「おう! ようやく顔を出しやがったな、この穀潰しがっ!」
しゃがれた声を発し店に入ってきたのは、最近また頻繁に陽だまり亭へ顔を出すようになっていたゼルマルのジジイだ。
「誰が穀潰しだ、逝き遅れ」
「やかましいわ、クソガキが。ちぃっとも顔を見せんで! どうせどこかで遊び歩いてたんじゃろうが!」
「俺がいない日は、もれなくジネットも留守だっただろうが」
「陽だまりの孫は、止むに止まれぬ用事があったんじゃろうて。お前とは違うわ」
このクソジジイ。
隠すことなく依怙贔屓してきやがる。
「あらあら。ヤシロちゃん、お久しぶりねぇ」
少し遅れてムム婆さんがやって来る。
というか、ムム婆さんが来る頃合いを見計らってゼルマルのジジイが来店してんだけどな。
偶然を装わないと恥ずかしいとか、中学生かよ。しわしわのくせに。
「ヤシロちゃんがいなくて、ゼルマルは寂しがっていたのよ」
「ふ、ふざけたことを抜かすな、ムム! 誰が、こんなクソガキを……っ!」
「へぇ~……ジジイ。婆さんのこと、呼び捨てにするようになったんだぁ……へぇ~……何か進展でもあったのかなぁ~……にやにや」
「バッ!? バカモンッ! な、ななな、なんにもありゃせんわっ! たっ、戯けたことを抜かすな、クソガキがッ!」
シワの一本一本までもを赤く染め、年甲斐もなく盛大に照れるゼルマル。純情だなぁ……しわしわのくせに。
「うふふ。ほ~んと。ヤシロちゃんと話すようになってから、ゼルマルは元気になったわよねぇ」
「そんなこたぁない! なんで、ワシが……」
「だって。ここへ来ては、ず~っとおしゃべりしてるじゃない」
「そ、それはっ! こ、このクソガキが年長者を敬う気持ちを持っておらんから、ワシが教え込んでやってるんじゃい!」
「ウチに帰っても、ず~っとヤシロちゃんの話ばっかり」
「そんなことないわい!」
ジネットが言っていたのだが、ゼルマルの悪態はかつての輝きを取り戻しているようだ。
「まるで、お祖父さんと言い合っていた頃のように、生き生きと暴言が飛び出してきて、わたし、少しだけ楽しいんです」……とか言ってたっけな。
暴言を吐かれる身としては、堪ったもんじゃないけどな。
というか、それよりも、だ。
「おい、ジジイ。『ウチに帰っても』ってのはどういうことだ? ん? ついに婆さんを家に連れ込んだのか、このエロジジイ?」
「ぼふぅっ!? ごふっ! ゴホッ! ゲフガフッ! ごーっほごほっ!」
「……ジジイが、死ぬ」
「はい。間もなくです」
「ごほっごほっ! だ、誰が死ぬかっ、娘ども! 滅多なこと言うんじゃないわい!」
「……エロジジイに怒られた」
「連れ込みジジイ、怖いです」
「つっ! 連れ込んどらんわっ! ム、ムムが、勝手に……っ!」
「はいはい。あんまり血圧を上げるな。お前の背後には死神が行列をなして待機してんだからよ」
「カァーッ! 誰のせいじゃい!」
お前がムム婆さんを連れ込んでるせいだろうが。
な~にが、「ムムが勝手に」だ。
ど~せ前みたいに、「飯を作りに来い!」とかって言ったんだろう? この甘えん坊ジジイ。
「甘えん坊将軍め」
「誰が将軍じゃっ!? ワシャ一般市民じゃい!」
怒るポイントそこかよ。
「いや~。相変わらず賑やかでねぇのよぉ」
「ぶはは! 陽だまり亭はこうでなくてはなぁ! なぁ!?」
かつて、ジネットの祖父さんがいた頃の常連客、ボッバとフロフトが揃って顔を出す。
そして、やや遅れて……
「おやおや。また私が一番最後でしたかぁ……どうも、いかんですなぁ、はっはっはっ」
疑惑の存在……オルキオがやって来た。
オルキオは、他のジジイに比べて体が小さく、線も細い。
他のジジイどもはみんな職人で、若い頃は肉体をフル活用して働いていたそうだ。だから、しわしわになった今でも、比較的体つきはカッチリしている。
一方のオルキオは、体力より知力といった感じの、インテリな雰囲気を纏ったジジイだ。
こいつが元貴族だってんなら、それも頷ける。
ロマンスグレーの髪を綺麗に整え、口髭を蓄えたダンディなジジイ。
若い頃は、さぞ色男だったことだろう。
…………なぜ、あんなハムみたいなババアを選んだのか……
たぶんシラハのヤツ、船に繋いでおけばイカリの代わりくらにはなるぞ。嵐でも安心だね。
……が、しかし。
まだオルキオが、アノ毒文章の制作者だと決まったわけではない。
仮にそうだったとしても、訳あって過去を隠している可能性もある。
ゼルマルたちの前で過去を暴いて、ジジイ共の関係がぎくしゃくしてしまっては困る。
最悪の場合、オルキオは陽だまり亭に顔を出さなくなり、そんなことになれば、きっとジネットが悲しむ。
探りを入れるのは慎重に…………
「ボッバ、久しぶりだな。まだ死んでなかったのか」
「ひゃっひゃっひゃっ。ワシはなかなかしぶといでなぁ」
「フロフトも、久しぶりだな。お前は死神にまで嫌われているんじゃねぇのか?」
「ぶはははっ! 相変わらず言いよるわいのぉ、おんしゃは!」
「オルキオ、久しぶり――と、気安く言うにはあまりに時が経ち過ぎてしまったな」
「ぶふぅーーーっ!?」
オルキオがひっくり返った。
ジジイたちの心臓を一斉に止めてしまいかねない勢いでひっくり返り、床に後頭部をしこたま打ちつけた。
周りのジジイババアが、心底きつそうに心臓を抑えている。
「な、なんじゃい、オルキオ、急に!?」
「ワ、ワシらを殺す気か!?」
「あぁ……ビックリしたぁ」
「オルキオ。頭、大丈夫かい? あ、そういう意味じゃなくてね」
ムム婆さんだけが倒れたオルキオを心配している…………してる、か?
「どうした、オルキオ? 伝えたい言葉が溢れ出してしまいそうなのか?」
「ヤ、ヤ、ヤシロ君! ちょっと、外でお話がっ!」
飛び上がるように立ち上がり、オルキオは俺の腕を引いて外へ出ようとする。
が……
「なんじゃ? ワシらには内緒の話か、オルキオよ?」
「な~んか、水臭いでなぁ」
「オルキオ! おんしゃも男なら、隠し事などせんと、この場ではっきり言えやぁ!」
ジジイ共が先手を打ち、入口へと回り込んでいた。
ドアの前に、ゼルマル、ボッバ、フロフトが並ぶ。
「う……あ、いや……私は、その…………」
オルキオが背後を振り返り、ムム婆さんに助けを求める。
「あらあら。私も、ちょ~っと聞きたいわぁ」
無念。
お前に味方はいなかったようだぞ、オルキオ。
年寄りってのは、世間話が大好きだからな。
「……もし、身分を隠したいなら俺が手を打つぞ?」
「ヤシロ君…………いや」
観念したのか、オルキオは肩をすくめて首を振った。
とても柔和で、人のよさそうな笑みを浮かべている。
荒くれ者とひねくれ者で形成されたジジババ会が内部分裂しないのは、ムム婆さんの思いやりと、オルキオの寛容さがあればこそだろう。
こいつの懐は相当に深い。
それが、俺が持つオルキオのイメージだ。
「私が没落貴族だってことは、みんなには話してあるよ。隠し事は、得意じゃないからねぇ」
困り眉毛で口髭を撫で、オルキオは柔和な声で言う。
他のジジイとは違い、言葉遣いが荒れることもなかったようで、オルキオの口調は耳に心地のよい丁寧なものだ。
隠し事は得意じゃない……か。
それはそうかもしれないな。なにせ……
「『お前の体には、心が半分しか入っていない』んだもんな」
「それを知られたくないから外に連れ出そうとしたんだよっ!? 頭のいいヤシロ君ならその辺のことは分かるよね!? あぁ、そうか、分かった上でやってるんだね!? 恐ろしい子だよ君はっ!」
なんだよ、苦手でも隠し事はしたいんだな。
「そ、それよりっ、な、なな、なんでヤシロ君がそれを知っているのかね? ま、まさか、み、見たのかい、あの……その…………」
「あぁ。お前の手紙なんだがな……」
俺は、会話記録を呼び出す。
「ギルベルタに音読してもらったから、ここにきっちり保存されている」
「やめてー! やめたげてー!」
俺の出した会話記録を抱き込むように覆い隠す。
いやぁ、苦痛だったぞ。音読される毒文章を聞く時間。
しかし、どういうわけか……俺以外の女子は、うっとりとしていたけどな。……感覚がおかしい、この街の女子は。
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