「いやぁ、ホント助かったぜヤシロ」
ランチが終わり客足が少し落ち着いた頃、モーマットが汗を拭いながら陽だまり亭にやって来た。
ついこの前まで豪雪に閉じ込められていたかと思えば、今日なんかは少し汗ばむ気候だ。一月だってのによ……この街は生き物を排除しようとしてるんじゃないだろうか?
「お前の言う通り、畑に石灰を撒いたら食物の育ちがよくなってな。アスパラなんか、見てくれ、こんなにデカくなったんだぜ」
「なんなんですか、石灰って?」
モーマットに水を持ってきたジネットが俺を覗き込みながら言う。いいんだよ、コイツに水なんか。どうせちょっと寄っただけで飯を食ってく気なんかないんだから。
「何と言われると困るんだが……カルシウムとかマグネシウムとかは分かるよな?」
「分かりません」
素敵な笑顔で即答された。そうか……その時点からもう分からないのか。じゃあ、消石灰とか苦土石灰とか言っても余計混乱させるだけだな。
「いやな。大雨の後から、どうも作物の育ちが例年に比べて悪くなった気がしててよ。『なんでかなぁ~、おかしいなぁ、おかしいなぁ』って思ってたんだがよぉ」
モーマットが、夏場によく怪談をやってるタレントみたいな話し方でジネットに説明する。
異世界にもいるんだなぁ、こういうしゃべり方するヤツ。
「んでよ。肥料とかの分量を変えてみたんだがうまくいかなくて……」
「それでヤシロさんに?」
「あぁ。プロの農家として、素人に教えを請うのはどうかと思ったんだが……まぁ、ヤシロは特別だからな。何かいい案があるなら教えてもらって、いい野菜を作ることこそがプロとしての矜持だろうと思い直したわけだよ」
「そうですね。美味しい野菜がたくさん採れると、みんな幸せですからね」
プロ云々の話はまるで響いてないようだぞ、モーマット。
ジネットにとっては、意地やプライドなど瑣末なことに過ぎんのだ。こいつはどんな相手にでも、どんな些細なことからでも学ぶことが出来る。そういう意味合いで言えば天才なのだ。
まぁ、そこに付け込まれる隙があったりもするんだけどな。
「それでヤシロに相談したら、『土に少量の石灰を混ぜてみろ』って言われてよ」
「わたし、見たこともないです、石灰」
「まぁ、簡単に言えば白い粉だ。口には入れちゃいけない系のな」
「そんなもんを大切な土に混ぜろとか言うからよぉ、俺ァてっきり『あぁ、ヤシロは最近おっぱいおっぱいばかり言ってるからおかしくなっちまったんだな』って思ってよぉ」
おいコラ!
誰がおっぱいおっぱいばかり言っとるか!
「失敬なヤツだな、このワニは」
「そうですよ、モーマットさん。ヤシロさんのおっぱい好きは、最初からです」
「いや、そういうこっちゃねぇよ!」
くすくすと笑うジネット。
こいつは最近、こういう冗談を言うようになってきた。エステラやマグダに影響され過ぎているんじゃないか?
「なんか、ジネットちゃん変わったなぁ」
「そうですか?」
「あぁ、前より綺麗になったよ」
「そんなこと……」
「ブラジャーをつけるようになったからな。ラインがすっきりして見えているんだろう」
「おっぱいの話してるじゃないですか!」
「おっぱいの話してんじゃねぇかよ!」
「おっぱいの話して」までが完全にユニゾンだった。息ピッタリだ。
お笑い養成所でもあるんじゃないだろうな、この街。
「それで、石灰を混ぜると野菜が育つようになったんですか?」
「そうなんだよ。あんなもんにも栄養があったんだなぁ」
「ねぇよ」
こいつは、俺の説明をまるで聞いてなかったのか?
栄養があるとか勘違いして土に混ぜ過ぎると野菜がダメになるぞ。
「雨なんかの影響で、水素イオンがたまって土壌が酸性に傾くんだよ。多くの作物は中性か弱酸性の土を好むから、作物にとっていい土壌に戻してやるために、たまった水素イオンを除去する必要がある。その方法として石灰が用いられる――って、前に説明しただろうが」
「いや……その、さんせーとかちゅーせーとか、難しくてよ……」
「石灰を撒き過ぎると、野菜は育たなくなるんですか?」
「アスパラやほうれん草はアルカリ性の土を好むみたいだけどな」
まあ、それも限度はあるが。
「ちゃんと分量守ってるんだろうな? アスパラが超育ってるみたいだけど?」
「ん……あ、いや…………ま、守ってる……ぜ?」
俺は腕をまっすぐ伸ばしてモーマットを指さす。
「『精霊の……』」
「ごめんなさい! ちょっと多めに混ぜちゃいました!」
まったく……
「これだから素人は」
「立場が逆転しちゃいましたね、モーマットさん」
「……くぅ、面目ねぇ」
くすくすと楽しげに笑うジネット。
こんな穏やかな時間が、ここ陽だまり亭の魅力な気がする。
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