って、それが四十二区の生活向上に役立つ、双方に利益をもたらす門。
ヤシロ君は、いつも自分の利益を考えている。
それはもう、天才的なほどに。時には、悪魔的なほどに。……ふふ。
けれど、絶対に――利益の独占はしない。
ヤシロ君の考えるお金儲けは、常に誰かを助けてきた。
誰かの涙を、笑顔に変えてきた。
「すごいよね、君は……」
首を西側に向けると、三十区との間に大きな崖がそびえている。
以前ヤシロ君は、『この崖の下に海へと繋がる水路がある」って言ってた。
四十二区の川に鮭が帰ってくることから、それを突き止めたって言ってたなぁ。
どこで勉強したのか知らないけれど、ヤシロ君は魚のことをよく知っている。今度一度、じっくりとお話をしてみたいな。
「『ここの崖を切り崩して、補強して、水路を確保したら……』……だったかな?」
そうしたら、海漁ギルドの船がこの四十二区の真下にまでやって来られるようになるんだって、嬉しそうに話してくれたことがあった。
もちろん、それもヤシロ君は自分の利益を考えてのことなんだろうけど……
「そうなったら、私も嬉しいなぁ~」
そうしたら、もっとたくさんここに来られるもんねぇ。
もっとたくさん、会えるもんねぇ。
そうして、ヤシロ君の顔を思い浮かべていると――
「おっ、いたいた」
――そんな呟きが聞こえた。
実はみんな知らないだろうけれど、私って、耳がいいんだよね。
大きな海で生まれ育ったせいかな? 遠くの小さな物音がしっかり聞こえるように出来てるんだよね。
だから、結構遠くで呟いた声もしっかり聞こえて、分かっちゃうんだ。
ヤシロ君がこっちに歩いてきてるってこと。
水槽の中で仰向けになっていた体を反転させて、水槽のふちに体を預ける。
「やほ~☆ ヤシロく~ん☆」
「おう!」
片手を上げて、軽い足取りで歩いてくる。
うふふ。無邪気な顔しちゃって…………あ、今、胸見た。まったくもぅ、ヤシロ君は。
「えぃっ☆」
いきなり胸をチラ見した罰として、水槽の海水を鼻にかけてやる。
「おっぷ!? 何すんだよ……うわ、しょっぺっ!」
「うふふ☆ 反省した?」
「何をだよ……俺はただおっぱいをチラ見しただけだぞ?」
「分かってるじゃない☆」
うふふ。
ヤシロ君はちょっとエッチだけど、不快感のあるようなことは絶対してこない。
なんだか、思春期の子供みたいな純粋さがあって、少しだけ可愛い。エッチなのは、困るけどねぇ。
「あ~ぁ、服まで濡れたじゃねぇかよ……なんか、濡れた服を拭くホタテとか持ってないか?」
「う~ん、持ってるけど、貸せないなぁ☆」
「……ちっ」
こうやって、分かりやすく冗談にしてくれる。
でも、やっぱりエッチなので、ちょっとお仕置き。
「えぃっ☆」
「ぅわっ!? あぁ、もう! なんだよぉ?」
「理由は分かってるよねぇ?」
「ふん……まぁ、一度お前のおっぱいに触れた水だと思えば、腹も立たないけどな」
『お前』、か…………本当に私の名前、思い出せないんだね……
分かっていたことだけど、現実を突きつけられるとくるものがあるなぁ……
……私も、やっぱり嫌なんだよね…………ヤシロ君に忘れられちゃうのなんて。
「ところで、どうしてここが分かったのぉ?」
「デリアに聞いたんだ」
「…………あ、そうなんだ」
驚いた。
『デリア』って……名前、思い出したんだ。
よかったね、デリアちゃん。ヤシロ君、デリアちゃんのこと忘れたくないって思ったんだね。
…………羨ましいなぁ。
「…………」
「どうした?」
「ん~? ちょ~っと考え事」
「また、おっぱいのことでも考えてるんだろ?」
「そ・れ・は、ヤシロ君でしょ?」
危ない。
ヤシロ君がこうやって話しかけてくる時は、こっちが何を考えているのか探ろうとしている時。
これでも、ヤシロ君のことは結構見てきたもんね。
それくらいは分かる。
ヤシロ君は、誰かが不意に見せた沈んだ表情を絶対見逃さない。
そして、気付かないフリをしてその理由を探って…………心の奥に刺さった小さな小さな棘をそっと抜いてくれる。
……けど、今はダメ。
だって、デリアちゃんに嫉妬したなんて……知られたくないもん。
だから、こっちだって誤魔化してやる。
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