外の風に当たり、ボクは少しだけ冷静さを取り戻した。
「すまなかったね、ロレッタ」
「いえいえ。お兄ちゃんの指示ですから」
陽だまり亭を埋め尽くすゴロツキたち。
正直、ジネットちゃんを残してここを離れるのは物凄く不安ではあるけれど……
「大丈夫です。お兄ちゃんがいるですから」
そう。
ここにはヤシロがいる。
そして、そのヤシロは自信に満ちた表情を見せていた。
「さっきのお兄ちゃんの顔、あたしたち姉弟を守ってくれた時の顔に似てたです」
かつてスラムと呼ばれた場所を地上げしようとしていたゾルタルという男を、ヤシロがやり込め追い出したことがある。
そうか、その時ヤシロはあんな顔をしていたのか。
「なら、平気そうだね」
ヤシロはこれまで、幾度となくピンチに見舞われている。
知らずにパンを焼いてしまった時。
マグダが大怪我をした時。
大雨が原因で教会の子供たちが発病した時。
そんな時、ヤシロは本気で焦った表情を見せボクやシスター、ジネットちゃんなんかに助けを要請してくる。
彼は、『ルールを守って清く正しく生きる』ということが苦手なようだからね。……ふふ。
けれど、そうではない場合――今回のように悪意を持ってこちらを害そうとする者が現れた時、彼は、オオバヤシロという男は――
笑うのだ。
ともすれば、悪魔のように見える邪悪な笑みであり、見方を変えれば、いや、見る角度を変えればとても頼もしい英雄の笑みにも見える、興味深い表情。
あの笑みを浮かべた時、ヤシロは確実に邪魔者を排除してきた。一度の例外もなく。
だからきっと、今回も大丈夫なのだろう。
……少々、不甲斐ない自分に、歯噛みしてしまうけれどもね。
「ほら、エステラさん。へこんでいるヒマはないですよ。ビッグミッションです」
ロレッタが、とびきり明るい笑顔でウィンクを寄越す。
ビッグミッション?
ヤシロに託されたメモをこちらへ寄越し、「ちょっと行ってくるです」と、駆け足でどこかへ向かうロレッタ。
「すぐ戻るです」
言って、物凄い速度で走り去る。
……足、速っ。
「……さて、と」
ロレッタから受け取ったメモを見ると、ヤシロの計画が事細かに記されていた。
こんな小さな紙に、よくもまぁこれだけの情報量を詰め込んだものだね。
あんな短時間で。
傍目には、買い出しのメモを書いている程度の時間にしか感じられなかったけれど、ヤシロのメモにはびっしりと文字が書かれていた。
おまけに、物凄く分かりやすくまとめられている。
このメモにある通りなら、ロレッタの弟妹たちに応援を要請することになるからだろうか、子供が読んでも理解できるように、何を、どこで、どんな風にやるのかが明確に記されている。
「感心したいのに、呆れてしまうよ……」
どんな頭の構造をしてるんだい、まったく……
「……ボクも、やるべきことをやらなきゃね」
まったく、呆れてしまう。
こんなにたくさんの指示を、あれだけの短時間に書き上げておきながら――
「ボクのやる気まで鼓舞させるんだから」
ヤシロのメモには、ボク宛てのメッセージが書かれていた。
『お前はお前が生きる場所で活躍すればいい』
ボクは正攻法でしか戦えない。
搦め手では、どうしてもヤシロに劣る。
実は最近、それを気にしていたのだけれど……見抜かれていたのかな?
『お前はお前が生きる場所で活躍すればいい』ということは、ボクの力が生かせない、及ばないところは――
「君が受け持ってくれるって、ことなのかい?」
それはなんとも頼もしく、少し悔しく、癪で、でもなんだかくすぐったい。
まったく、呆れてしまう……
「こんな一言で、まんまとやる気にさせられている自分にね」
正攻法しか出来ないなら、正攻法が生きる場所で活躍すればいい。
いつかは搦め手も覚えて使いこなしてみせる。
でも、今は目の前で起こっているトラブルに対処するのが先決だ。
分かったよヤシロ。
指揮官は君に任せる。ボクは……連中にとどめを刺す切り札となろう。
彼らに、自分たちが敵に回したのは陽だまり亭ではなく領主なのだと分からせるために。
「エステラさん」
静かに決意を固めていると、ちょんちょんとお尻を突かれた。
振り返れば、幼い女の子がこちらを見上げていた。ハムスターの耳。ロレッタの妹だ。
「おねーちゃんが、呼んでるよー」
「こっちこっち」
「しぃ~ね、しぃ~」
妹の後ろから、別の妹が二人顔を覗かせ、手招きしている。
陽だまり亭を離れ、大通りの方へと向かって移動すると、またつんつんとお尻を突かれた。振り返ると、先ほどよりもちょっとだけ大きな妹がいた。
「お兄ぃたち、来た」
「おにーちゃん、仕事帰り」
見れば、教会の方から弟たちのグループがこちらへ向かってやって来るところだった。
と、またしてもつんつんとお尻を……
「エステラさん。あまり人数が増えると気取られかねないので、もう少し陽だまり亭から離れましょう」
「急いでねぇ~」
振り返ると、随分と大きな妹が二人立っていた。
たしか、このしっかりしている方がロレッタのところの三女で、のんびりぽや~んとしているのが次女だったかな。
「えすてらさ~ん!」
「えすてらさ~ん!」
またつんつんされる。
振り返ると、どこから来たのか妹たちがまた増えていた。
……一体どこからこんなにたくさん。
とか思っていると、またお尻をつんつん……
「君たちは、人の注意を引くのにお尻を突っつくのが趣味なのかい!?」
気安く突っつかないでくれるかな、レディのお尻を!?
「あっ、エステラさん!?」
緊迫した表情で、次女がボクの背後を指さす。
そっちは陽だまり亭の方向だけに、焦りが湧き出す。
慌てて振り返ると――
「つんつん」
――お尻を突かれた。
「突っつくな!」
「やわらかぁ~い」
「ごめんなさい。ウチの次女、ちょっとアレなんです」
のんびりぽや~んというイメージは書き換えておく必要がある。
次女はどこまでもマイペースな娘だ。うん、覚えた。
「メモ、見せてもらってもいいですか?」
「あ~、あたしも見る~!」
三女と次女にメモを渡し、ボクは歩き出す。
いつの間にこんなに増えたんだってくらいに大勢の弟妹を引き連れて。
……なんか、一歩歩くごとに一人増えているような錯覚に陥るんだけれど。……何人いるのさ、ヒューイットブラザーズ。
「エステラさん、早く、早くです!」
少し歩いてニュータウンへ続く道の前まで来た時、ロレッタが顔を見せた。
「ごめんです。あたしが戻ろうと思ったですけど、妹がお遣いしたいって言うものですから」
「いや、それはいいんだけれど……再教育をお願いしたい」
「何か仕出かしたですか、ウチの妹たち!?」
「「「「お尻~!」」」」
「わぁぁぁ!? 何仕出かしたか大体想像ついたです! あとで叱っておくです!」
ボクに群がる妹たちをかき集め、引き剥がし、自分の後ろへと追いやって、お尻を突かれて「突っつくなです!」と叱る。
……大変なんだなぁ、長女って。
「とにかく、手分けして助っ人を集めるです。あんたたち、もうメモは読んだですね」
「「「「は~い!」」」」
いつの間にか、メモを回し読みし終えていた弟妹たち。
速い……!?
「年中組の弟妹たちは、年長組の指示に従うですよ」
「「「「ぼくたちは~?」」」」
「「「「あたしたちは~?」」」」
「年少組はこの後大仕事があるから待機です!」
「「「「は~い!」」」」
あっという間に情報共有がされ、役割が割り振られていく。
「エステラさん。メモの上半分はあたしたちでなんとか出来るです」
メモの上半分には、デリアやノーマ、イメルダに助力を頼むこと。ベッコに仕事を要請することが書かれている。
そして下半分には領主に掛け合い自警団を動かすようにと書かれていた。
「下半分はボクの仕事だ。自警団を連れてくるよ」
「領主様にお願いできるですか? こんな急に、それも飲食店のトラブルですのに」
「何を言っているんだい。当然じゃないか」
ことは陽だまり亭だけに収まらない。
これを放置すれば、四十二区全体に広がることは目に見えている。
何より、陽だまり亭を攻撃する輩は、ボクが個人的に許せない。そうさ、私怨さ。絶対に許さない。
「ケーキが狙われているなら、これはもう四十二区全体の問題だよ。いくらでも理由は付けられる。それに――、四十二区の領主は、たった一人の領民であろうと見捨てるような真似は絶対にしない」
『お前はお前が生きる場所で活躍すればいい』
そう。ボクは、ボクにしか出来ないことをやってみせる。完璧に。過不足なく。
それが、ボクの生かし方で、生き方だ。
「それじゃあ、あたしはお子様たちを呼び集めてくるです! 陽だまり亭従業員のあたしが言えば、信憑性が増し増しですからね!」
「あと問題は、ベッコだけれど……間に合うかな?」
「平気です! ござるさんはやれば出来るござるさんです! 無理そうならお尻を叩いてでもやらせるです!」
「は~い! あたしがお尻叩き係やる~!」
「では、次女に任せるです!」
「じゃあ、あたしは次女見張り係やるね!」
「うむ、任せたです、三女!」
「……次女のポジションって、それでいいのかい?」
ロレッタが手を「ぽん!」と叩くと、弟妹たちが一斉に走り出し、街中へと散らばっていった。
もしかしたら、この子たちは四十二区の発展に不可欠なんじゃないかと、その時に思った。
「さぁ、あたしたちも行くですよ、エステラさん!」
「うん! 守るよ、四十二区と、陽だまり亭を!」
「はいです! やってやるです!」
意気込むロレッタを見て、ボクもやる気に火がついた。
そしてボクたちは、日が沈むまでの間にすべての準備を完了させた。
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