「ほ、ほな。おおきにな。あんじょう、お大事に」
ヤギ人族の奥様を店先まで見送り、たどたどしく頭を下げる。
はぁ……ホンマ。商売っちゅうんは、ウチには向いとらへんなぁ。
最近、少しずつお客が増えつつある。
理由は言わずもがな……
陽だまり亭と教会の置き薬が評判となり、個人的に買いに来る客が増えた。
……置き薬の方買ったらえぇのに。
まぁ、これは贅沢な悩みなんやろうけどな。
人見知りなウチには、不特定多数の人間に対して接客するなんてのは、常人の四倍近く骨の折れることなんや。
……せやいぅたかて、誰か売り子はんを雇うとかも難しいしなぁ。
薬の知識に明るく、自分の判断で臨機応変に対応でき、何よりウチが心を砕ける相手…………
「そんなもん、この世界にたった一人しかおらへんがな……」
けど、そのたった一人は、絶対にウチの売り子にはなってくれへん。
まぁ……もしその人がウチの店に来てくれるんやったら、売り子やのぅて、店主になってもらうんやけどなぁ……
「ははっ……ありえへんわ」
あの人は、ウチを選んだりはせぇへん。
それどころか…………
「今日にも、ウチのことを忘れてしまうかも……しれへん」
ギュッ……っと、胸が締めつけられた。
……はは。ホンマ、おもろいなぁ…………ウチに、こんな乙女みたいな感情が残っとったなんてなぁ……笑うわ、ホンマ……
「…………イヤやなぁ」
友達のホコリちゃんを探すが……あぁ、さっきお客が来てたからかなぁ……どこにも見当たらへんかった。
メガネを外してカウンターに突っ伏す。
アカン…………今日は、なんか……アカンわ。
「今日はもう、店じまいや」
そう呟くと、『いや、毎日開店休業状態だろうが』――と、あの人の声が脳内に再生される。
重症やな、ウチ……妄想まで彼一色とか…………
「アホか……大繁盛しとるわ。今日かて二人もお客が来て、ウチの体力はもう限界なんや」
『体力なさ過ぎだろう』
……小憎たらしい言い回しが彼そっくりや。大した再現力やな、ウチの妄想力。
「あ~ぁ、誰かお人好しで頼りがいのある人がお嫁にもらってくれへんかなぁ~」
『俺の故郷だと、そういう不良債権を押しつける行為は詐欺罪に問われることがあるんだぞ』
「誰が不良債権やねん。こんな巨乳美人捕まえて。ちゃんとしとったら、なかなか見れたもんなんやで?」
『ちゃんとしてる時間が年間六分くらいじゃねぇか』
「六分!? 自分、ウチを過労死させる気か?」
『……六分ももたねぇのかよ。あと死ぬなよ、ちゃんとしたくらいで』
ははっ。軽口までそっくりや……
あぁ……えぇなぁ。妄想でもなんでも、やっぱ彼と話すんは楽しいわ。
……妄想でもなんでも、こうやって会話が出来るなら…………ウチ、大丈夫かもしれへんな。
たとえ、彼がウチを忘れてしもたとしても……
せやな。
彼がこの店に来ぇへんようになったかて……昔に戻るだけや。
なんも問題あらへんわ。
「なぁ……妄想はん」
『誰が日々妄想大爆発人間だ!?』
「ウチや!」
『自信満々に言うことかよ……』
ふふ……アホなこと考えとんなぁ、ウチ。
なんやこの会話。
こんなん、他の誰とも出来へんわ。
やっぱり……特別、なんやなぁ……
せやな……
せやから、せめて……
「ウチ、今ちょっと落ち込んどんねん……慰めてんか」
妄想にくらい甘えたって罰は当たらへんやろう。
どうせ、本人はここにはおらへんのやさかい…………もう二度と、ここには来ぇへんかも、しれんのやさかい……
「…………っ。アカン……ホンマ…………ちょっと、つらい……なぁ」
ウソやと、思いたい。
こんなに弱くなってもうた自分も。
彼が、もう間もなくウチを忘れてしまうって現実も。
故郷を捨て、すべての者から逃げ出したウチが言えた義理やないかもしれへんけど……
ウチの居場所がなくなってしまう気がして…………ホンマに、怖いんや。
「アホゥ……魔草のアホ……ウチのアホ…………」
けど一番アホなんは、魔草なんかに寄生されてウチの記憶をなくしかけてる……彼や。
「アホゥ…………大アホ…………アホおっぱい……」
『初めて吐かれた暴言だな、それは』
呆れたような、困ったような声がして――
「……ぇ」
頭に、ふわっと、優しい感触が降ってくる。
子猫を撫でるような優しさでウチの髪が撫でられる。
…………妄想……?
顔を上げて周りを見渡す。
店内には、……誰もいない。
誰の姿も見えない。
「なんや…………やっぱり誰もおらへんやん。すごいな、ウチの妄想力。ついに触覚にまで影響を及ぼすようになったんか」
聴覚くらいなもんやと思ぅとったんやけどなぁ。
……と、思ぅとったら、頭を撫でてた手に力がこめられ……ぎりぎりとウチの頭蓋骨を圧迫し始めよった。
「ひたたたたっ!」
『メガネかけろ。な?』
「なんやねん! なんやねんな!? 触覚に影響及ぼし過ぎやで、妄想はん!?」
妄想のし過ぎで頭痛がするとか……ウチもいよいよ末期かいな…………前から末期やっちゅうねん!
……こんな悲しいツッコミもないわなぁ。
『ほれ』
「ふゎっ!?」
突然、世界がクリアになる。
メガネが独りでにウチの顔に飛び乗ってきよった。
なんやねん。
ウチの妄想、物理的影響力まで発揮し始めたんかいな?
『んで、後ろ振り返ってみろ』
妄想の声に従って振り返ると……彼が立ってた。
「…………」
「分かったか?」
「……ウチの妄想、ついに視覚にまで…………」
「現実受け入れろよっ」
「ぁうっ」
額をぺしりと叩かれる。
そこにいたのは、紛れもなく……ここにいるはずのない……彼やった。
「なっ、何しとんねん、自分!? こんなところで……い、いつからそこにおってんな!?」
「いや、ずっと会話してたろうが!?」
「ウチが会話してたんわ、ウチの妄想とや! 人の会話に割り込んでこんといてんか!?」
「うわぁ……すげぇ理不尽に怒られてるな、俺、今」
聞かれてた?
ウチが吐いた弱音も、全部!?
アカン!
アカーン!
「せや、自分! 疲れてるやろ? ちょうど今、脳みそに重篤なダメージを与える薬があるさかい、飲んでいき」
「誰が飲むか、そんな毒物!」
せやかて、忘れてほしいことかてあるやんか、人間だもの!
…………いや、忘れてほしくないことの方が、多いけどな。
「まぁ、あれだ……」
ぽんっと、ウチの頭を叩いて、そしてカウンターの向こうにある椅子へ腰を下ろす。
「実現しないからこそ人は妄想で補完するわけであってだな」
そして、たまに見せる……あの、なんとも言えず優しくてこっちのすべてを包み込んでくれるような……ズルい顔をしてこんなことを言う。
「不安な妄想してたんなら安心しろ。たぶんそれ、実現しないから」
…………アホ。
そんなこと言ぅて……ウチが泣いてもぅたら、ちゃんと責任とれるんやろうな?
……ホンマは、自分がウチのとこに来てくれたら、なんて妄想もしとったから、実現せぇへん言われても手放しでは喜ばれへんのやけど…………励まそうっちゅう心遣いだけは、感謝して貰ぅとくわ。
「ほんなら、さっき妄想しとった、『自分がウチの色香にムラムラして「ネーちゃんえぇ乳しとるやないかい、ちょっと揉ませぇや!」っちゅうて襲いかかってハッスルハッスルする』っちゅうんも実現せぇへんわけやね?」
「初っ端の『ムラムラ』あたりからもうねぇよ!」
「『お前の丸底フラスコを俺に見せてみろ!』」
「言うか! どこのオッサンだ!?」
「『俺の薬研が粉を引くぜ!』」
「俺の体に、そんなコロコロ動く箇所はない!」
「『今夜、お前をオールブルーム!』」
「もう黙れ、お前!」
ふふ……ははは。
あぁ、やっぱえぇなぁ……
なんやろうなぁ。
なんで、こうも落ち着くんやろうなぁ。
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