「君の性格なら、わざわざヤシロを介さなくても、ウーマロと和解は出来たんじゃないのかい?」
話し終わったネグロに、エステラがそんな疑問を投げかける。
「いえ。組合ととある一部の大工間の話として進めてしまえば、他の大工たちが不信感を抱いたでしょう」
「それは、そうだろうけど……でも、どうしてヤシロなんだい?」
「組合を抜けたすべての大工たちの前で、その存在感と知識、そして技術とカリスマ性、指揮官としての才覚を、ヤシロ様は見せつけました。ヤシロ様に認められたという事実があれば、大工たちへの心証がぐっとよくなるのですよ」
「俺にそんな効果を期待すんな。ねぇよ、影響力なんか」
別に俺は大工どもに祭り上げられてねぇしな。
「でも、カワヤや他の棟梁たちも、ヤシロさんの言うことなら素直に聞くッスしね。あながち的外れでもないッスよ」
「俺、そんな素直に話を聞いてもらったって記憶がないんだが?」
「アトラクションやオルキオさんの仮住まいが一日で作れたのは、全工務店の棟梁が率先して協力してくれたおかげッスよ? 記憶以上に現状を示す物証としてあっちこっちに証拠が残ってるッスよ」
え、なに?
あの辺の建造物、俺が建てさせたことになってんの?
俺はいつも通りウーマロに無茶振りしてるだけなのに?
ウーマロのせいだろ、そこらの大工がワーカーホリックになったのって?
俺、関係なくね?
「でも俺、面識ないしなぁ」
「いや、それはさすがに泣くッスよ、あいつら!? ヤシロさんと仕事するの楽しみにしてるんッスから!」
いつの間にそんなに懐かれたんだ、俺!?
なんかやだ。
今後大工とはなるべく接しないようにしよう。
ちょうど連中は三十一区に籠もることになるだろうし。
「あの、ヤシロさん」
そんな一大決心をした俺のもとへ、ジネットが少々困り顔でやって来る。
そして、俺の目の前に皿を置く。
そこにはイチゴのショートケーキが載っていた。
「これは?」
「あちらのお客様からです」
「「「マイフレンド、ヤシロさ~ん」」」
「返してきてくれ」
「いえ、あの、どうしてもとおっしゃっていたので」
なんか、大工の集団からケーキを寄越された。
あの人数でケーキ一個って!?
俺も安く見られたもんだ!
ジネットがおかしそうにクスクス笑っている。
人の不幸を笑うんじゃないと言いたい。
「で、お前らに勝算はあるのか?」
頑張るから、いつになるか分かんないけど見ててくれ、なんてのは話にならない。
時間がかかってでもきっちりと成果を出せるのかどうか。
こいつらの夢物語って可能性もあるしな。
「今すぐには無理です」
ネグロははっきりとそう言う。
だが、その目は諦めを一切含まない、勝利を確信しているギラつきを放っている。
「ですが、代替わりをする時を狙えば、九割以上の確率で成功します」
現在、組合の役員に就いているのはネグロの親父だ。
それが跡を継がせるのは、親父と思考の近い長男だろう。
そこを狙うという。
「我が家の恥をさらすことになりますが……兄はエチニナトキシンの愛好家なのです」
「なっ!?」
エステラが思わずと言った様子で声を漏らした。
オールブルームに持ち込まれた最悪の毒物の一つ。
人間を強制的に発情状態にして、尊厳を踏みにじる悪魔の薬だ。
エステラも、ウィシャートにそれを使用されそうになって、その際には随分と下衆い発言を浴びせられていた。
嫌悪感がありありと表情に表れている。
「兄は支配欲というか……他人を屈服させ、服従させることに異常なまでの執着を見せる人間なのです」
うん、まぁ……最低な男だな。
「父は年齢のせいか、そのような薬を使用した形跡は見られませんでしたが、兄が愛用していることを黙認しているのは事実です。私にも隠し、完全に隠蔽しようとしていました」
ということは、エチニナトキシンがヴィッタータス家に大量に流れていることはウィシャートに筒抜けになっていたわけだ。
その薬を取り仕切っていたのがウィシャートだからな。
弱みを握られ、ウィシャートに反発することは出来なかっただろう。
もしかしたら、大好きなお薬を用意してくれるウィシャートに心酔とかしちまってたかもな。
「エチニナトキシンは、教会から正式に使用の禁止が通達されることになりました」
「そうなのか?」
エステラに視線を向けると、エステラは静かに頷く。
「間もなく、正式な発表があるよ。その薬の存在と、効果。そして、過去に起こったであろう卑劣な犯罪のことも」
嫌そうな顔で言って、ため息を吐く。
「事情を聞かれた際に、ウィシャートがボクに向かって言った品性下劣な発言を引用させてほしいと言われたよ」
ウィシャートは、シビれ薬によって身動きが取れない(と装っていた)エステラに対し、エチニナトキシンを使うと脅してきた。
そして、その状態のエステラを変態貴族やスラムのゴロつきに売り渡すとも。
そして、こんな発言をしたのだ。
『見ものだとは思わんか!? 穢れを知らぬ貴族の娘が堕ちていく様は!』
――と。
けっ、思い出しただけで胸くそ悪い。
「その決定的な発言と、それを使用する者たちの思考を如実に表す事例としてあの一件を引用したいそうだよ。無論、ボクの名を伏せてね」
とはいえ、分かるヤツには分かる。
断っちまえばいいのに、それを承諾しちまったんだろうな、こいつは。
「ベルティーナさんが、悪用はさせないと約束してくれたから、大丈夫だよ」
そうは言っても、あの発言をどこかで目にする度にエステラは嫌な記憶を刺激されるだろう。
エステラがそこまで身を切ったんだ。
何がなんでも撲滅させなきゃな。
「その愛用者が役員だなんて情報が、どこかから漏れれば、他の役員が躍起になって引きずり下ろすことでしょう。ただでさえ、国家転覆を目論んだ者が役員を務めていた前例があるのですから」
そんな噂が広がれば「また土木ギルド組合か!?」という話になり、解体せよという世論が強くなるだろう。
「あとは貴族の保身と日和見主義を最大限利用して、一人ずつ排除していくことが可能だと思っています」
実の兄のエチニナトキシン愛用以外にも、いろいろとネタを持っている様子だ。
「実に貴族らしいアプローチだな」
「お恥ずかしいですが、微笑みの領主様ほど、私の頭は聡明には出来ていないのです」
清廉潔白のまま、悪を払えるほどの力はないと、ネグロは自嘲する。
「私がどれだけ汚れようと、組織と組合員が綺麗でいられるのなら、私はそれで構わないと思っています。幸いにして、私には理解してくれるよき友人がおりますので」
話をネグロに任せて、陽だまり亭懐石を食っているクルスがにかっと笑う。
「僕は、何があってもネグっちの味方だよ。オトトちゃんもね」
「自分は、不正というものがどうにも許せない性分なだけです」
自分を理解してくれる者がいるのは心強い。
だが……
「自分一人が犠牲になろうなんて考えてると、後々面倒くさいことになるぞ」
ネグロは危うい。
組合を壊すために、自分の命を差し出す覚悟がある。
そんな目をしている。
「逃げることは恥じゃない。そこんとこ、よぉ~くその頭に刻み込んでおけ」
ネグロに欠けていると思われることを、しっかりと教え込んでおく。
「今のところ、お前のやろうとしていることには賛同できる。賛同できるうちは、ちょっとした手助けくらいはするだろう……俺の隣のお人好しがな」
エステラの顔を見ていればよく分かる。
まっすぐなネグロの言葉を、随分と好意的に受け止めている。
もし、この先どこかでネグロが窮地に追いやられたとしたら、こいつは率先して助けに行くだろう。
ウーマロもな。
そしたらきっと、俺も駆り出されるに違いない。
あぁ、煩わしい。
あぁ、面倒だ。
「なので、面倒なことになる前に相談しに来い。四十二区としても、邪魔な組合が生まれ変わるなら利益になる。エステラの顔にそう書いてあるからな」
「君は……どうして素直に『俺を頼れ』って言えないのさ」
「頼ってほしくないからに決まってんだろうが。俺を巻き込むなよ」
「そうだね。君は巻き込まれる前に自ら飛び込んでいくもんね」
「そりゃお前だろうが。俺を振り回すのも大概にしてくれよ」
「あはは、手綱も握らせてくれない君を、どうやったら振り回せるっていうのさ?」
「手綱が掴めない時は、おっぱいでぎゅっと挟み込めば……あ、無理か」
「うるさいよ」
「あ、この二人がこうなった時はもう大丈夫ッスから、安心していいッスよ」
なんか、ウーマロが勝手なことを言ってる。
「オイラたちも、上が代わっただけですべてを水に流すことは出来ないッスけど、そっちが本気で努力するなら、こっちも本気でお返しするくらいは出来るッス。なので、しっかり見せてもらうッス。これからの組合と、あなたたちの行動を」
「はい! 是非、厳しい目で判断してください! 必ず納得していただける組織に作り替えてみせます!」
ネグロが深く頭を下げる。
ま、こいつはいろいろとよく見えているようだし、自力でなんとかするだろう。
自力でどうにもならない時は……まっ、アドバイスくらいはしてやってもいいかもな。
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