「ねぇ、ジネットちゃん。あとでたっぷり足つぼやってあげてね」
「…………」
「…………ジネットちゃん?」
「へっ!? あ、はい! すみません。なんですか!?」
トレーシーたちの注文を聞くために待機していたジネットだったが、なんだかとてもぼーっとしていた。
エステラに顔を覗き込まれて、肩を跳ねさせている。
「いや、足つぼをね……」
「分かりました、エステラさん! では、厨房へ!」
「ボクじゃない、ボクじゃないよ!? ネネ! ネネに足つぼを!」
「では、ご一緒に!」
「だから、ボクは違うって!」
ジネットの視線がマグロの如く空間を回遊している。
あいつ……今頭の中がごちゃごちゃになってるな。何も考えられていない顔だ、アレは。
「おい、ジネット」
「ヤシロさんもご一緒に?」
「違う! いいからその二人を解放してやれ」
プチパニックのジネットを落ち着かせ、エステラとネネを救出する。
……エステラ、今回の貸しは大きいからな。
ま、それよりも……
「こいつらの勘違いだ」
「……へ?」
真実はどうあれ、しなくてもいい心配ならしない方がいいし、心労なんてものはない方がいい。
……ジネットが何を心配して、何を不安に思うのかなんざ、俺の知ったこっちゃないから聞きゃしないけどな。
ただ、ジネットのプチパニックを放置すれば、被害者が増え続ける可能性が否めない。だから止める。それだけだ。
だから……これは別に言い訳でもなんでもない。
「四十二区の人間は、他の区の連中に言わせると随分仲が良く見えるらしいからな」
リカルドなんかも、陽だまり亭チームの結束力に舌を巻いていたくらいだ。
「……よく知らない人間が見たら、ひょっとすればそういう風に見えるかもしれん。お前や、マグダでもな」
「………………ぁ、はい。そう、かもしれませんね」
強張っていた頬が解れ、ぎこちない笑みを浮かべる。
が、途端に顔を赤く染め、大きな目をさらに大きくして、こちらに「んばっ!?」と視線を向け、目が合った瞬間に「ぴゅぃっ」と鳴いた。
「あ、あの…………今日の賄い料理はカレーですっ!」
それだけ言い残して、ジネットは厨房へと駆け込んでいってしまった。
…………さて、あいつの中で何がどういう風に解釈されたんだろうな…………知りたくもないがな。
「……ダーリン」
「なんの遊びだ?」
ジネットを見送り、呆然とする俺にマグダがしがみついてくる。
「……『他人にカップルだと見られたい』というヤシロの願いを聞き入れた結果」
「マグダ。お前、神社に祭られてる神様じゃなくてよかったな。初詣の後、苦情の手紙が殺到するところだったぞ」
誰がいつそんな願いを持ったか。
願ってもいないことを叶えられても戸惑うわ。
「お兄ちゃん!」
マグダを引っぺがしたところへ、今度はロレッタがやって来る。
「お兄ちゃん、あたしは!?」
「ロレッタ」
「違うです!」
「違うのか?」
「違わないですけど、違うんです!」
何が言いたいのか自分でも分からなくなって「むゎあああ!」となるロレッタ。
落ち着けよ、いいから。
「あたしとはどう見えるですか!? 『ロレッタちゃん激ラブ! 胸キュン、ズッキュン、ハートビートが止まらないZE☆』って見えるですか!?」
「そんな風に見られるんだとしたら、今後一切お前を連れ歩いたりしねぇよ」
何年前のヤングだ、そのセンス……
「どうやら、私たちの勘違いだったようですね、ネネさん」
「そのようですね」
謎の精神的ダメージの甲斐あって、トレーシーたちの誤解は解けたらしい。
「では、エステラ様は私が独占……ごふっ!」
「そういうことでもないから、さっさと鼻血を拭け。つか拭かせろ、ネネ」
「はい、ただいま!」
ネネに鼻をむにむにされているトレーシー。エステラが苦笑を漏らしている。
まったく、とんでもない騒ぎを起こしてくれたもんだ。
「それはそうと、トレーシー。二十四区の領主ってのはどんなヤツなんだ?」
会いに行くにせよ、事前に得られる情報は得ておきたい。
「頑固なお爺さんですね」
「うわ、頑固ジジイかよ……」
「……ヤシロ。どうして君は他所の区の領主に対して…………まぁ、もう今さらだけどね。本人の目の前ではやめてよね」
こめかみを押さえてため息を漏らすエステラ。
そういう細かいことをいちいち気にしているから育たないんだぞ、きっと。
「でも、オオバヤシロさんのおっしゃる通り、裏では『頑固ジジイ』などと言われることもしばしばありますね」
くすくすと申し訳なさそうに笑うトレーシー。
お前も『癇癪姫』なんて不名誉な名前で呼ばれていたろうに……もしかしたら、全員にそういう裏の呼び名が付いているのかもしれないな。
共同体を成す以上面と向かっては言えない負の部分を表現したようなあだ名が。
「多数決でも、だいたい最後まで反対意見を述べるのは彼ですから」
同調現象が他よりも色濃い『BU』内で自分の意見を押し通せる人物か。
古いタイプの人間だから、影響が少ないのかもしれないな。
「四十二区に賠償を求めるかどうかを問う多数決でも、一人だけ反対票を投じていましたので」
「……ってことは、お前は賛成票を投じたってことだな?」
こいつ……エステラファンのくせに四十二区に賠償を求めるとは何事だ。
そこは身を呈してでも守り抜けよ、麗しのエステラ様を。
「だって……」
と、トレーシーがもじもじ「ぽっ」っとしながら、エステラにチラチラと視線を向ける。
「賠償を求める多数決が賛成多数で可決すれば……エステラ様に直接お会いできると思ったんですものっ……きゃっ!」
「きゃっ!」じゃねぇよ!
なんちゅう理由で賛成してんだ!? こっちは多額の賠償金を払わされようとしてんだぞ!?
会いたいから?
そんなもん、格安でいつでも派遣してやるわい! ……あ、料金は俺に渡してくれればいいから。
「そのおかげで、こうしてお近付きになれましたし……私の選択に間違いはなかったということですね!」
「……はは…………間違い、ね」
エステラも苦笑である。
ネネも「うんうん」と頷いているあたり……こいつら、マジで理解していないようだ。
つか、自分がよければそれでいい的な発想か? いや、他人への被害にまで思考が及んでいないのだろう。
日本でも、SNSで「なんでそんなことをネットに?」ということを書き込んだりするヤツが後を絶たない。
目先の感情に意識を持っていかれて、その後の展開に意識が及んでいないのだ。
そして、そういう軽率な判断は……時に取り返しのつかない事態を巻き起こす。
――そう、こういう風に。
「マグダ、ロレッタ……アルバイト二人を店長のところへ連行しろ」
「……いいの?」
「お兄ちゃん、言いにくいんですが……今の店長さんはたぶん……手加減とか出来ない感じじゃないかと……」
そうだなぁ。
照れ屋なジネットは、そういう類の話が得意ではなく、ちょっとしたことで心をかき乱されてしまうピュアな乙女だ……今はきっと、相手を思いやってやる余裕などないだろう……
だがしかし。
それすらも、こいつらの責任だ。
「構わん……マグダさん、ロレッタさん! 連れてお行きなさいっ!」
「……了解」
「任せるです!」
訓練された兵士のように、足並みを揃えてトレーシーたちへと肉薄するマグダとロレッタ。
マグダがトレーシーの、ロレッタがネネの腕を拘束し、強制的に起立させ、連行していく。
「あ、あのっ、オオバヤシロさん!? これは一体!?」
「ま、待ってください、話せばきっと分かっていただけると……っ!?」
そんな懇願……聞く耳持たん。
だが、まぁ、そうだな……『微笑みの領主』なら、もしかしたら慈悲を与えてくれるかもしれないぞ――と、視線を向けてみる。
「トレーシーさん、ネネ……」
「エ、エステラ様……っ」
「あぁ、あのお優しい顔……さすが『微笑みの……』」
「グッドラック」
「「エステラ様っ!?」」
満面の笑顔で手を振るエステラ。
――ま、そういうことだ。
最後まで抵抗していた二人だが、マグダとロレッタの獣人族コンビに力で敵うはずもなく…………魔の厨房へとのみ込まれていった。
数分後、これまでにない悲鳴が轟き渡り――二十七区への制裁は無事、完了したのだった。
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