「…………調子に乗るなよ」
アッスントの声が変わった。
これまでの猫なで声は影を潜め、闇に蠢く澱のようなくぐもった声が漏れる。
「新参者が……オレを怒らせるとどうなるか、思い知らせてやるぞっ!」
一人称まで変わったアッスントが俺に向かって腕を伸ばし、人差し指を突きつけてくる。
『精霊の審判』の構えだ。
「残念だったな。俺はお前には嘘を吐いていない」
「……だからなんだ? やりようはいくらでもある。例えば……」
そう言って、アッスントは俺に向けていた指をジネットへと向ける。
「あの迂闊なお嬢さんなら、どうかな?」
俺が知らないところで何か失言をしている可能性がある。
ここで強気に出ることは出来ない…………
…………と、考えると思ってんだろ?
「やってみろよ」
「…………いいのか?」
「あぁ。ただし……」
今度は俺が腕を伸ばし、アッスントに人差し指を向ける。
「……出来れば、だけどな」
「ふふふ……それは脅しにはならないぞ」
勝ち誇った顔で、アッスントが言う。
「オレは、お前たちと違って、一言一句に気を遣い発言している。絶対にカエルにはならない。絶対的な自信がある。嘘だと思うならやってみるがいい」
自分は完全武装をしながら、相手の油断を突く。
それがアッスントの戦い方なのだろう。地味で卑怯だが有効的で手強い戦法だ。
だが、……折角さっき教えてやったのに……
「絶対など、この世には存在しない」
俺の言葉を合図に、その場にいた数十人の人間が一斉に腕を伸ばし、ピタリとアッスントを指さした。
「…………なっ!?」
さすがに戸惑ったのか、アッスントが一歩身を引いた。
しかし、背後からもアッスントを差す指が狙っている。
俺は一度指をアッスントから外して、真正面から話しかける。
「確かにお前は頭が切れる。『精霊の審判』に引っかからないよう言葉を選んでいたのも知っている。そしておそらく、お前の目論見はうまくいっているのだろう。だが……」
アッスントは相手に合わせるのがうまい。
相手のボロを引き出すのがうまい。
だからこそ、一つ重大な欠点がある。
「整合性は取れているのかな?」
「せ、いごう、せい……?」
モーマットの前で嘘を吐かないように行った会話と、パウラの前で嘘を吐かないように行った会話。その二つの間に矛盾は存在しないのか、ということだ。
一対一ではアッスントをカエルにすることは出来ないかもしれない。
だが、アッスントの発言に明らかな矛盾があった場合…………果たして、精霊神はどう判断するのだろうか?
「こんな、悪用しかされないくだらない魔法をかけやがったんだ。たまには精霊神にも死にそうな程の苦労をかけてやらないとな?」
「ま、まさか……」
「今からここにいる全員で一斉に、お前に『精霊の審判』をかける。あの全身を包み込む淡い光が掻き消えた後……果たしてお前は、今と同じ姿をしていられるのかな?」
アッスントの全身が目で見て分かるくらいに震え出し、額から大量の汗が拭き出した。
「どうしたんだよ? 絶対的な自信があるんだろ? なら、正々堂々胸を張って『精霊の審判』を受けてみればいいじゃねぇか」
窮地に立たされたアッスントをさらに追い込むように言葉を放つ。
善人であるほど、躊躇いや罪悪感を持つ者ほど、たとえ行使できる立場にあっても使えないのが『精霊の審判』というものの実情だ。
銃を構えたところで相当な覚悟がなければ引き金を引くことが出来ないように。
ならば、俺がその引き金を引かせてやるまでだ。
「さぁ、みんな! せーので行くぜ! せー……っ!」
「ま、待ってくれ! いや、待ってください! この通りだ!」
アッスントが、土下座した。
手足がおかしくなっちまったのかと思うほどガクガク震えている。こいつはおそらく、しばらく立ち上がることも出来ないのではないか。
「分かった! 全部言う通りにする! すべての条件をのむ! だから、それだけは勘弁してくれ!」
アッスントが、負けを認めた。
俺たちは勝ったのだ。
俺が右腕を高々と突き上げると、観衆から「わぁっ!」っと歓声が上がった。
歌うようなバカ騒ぎが大通りの中を駆け巡る。
停止していた世界が一気に動き出し、眩暈がするほど鮮やかに色づいていく。
「ヤシロさん!」
ジネットが俺に飛びついてくる。
興奮でもしているのか、普段では考えられないような力でギューッと抱きついてくる。
……パイオツ、カイデー。
と。
まぁ、このまま大宴会にでも突入したいところなのだが。
「ちょっと静かに!」
俺の一声で、浮かれていた声はピタリとやむ。
「アッスント」
「は……はい」
「それから、四十二区の住民全員に言いたいことがある」
その場にいるすべての者が俺に注目をする。
これは、今この場所でやらなければいけないことだ。
コレをおろそかにすると、今後恨みの連鎖が始まってしまう危険がある。
長年緊張を保っていた糸を断ち切った反動は、必ず起きる。
その中で最悪のものだけは、俺の責任で防がなければいけない。
「最後に一つ、全員で契約を結びたい。恨みの連鎖を起こさないために。今後の生活を前向きで、明るいものにするために」
そう前振りをして、俺は契約内容を発表する。
「アッスント。お前たち行商ギルドは、俺たち四十二区に拠点を置く者たちに、今後一切『精霊の審判』を使うな」
「……え?」
「その代わりに、今この場にいる四十二区の住民はアッスントに『精霊の審判』をかけない」
ざわめきが起こる。
唯一にして最強の武器を取り上げられたような不安があるのだろう。たとえ行使するのに余程の覚悟が必要なものでも、手元にある安心感には代えられない。
だが、こうでもしなければ、四十二区内で『精霊の審判』合戦が起こってしまう。
一度カエルになった者は、その瞬間に人生が終わってしまうのだ。
こんないさかいで、そんな悲惨な状況を起こしたくはない。
「当然、『精霊の審判』が使えないからといって、嘘を吐こうものなら、統括裁判所へ突き出させてもらう」
双方の『精霊の審判』を抑止するのは、新たな火種のためじゃない。
和平のためだ。
「誓って、くれるな?」
「………………よく考えてみましたが、どちらかが一方的に不利になる契約ではないようですね」
「当たり前だ。商売をするには信頼関係が一番大切なんだろ?」
「ふふふ……私は、あなたのことを誤解していたのかもしれません……己の利益を邪魔する者と見れば憎しみも湧きますが……こうして公正な目で見れば…………あなたはとてもいい人なのかもしれませんね」
「やめてくれ。柄でもねぇよ」
「……確かに。ふふふ…………」
アッスントは立ち上がろうとするが、膝に力が入らないようで顔だけをこちらに向けた。
「このような格好で申し訳ないですが…………その契約、お受けしましょう」
「ありがとう」
アッスントと握手を交わす。
そして、首だけで振り返りながら俺たちを取り巻く群衆に問いかける。
「お前たちも、それでいいな!?」
「「「「ぅぉおおおおおおっ!!」」」」
これで、契約が集結された。
憎しみによるカエル合戦は起こらないだろう。
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