ギルベルタが戻ってこなくとも餃子は焼ける。
待っていたのでは餃子が焦げてしまう。
フライパンは重いが持てないわけではない。
しゃーない、一人でやるか。
かくして、デカ過ぎるフライパンに悪戦苦闘する俺。
一人健気に奮闘していると、厨房へ入ってくる人の気配。あぁ、よかった。ギルベルタが戻ってきてくれた。
「ギルベルタ、すまん。ちょっと手伝ってくれるか?」
「ふん! お断りだ、カタクチイワシ!」
「……お前かよ」
客席でのんきに餃子を貪り食っているはずのルシアが、悠々とした足取りで厨房へ入ってくる。
お前がいても邪魔になるだけなのに。
どうせあれだろ? 包丁もろくに握ったことないんだろ?
「この辺危ないから、ウロチョロすんなよ。あと、その辺の物に勝手に触るなよ」
「貴様はわたしを子ども扱いする気か?」
「刃物、火、キケン。触る、とても、危ない」
「何扱いをされているのだ、私は今!?」
若干の戸惑いを見せるルシアを置いて、餃子作り一番の見せ場であるフライパン返しを敢行する。
よぃしょう! ……よし、うまく出来た。
「ほぅ……餃子とはそうやって出来ているものなのか。……どれ」
「触るな」
「……どれ」じゃねぇんだわ。
お前にやらせると十人前前後が一瞬でおじゃんになるんだよ。
竈に近付くな。
「ギルベルタは?」
「エプロン姿がとても可愛かった!」
そうじゃねぇんだわ、俺が欲しい情報。
「オッサンどもに捕まったのか?」
「いや、少し席を外すように命じておいた。ギルベルタ自身はすぐにでも戻りたがっておったのだ。責めてやるなよ」
「ギルベルタを責める気なんかねぇよ。大量に餃子を焼かなきゃいけない時にしょーもないわがまま抜かしやがって、さっさと三十五区へ帰れコノヤロウ」
「私のことも責めるな!」
若干涙ぐんでルシアが牙を剥く。
なんだよ、冗談だよ。泣くなよ。
「手伝いなら私がしてやる」
「『足手まとい』って言葉、知ってる?」
「私とは無縁の言葉だな」
「よかったな、ご縁に恵まれて。今日から座右の銘にでもすればいい」
貴族らしいひらひらした服の裾を揺らして竈へ近付いてくるルシア。
あんなもんに引火したら、大惨事は免れないな。
「待て。この中にいるならエプロンを着けろ。ここはお前の館じゃない。ルールはきっちり守ってもらうぞ」
「ふん。カタクチイワシのくせに偉そうに……だが、ジネぷーが定めたルールであるなら致し方ない。従おう」
こいつは、俺以外の何かをワンクッション挟まないと俺の言うことが聞けない病気なのか?
いちいち回りくどいことこの上ない。
「素直に生きるのに言い訳を求めんじゃねぇよ」
「それは貴様であろう、カタクチイワシよ」
「俺は素直だよ。お金とおっぱいが大好きだ。『精霊の審判』をかけてもいいぞ」
「なら私も素直だ。獣人族が大好きで、貴様のことが若干気に入らん。『精霊の審判』をかけてみるか?」
ふん。「若干」ね。
随分と好意的に見てくれているようだな。
「それじゃあ、このエプロンを着けて、袖を捲っとけ」
「どうやって着ければいいのだ?」
「普通に被って紐で……うわぁ、文明に触れた猿みたいな反応だな」
「誰が猿だ、失敬な」
エプロンを広げて、裏へ表へとひっくり返して、眺めて、においを嗅いで……猿じゃねぇか。
猿に未知の道具を与えたら同じことするだろうよ。
「貸してみ。着けてやる」
「うむ、許す」
お前は「お願いします」って言葉を知らんのか?
貴族ぶりやがって。……貴族なんだけど。
「ほら、髪を押さえとけ。引っかかるから」
「き、貴様の前で髪を上げろというのか!?」
「大丈夫だ。ちゃんとうなじを見て『うっひょ~、いろっぺ~!』って思ってやるから」
「いらぬ! 思うな! 不届き者め!」
怒鳴りながらも長い髪を持ち上げるルシア。
そっぽを向くルシアの首が、ほんのりと赤く染まっている。
……やっぱ、女子なんだなぁ、ルシアも。照れるんだ、こういう時には。
ちょっとくらい、優しくしてやるか。
「あと、ひらひらして危ないから袖も捲るぞ」
「貴様の前で肌をさらせというのか?」
「それが嫌ならそのドレスを脱げ」
「なぜファースト裸エプロンを貴様の前で披露せねばならぬのだ!?」
「いつかどこかでお披露目する気なのかよ!?」
エプロンの着け方も知らないヤツが偉そうに。
無駄にひらひらの多い袖をめくって、ずり落ち防止の紐で縛ってやる。
労働などしたこともないような細くてすらりとした白い腕があらわになる。
……くっ、ルシアのくせにちょっと儚げに見えるのが悔しい。
「それで、私は何をすればいいのだ?」
「お前に出来ることなんか何もないから、そこで見てろ」
「なんのためにエプロンを着けさせたのだ!?」
「衛生のためだよ!」
お前のためじゃなくて、陽だまり亭のために着けさせたの!
怪我とかされたらたまんないから大人しくしててくれ。
「むぅ……この無力感は好かんな」
「じゃあ、フライパンに餃子を並べてくれ」
「任せておくがいい」
自ら進んで小間使いのようなことをしたがる領主。
エステラでもこういうことはやりたがらないってのに……あ、いや、あいつはおにぎりとか作りたがってたか。
やっぱあれなんだろうな。
ジネットのそばにいると働きたくてしかたない病を発症しちゃうんだろうな。
ワクチンの発明が急がれる。
指先に小麦粉をつけて引っ付かないようにし、焼く前の餃子をフライパンへ並べ始めるルシア。
俺が教えた通りにびっしりと餃子を並べていく。
「ところで」
――来た。
わざわざギルベルタを排してまで一人で厨房に来たのは、俺に何か言いたいことがあったからだ。
それも、なるべく人には聞かれたくない話が。
さて、それは一体どんな内容なのか……
「トルベック工務店は、競合他社を陰湿に追い詰め追い落とすような卑怯者の集まりなのか?」
「……は?」
あまりに突拍子もない言いがかりに、思わず素の声が出た。
若干、苛立ちが隠しきれていなかったかもしれない。
「……その声が、答えであるな」
存分に低く、威圧的だった俺の声を聞き、ルシアが満足げにノドを鳴らす。
くつくつと、可笑しそうに口元を緩める。
「いや、なに。エステラの言う通りであったなと思ってな」
「あいつに何を言われたんだ?」
「領主間で交わした機密を漏らすわけにはいかぬな」
何が機密だ。
大方俺の悪口だろうが。
「まぁ許せ。何分、私はキツネの棟梁とはまともに会話をしたことがないのでな、自分の目を信じるということが難しかったまでだ」
ウーマロ、まともに目を見ることも出来ないもんな。
「四十二区内で耳にした彼らの評判とはあまりに乖離した情報を耳にしたのでな。念のため探りを入れに来たのだ」
四十二区での評判とは乖離した情報……ってことは、悪評ってことか。
四十二区内でのトルベック工務店の評判はすこぶる良好だ。
なにせ、四十二区に存在した大工たちがこぞってその軍門に下ったくらいだからな。
連中の場合、競争に負けたというより自ら進んで弟子入りしたような感じだったが。
そしてトルベック工務店側も、土着の大工たちを尊重し、十分な敬意を払って接していることを俺は知っている。
交流、教育、すり合わせを経て、トルベック工務店は四十二区の大工たちのトップに立っている。それを不満に思う者など皆無と言ってもいい。
悪評など、立つ隙もないほどに。
「私も、彼らの仕事ぶりの一端くらいは見ているのでな、にわかには信じがたかったのだが……とはいえ、我が区の領民の意見を封殺してしまうのも躊躇われたのでな。わざわざ出向いてきたわけだ……よし、綺麗に並べたぞ。――餃子はオマケだ」
と、餃子を綺麗に並べて、ドヤ顔をさらすルシア。
オマケに熱中してんじゃねぇか。
「我が区の領民ってことは、三十五区の大工たちが持ってきたんだな、トルベック工務店の悪評を」
「うむ。直接会うことはそうそうないが、同じ土木ギルド組合に加盟している関係でそれなりの情報は入ってくるそうなのだ」
土木ギルド組合は、一部の特殊な――たとえば王族お抱えの大工などを除いたほぼすべての区の土木ギルドが加盟して相互扶助を掲げた活動を行う組織だ。
街壁の建設という一大プロジェクトを機に構築された組織らしい。まさに国を挙げてのプロジェクトだったんだな。
それでも、区をまたぐ大ギルドにならなかったのは、区によって貧富の差が激しいからに他ならない。建物のレベルも雲泥だしな。個別運営の方が都合がよかったのだろう。
で、そんな組合に加盟する大工たちの間では、区が違えどそれなりに情報共有はされているようだ。
もっとも、その情報が『正確か』までは分かりようがないけどな。
「詳しく聞かせてくれるか?」
「なに、他愛もない話だ。勢力を伸ばしてきた競合他社に対し、難癖をつけてトラブルを起こしたと、そんな噂が流れておる」
「他所がどんなに勢力を伸ばそうが、トルベック工務店を脅かすほどの存在にはならないと思うがなぁ」
「くははっ! 貴様は本当に身内贔屓が過ぎるな」
んだよ?
トルベック工務店が大したことないって言いたいのか?
お前んとこの大工がナンボのもんだよ? えぇ?
「そう睨むな。あの可愛らしいキツネの棟梁を腐すつもりなど毛頭ない。ただな……くくく……」
口元を軽く握った拳で隠し、ルシアは愉快そうに笑う。
「相当信頼し、また同じくらいに誇りを持っているものだなと思ったまでだ。まるで、自分が所属している組織かのような物言いだったぞ」
何かと縁があってよく知っている仲だから、連中の腕前を熟知しているだけだ。
別にムキになって反論したわけじゃない。
えぇい、ニヤニヤした目でこっちを見るな。
「だが、トラブルがあったことは事実だ。双方の間に何があったのかは分からん。どちらに非があるのかも分からん。ただ、よくない噂が出始めているという事実がそこにあるだけだ」
「この一年二年で急激に勢力を伸ばしたからな」
「彼らの技術の高さは元より持ち合わせていたものなのだろう。だが、貴様の登場で成長が加速した事実は覆せまい?」
「俺のせいだと言いたいのか?」
「そう言われた方が貴様にとって都合がよいのではないか?」
意味深に言葉を濁し、ここ一番のイヤラシイ笑顔で的外れなことをほざく。
「その方が、お節介を焼きやすいのであろう、貴様は?」
誰がお節介なんぞ焼くか。一円の利益も生まないもんに。
「三十五区の大工が不安か不満を抱いているんだな? 港の建設をトルベック工務店と一緒に行うってことに」
「まぁ、平たく言えばそうだ。肩入れすれば、組合の中で爪弾きにされかねぬ。我が区の大工たちは、トルベック工務店ほど力を持っておらんからな」
組合で爪弾きにされようが、トルベック工務店なら問題なく仕事が続けられる。
脱退したって問題ないくらいに、連中は力と技術とコネを有している。
まぁ、仮にそんなことをしたら、全区の大工を敵に回すことになるのだろうが。
なるほどね。
ここ最近のウーマロの悩みは、それか。
「ハロウィンは楽しかったぞ」
不意に、脈絡のないことを言い出すルシア。
それがどうした……と、考えて真意に思い至る。
「彼らの仕事は丁寧でかつ迅速で、それでいて独創性と遊び心を持っている。実に興味深い」
ルシアは、トルベック工務店の仕事を高く評価している。そういうことが言いたかったのだろう。
「くだらぬことで潰すでないぞ」
俺に言うなと、思わざるを得ないところだが……
「当然だ。ウーマロは使い勝手がいいからな」
トルベック工務店が健在であれば、俺がアゴで使いやすい。
もし、トルベック工務店にちょっかいをかけてくるようなヤツがいたら、仮にそいつが集団でも、軍勢でも、お偉い貴族様であろうと――
俺がぶっ潰してやる。
「……ふん。美味い餃子を作れ」
俺の顔を見て一人でほくそ笑み、勝手な命令をして厨房を出ていくルシア。
情報料は美味い餃子だってか?
分かったよ。とびっきり美味い餃子をたらふく食って帰りやがれ。
その後戻ってきたギルベルタと二人で、俺は大量の餃子を焼きまくった。
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